大岡川沿いにある横浜市の黄金町周辺は、かつて「ちょんの間」が建ち並ぶ売春街として賑わっていた。
こども時代を横浜市で過ごした筆者も、誰に言われたわけでもなく、なんとなくあの辺りは近寄ってはいけないという雰囲気を感じ取っていた。
どんよりとした妖艶な空気は、こども心に危険で怖いとこだと本能が認識していたのだろう。
そんな黄金町も20年ほど前に起こった警察の大規模摘発により、ちょんの間は消え去り、現在ではアーティストが創造・発表・滞在できる、アートの街へ生まれ変わっている。
今回はそんなアートな街に潜む、かつての面影を探しに、横浜市中区は黄金町周辺へと足を運んできた。
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【横浜・黄金町】街の歴史と青線街
街をあるいてゆく前に、先ずは街の歴史を少しだけみてゆこう!
歴史を知ると、街歩きはもっと有意義で楽しいものになるのだ!
【横浜・黄金町】青線街としての歴史
かつてちょんの間が建ち並んでいた場所は、京浜急行の黄金町駅を下りてすぐ。大岡川と京急の高架沿いの細長い地域が黄金町だ。
実はこの一帯は昭和20年(1945)5月29日の横浜大空襲で一番の被害を受けており、延べ600名以上の犠牲者が出たという、悲しい歴史がある場所。
というのも、空襲警報が発令された時、黄金町駅には上下線の列車が停車しており、乗員乗客は高架下に一斉に避難をしていた。
それと同時に、付近では戦闘機が機銃掃射を繰り広げており、高架下には近隣住民も逃げ込んでいたのだ。
そんな密集する高架下に、不幸にも焼夷弾が数発命中。ホームから地上に向かい、火砕流が発生したことで、多くの犠牲者を生み出してしまった。
そして駅周辺は強制疎開で大きな広場ができていたことから、黄金町周辺で被害にあった人々の死体も運び込まれ、いわば死体置き場と化していたのだとか・・・・
戦時中にそんな悲しき歴史が繰り広げられた黄金町ですが、戦後は行き場をなくした人々が、高架下にバラック小屋の住居を造り住み着くようになっていった。
そのうちバラックは住居から飲食店へと変わり、その店の中から次第に女性が客を取る「ちょんの間」が現れ、黄金町は関東屈指の青線地帯へと化していった。
高架下のバラックだけでなく前を流れる大岡川には、不法の水上ホテルが28隻も浮いていたそうで、中々の無法地帯だったよう。(昭和29年には水上ホテルの撤去が行われ、地上へと移っていった。)
そして無法地帯と化した黄金町は、売春だけでなくヒロポンやヘロインといった麻薬密売組織の温床でもあったそうで、密売組織の縄張り争いによる抗争が頻発していたのだとか。
かなりの危険地帯だったようで、身の危険から警察の巡回すらもままならなかったのだそう。どんだけ無法地帯だっただろうか・・・・
そんな中、昭和33年(1958)には売春防止法が施行され、売春を行うバラックは一時的に鳴りを潜めるようになる。が、その間も麻薬の売買はさらに盛んになっていった。
昭和37年(1962)には警察の厳しい取り締まりで、麻薬にありつけなくなった大勢の中毒者が、禁断症状により路上に飛び出すなどの事件を起こす。この騒ぎは大きな社会問題となり、以後バラックは撤去され、麻薬の更生施設などの施策が行われるようになっていった。
また売春防止法施行後に一時的に鳴りを潜めていた売春婦たちだが、その後も黄金町の売春街は無くなることはなかった。
昭和50年代になると日本人娼婦に加え、台湾やタイの女性も働くようになり、その数を増やしていった。そして平成に入ると日本人女性は少数となり、ほとんどが中国や東南アジア、中南米出身の女性がとなり、延べ1000人の外国人が働いていたのだそう。
【横浜・黄金町】バイバイ作戦〜売春街からアートな街へ〜
全国に売春街としてその名を轟かせていた黄金町ですが、2000年代に入ると、地域住民により「風俗拡大防止協議会」が結成される。
それにより行政・警察・大学などと連携しながら、安全・安心なまちづくりを推進するための「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」が発足された。
平成16年(2005)1月11日には、「バイバイ作戦」と名付けられた警察による大規模摘発が行われた。これにより同年8月までに売春関連のお店が全店閉鎖され、売春街としての黄金町の歴史は幕を閉じることとなる。
平成18年(2006)には文化芸術振興拠点の運営団体に選定されたBankART1929が「BankART桜荘」をオープン(2010年4月に活動終了)。アーティストが創造・発表・滞在する「創造界隈」を形成する事業の一環としてスタート。紆余曲折ありながらも、以後はアートの街として健全化に乗り出していくこととなる。
現在は新しいマンションなどが建てられるだけでなく、かつてのちょんの間をリノベーションした、オシャレなcafeやBarなども増え、以前とは見違えるほどの変貌を遂げているのだ。
【横浜・黄金町】かつての青線街〜アートな街を歩く。
では、ざっと歴史がわかったところで、青線からアートの街へと変貌した黄金町を歩いてゆこう!
前述したように、最寄り駅は京急電鉄の黄金町駅。
ちょっと余談ですが、黄金町駅は昭和5年(1930)4月1日に湘南電気鉄道の開業にあたり、始発駅として開業した駅。当時はまだ横浜駅まで延伸しておらず、バス輸送を行っていたのだそう。始発駅として開業したなんて、当時はかなり主要な駅だったことがうかがえる。
現在の黄金町は県暴力団排除条例に基づいて、暴力団排除特別強化地域にも指定され、かつての売春街のカオスっぷりがまるで嘘のよう!
大岡川の川岸には桜が植えられ、お花見の時期には映えスポットとしても人気がある模様。どうやら昔は柳が植えられていたが、桜に変わったのだそう。
かつてのこういった場所は、、柳→桜に植え替えるところが多い印象。イメージが良く明るいからだろうなぁ・・・・
ポップさのある外壁が、生まれ変わった街を明るく彩る。
狭い間口が並んだ建物が、かってのちょんの間を忍ばせる。
京急の高架脇の狭い通路を、所狭しと建物が建ち並んでいる。
平成16年(2005)の「バイバイ作戦」時は、機動隊の大型車両で突然大勢の警察官が乗り付けたことで、売春婦たちの叫び声が狭い路地にこだまし、かなりの様相だったのだとか。
たしかに、この狭い路地に突入したらかなりカオスな状態になりそう・・・
おっと、電柱にはなにやら古そうなそば処の看板が残されている。これすらも、流行りの”昭和レトロ”的アートに見えてくる不思議。
かつてはちょんの間が所狭しと並んでいた高架下も、現在ではオシャレなお店やギャラリーなどが建てられている。
以前は70〜80軒ほどのちょんの間がガード下には連なっており、ガード横の店とあわせると120軒ほどもあったのだそう。この狭い敷地に、それだけの店が連なっていたとは凄い密集度!
元々多かったちょんの間がより増えたキッカケが、平成7年(1995)におきた阪神・淡路大震災だった。
何でもその際に京急電鉄が高架の調査をしたところ、黄金町付近の高架は耐震性に問題があると判明し、高架下の売春宿は立ち退きを余儀なくされた。が、それでなくなるわけもなく、業者が近くの土地を買い、宿を営むママがそれを買い、新たな店が誕生しするといったループに陥っていったのだとか。
結果、店は倍以上に増えたそうな・・・・まさに無法地帯だったことがうかがえる。
今ではとってもポップなアートで彩られかつての面影が薄れても、つい20年ほど前まで現役だったと思うとちょっと感慨深い。
過去の記憶を消すように、いたるところにアートが描かれている。
至るところにアートを感じ、歩いているだけでハッピーな気分にさせてくれる。
もはやメーターすらもアートに見えてくる不思議。
リノベーションされた建物も多く、古さとポップさの融合が見事!
新しいマンションを縫うように、青線時代を思わせる古い建物も健在。
昭和の面影がアートの街にとってもマッチしている!
1階はリノベーションされているも、2階の雰囲気がまんま昭和。
おっと!こちらもなかなか趣のある建物!
2階部分の造りが凝っていて、なんて色気のある洒落た建物なんでしょう!
かな〜り古そうな建物だけど、なにか色々やってたのだろうか?
歴史を思いながら歩いていると、なんだかいろんな妄想をしてしまう。
なんてことを思いながら歩いていると、しっかり交番も発見。
当時ここの交番に配属されたお巡りさんは心底怖かっただろうなぁ・・・・なんていらん心配をしてしまったが、調べたところ交番が出来たのは、黄金町が浄化されてからの平成21年(2009)。
地域住民の嘆願により、交番が設置されたのだとか。
交番には「歓楽街総合対策現地指揮本部」と書かれた看板が掲げられている。
どうやら「バイバイ作戦」には賛否もあるようなんだけど、地域住民にとっては、街が安心安全に過ごせることは大切なこと。こうやって現在も警察が目を光られているのは、心強いことこの上ないのではなかろうか?
【横浜・黄金町】アートの街に生まれ変わった青線跡を歩く。
はい、今回はかつての青線地帯、ちょんの間がひしめきあっていた黄金町周辺を散策してきました。
アートな街に生まれ変わった黄金町は、筆者がこどもの頃は怖くて近づくこともできなかった姿とは一変し、安心して歩ける場所になっていた。
つい20年ほど前までおおっぴらに売春が行われたいた場所なだけあり、少しだけ艶かしさも感じつつ、確実に安心安全な街へ生まれ変わったのが見て取れて、なんだか感慨深い気持ちで今回の街歩きは終了するとしよう。
★☆街を散策する際は、地域住民の迷惑とならないように、静かに・楽しく散策しましょう!☆★
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