成田山新勝寺は江戸の昔から成田詣の参拝客で賑わう、いわば観光スポットだった。今でも成田山は明治神宮に次ぐ初詣の参拝動員数を誇り、日本を代表する神社といっても過言ではないと思うの。
まぁ沢山の人が集まる場所だからこそ、色々な欲求も渦巻くというもの・・・参拝客で賑わう成田山のお膝元である成田市花崎町には、旧赤線地帯があるという情報を(ネットで)入手し、ちょっくら成田詣に来たついでに散策してみることにしたわ。
とはいっても、筆者が個人的に成田の赤線の資料を保持しているわけでもなく、完全にネットの先人たちが「この辺赤線だったんやでぇ〜」的に紹介しているのを見て散策を決意したため、そんなに詳細な歴史が語れないのが申し訳ない。
まぁでも、かなりの昭和レトロ感を誇る町並みのため、旧赤線地帯とか抜きにしても楽しく散策できるスポットであることは間違いなしよ。
今回はそんな赤線跡をたどりながら、成田詣に行ってきた様子をレポートするわ☆
【成田旧赤線地帯】JR成田駅すぐ!新道と新新道
赤線跡をめぐりながらの成田詣の始まりはJR成田駅から。流石成田山新勝寺の最寄り駅、クラシカルで立派な駅舎ねぇ〜。
赤線跡だといわれているのは、成田駅を出てすぐにある交番の横道にある”新道”と”新新道”だと言われているわ。
『成田山近道』と書かれた看板が、新道への目印よ。
場所的にはこんな感じ。
赤が新道・黄色が新新道・青が表参道よ。
言わずもがな表参道は成田山へ向かう参道で、美味しそうなお店や魅惑的なお店で溢れた素敵な通り。でも今回は赤線の痕跡を探して新道と新新道を歩いて行きましょ☆
【遊里の痕跡!?】「成田山 寶物奉納記念碑」の玉垣
まず痕跡を求めてやってきたのが、新道を入ってすぐの権現神社の裏にある「成田山 寶物奉納記念碑」。
「成田山 寶物奉納記念碑」を撮ったら逆光になってしまった・・・
でもまぁ、注目したいのはこの玉垣。〇〇楼と書かれたものが多数存在しているわ。おそらく昔々にあった妓楼が奉納したものなのでしょう。
成田山の総門脇に居る弁財天さまがヤキモチ焼きだからというのもあり、成田山にアベックで行くと別れるなんて迷信があるケド、これは男衆が遊廓で遊ぶ為の口実から広まったという説もあるとかなんとか・・・まぁ奥様たちが一緒に行きたいなんて行ったら、遊廓で遊べないですものね・・・
成田山の御本尊である不動明王は煩悩を取り除いてくれる神様だけど、まぁ〜人々は煩悩まみれよ(笑)
あと成田山って鰻が名物だけど、精が付くとか関係あるのかしら??
玉垣の脇は崖になっていて、新新道を見下ろすことができる。
そして「成田山 寶物奉納記念碑」では、玉垣だけではなく、コンクリート製のゴミ箱も発見!(壊れてるけど)レトロマニアは歓喜よ!
【カフェー建築】新道と新新道で成田の赤線跡を歩く
「成田山 寶物奉納記念碑」の玉垣を堪能したら、とりあえず新道を進んでいきましょ。
現代では通常の飲食店や住宅が建ち並んでいるわ。
【成田赤線跡を歩く】カフェーの痕跡!?「カクテルバー東洋」
しばらく新道を進むと、「コレはっ!!」という建物に出くわす。
この建物は「カクテルバー東洋」というバーとして現役で営業中。素晴らしいカクテルが飲めると、かなりの人気店なんですって。
「カクテルバー東洋」は成田で一番古いバーのようで、創業したのは昭和34年(1959)。売春防止法が施行された昭和32年(1957)の後にできているのよ。
どうやらこの建物は元々カフェーだったものが、転用されて使われているみたい。オーナーチェンジだったのか、売春防止法による鞍替えなのかどっちだったのかしら??
入口の如何にもなソレ感が、哀愁をさそう。バリバリ和風建築に洋風の入口がガッチャンコされ、カフェーだったことが偲ばれるつくりになっている。
お洒落な酒瓶が並ぶディスプレイ。
建物の状態もよく、大切に使い込まれているのがわかる。第二の人生を謳歌しているカフェー建築を見ると、無性な安堵感に包まれるのよね。
「カクテルバー東洋」の脇道を入り、隣にある仏具店も昭和香りがビンビンで萌えるわネ。
この脇道を直進すると表参道に出られるわ。こんなに近い場所に表の顔と裏の顔があったなんて、信心と煩悩が表裏一体のような構造は、とても面白く感じる。まぁ人間もそんなもんだしね・・・
【成田赤線跡を歩く】カフェーの痕跡!?「壱番館」とその脇道
新道をしばらく進み、少し脇道に入ると現れる建物がこちら。先人たちのブログにも必ず登場してくる、「なんかやってたんじゃないか???」建築。
洋風の建物と和風の建物がガッチャンコした、かなり哀愁を帯びたお姿は心を鷲掴みにするカッコよさがある。
ここが昔々カフェーだったかはわからないけど、近年までは「壱番館」という喫茶店を営んでいたみたい。
めちゃくちゃハイカラな造りで、喫茶店愛好家としては現役時代に一度お茶でもシバきたかったわ・・・
「壱番館」が喫茶店だった痕跡を発見☆チモトコーヒーを使っていたのね。
「壱番館」の脇に抜けると、ガッチャンコされた和風建築部分の裏口を発見。カフェー建築っぽい??
掲げられた看板に”御料理”の文字が見える。売春防止法が施行され、赤線廃止後は料理旅館にでもなったのかしら??(想像)
裏から見たらこんな感じ。かなりの雰囲気ありありな建物ね。
そしてこの「壱番館」の脇道を抜けると・・・・
数年前までは、如何にも赤線時代を彷彿とさせる建物が建っていたんだとか!!いまでもストリートビューでは見ることができたわ。
現在では真新しいお家が建てられていて、赤線時代の痕跡は感じられず・・・残念・・・
ただその真横にある建物が、かなりの昭和っぷりを誇っている。「成田シェアハウス」として使われている建物で、なんだかお洒落にリノベーションされているわ。
シェアハウスの大手サイト「ひつじ不動産」にも掲載されているけど、室内もかなりお洒落な感じ♬これはちょっと住んでみたいわね!⬇
昭和感ありありのありの”朝日新聞”の看板がもぅ〜〜〜〜レトロ!!
【成田赤線跡を歩く】新新道でレトロ探し。
「壱番館」の脇道を抜けると、新新道に出ることができる。
はじめに紹介した「成田山 寶物奉納記念碑」の玉垣も、ここから見ることができるわ。
昭和感あふれる建物が残り、歩いているだけでテンションが上ってくる。
瀟洒な飾り窓がイカす。こちらも昔は何かやってた??
新新道のすぐ横はJR成田線が通っており、成田エクスプレスだってみれちゃう☆これは鉄道ファンもニッコリよネ。
【成田赤線跡を歩く】再び新道を歩き、痕跡を探る。
「成田シェアハウス」の可愛らしい外壁を見ながら、再び新道に戻ってきましたよ。
そんな「成田シェアハウス」の前にある駐車場に、なにやら不穏なモノを発見。「環境浄化重点地区」の警察・防犯協会の看板。
売春防止法が施行されたからといって、ハイそうですかと赤線がおずおずとなくなるわけでもなく、しばらくは姿を偽りそういったお店が営業していたのだろうね・・・飲み屋さんは多いものの、いまではそんな如何わしさは感じないけど。
「風俗環境浄化重点地区」の看板が重々しい。
成田市は昭和53年(1978)に成田国際空港が開港したことで、人口が増加し続けている都市。成田駅近隣も、空港間関係者含めてファミリー層も増えてきた昭和時代。そんな中、環境が浄化されていないってのは、こどもたちのコトを考えると、いささか不穏ですものね。
不穏な看板を眺めつつ新道を進むと、またなにやら格好いい昭和の建築が見えてきたわ。
赤線の痕跡ではないと思われるけど、昭和感がビンビン漂う廃墟。
昭和48年度の食品衛生検査のシール。どうやらここは飲食店だった模様。
隣の建物もこれでもかと昭和の風が吹き荒れる。表通りの戸口が以前は何らかの商売を営んでいた痕跡を感じるものの、いまでは店じまいされ民家として使われている様子。
そしてまたしばらく新道を進むと、Googleで4.6と高得点を叩き出すゲストハウス「成田参道ゲストハウス」に出くわす。古い建物をリノベーションしていて、これは外国人もニッコリよね。
隣の廃墟もいい感じ。
な〜んて事を考えていたら、新道は終わりを告げ、表参道に出てきたわ。
【煩悩まみれで成田詣】参道から成田山総門へ・・・
はい、成田山のお膝元成田市花崎町の旧赤線跡である、新道・新新道を通って成田山に到着!
江戸の昔に遡ると、庶民たちは神社仏閣に参拝するのが、信心でもありエンターテーメントでもあったわけですよ。そんな旅人たちを集めるためにも、近隣には色街が発展したとも言われているわ。戦後はそのまま赤線地帯になり、長い間人々の煩悩を満たして来たと思うと、なんだか感慨深いわね。
資料もないなか成田の赤線跡を歩いたもので、なんとも纏まりのない締めになってしまって申し訳ないわ・・・
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