
閑静な住宅街のイメージが強い三鷹。井の頭公園も近いしジブリ美術館もあるし、かつては太宰治が暮らしたこともあってか、中央線きっての人気タウンでもあるわよね。
そんな人気タウンの三鷹にも、実はかつてはあったのよ、色街が。
色街ってもっとごちゃごちゃした場所にあるイメージが強かったので、三鷹に色街があったことを初めて知ったとき、筆者はちょっとビックリしたものよ。
今回はそんな三鷹に存在した色街「三鷹八丁特飲街跡」を歩いたきた様子をレポートするわネ。
とかいいつつ、散策したのが昨年(2025)の12月。散策したことに満足してしまい、全然まとめていなかったため記憶が曖昧な部分もあるためご容赦くださいませ。
【歴史】「三鷹八丁特飲街」とは?

「三鷹八丁特飲街跡」を散策する前に、その歴史や成り立ちをちょっくらみてゆきましょ!
場所は上記地図の赤丸で囲ってあるあたり。三鷹駅からは徒歩5分ほどのところにあり、いまでは「八丁横丁」呼ばれる飲食店が並ぶエリアよ。
三鷹駅が最寄りではあるのだけど、「三鷹八丁特飲街跡」があるのは武蔵野市。住所的には武蔵野市中町になるわ。

ちなみに「三鷹八丁特飲街」の“八丁”とは、かつてのこの辺りの地名。上記地図は昭和26年の区分地図なのだけど、しっかり“八丁”の地名が載っているわネ。
あ、あと筆者は今回「三鷹八丁特飲街」と記載しているけど、その他に「武蔵八丁特飲街」や「ポツダム特飲街」とも呼ばれているわ。
「三鷹」や「武蔵」は地名から来ているものだけど、「ポツダム特飲街」というのはポツダム宣言受諾後にできた色街なので名付けれた名称。戦前からの業者が進駐軍を相手に一儲けしようとしたのが、「ポツダム特飲街」の始まりなのだとか。
三鷹の「ポツダム特飲街」は昭和25年(1950)に、新宿・八王子・洲崎の業者が移ってきたのがの始まりだと言われているわ。当時は飲食店を装っての開業だったのだとか。所謂だまし討よね。

「三鷹八丁特飲街」は昔からある色街ではないため、周辺住民は突如としてできた色街に困惑したことでしょうね・・・・しかも元々三業地や二業地だったわけでもなく、普通の住宅街だったわけですよ、このあたりは。
まぁ、ということもあって一年ほど経ったあたりから、周辺住民からの反対運動が起こり始めたの。昭和26年(1951)7月11日には、参議院文部委員会委員が現地調査までおこなっているわ。
「三鷹八丁特飲街」はとても繁盛しており、最終的には40軒の出店計画もあったようなんだけど、結局は売春防止法が施工された昭和32年(1957)4月1日の直前まで営業を続けたのち、その歴史に幕を閉じたの。

そもそもなんでこんな住宅街に色街を開いたかというと、戦前からこのあたりには横川電気の工場や中島飛行機武蔵野製作所があったからなのよ。
戦時中に中島飛行機武蔵野製作所は数十回の空襲を受け廃墟と化し、戦後はその場所に進駐軍のキャンプができたの。そして横川電気もすでに工場を稼働をさせていたため、客が呼び込めるという算段ができていたみたいね。
ちなみに、「三鷹八丁特飲街」は反対運動を受けつつも、無事(?)7年もの間営業を続けることができたけど、同じくポツダム宣言後に色街を作ろうとしたものの、反対運動により頓挫している場所もあるわ。
有名なのが池上本門寺。武蔵新田にある赤線の業者が池上本門寺の住宅街に進出し、勝手に11件の店で特飲街を形成。大規模な反対運動が起きたことによりすぐに特飲街は廃止されたわ。まぁそれもあって先述した参議院文部委員会委員による三鷹の現地調査が行われたってのがあるんだけど。
【三鷹】「三鷹八丁特飲街跡」を歩く

さぁ、ではでは歴史がちょっくらわかったところで、いよいよ「三鷹八丁特飲街跡」を歩いてゆきましょ。
現場に向かう途中にお稲荷さんを発見したので、お邪魔させてもらうお礼も兼ねて手を合わせてゆきますよ。当時は特飲街で働く人々も、ここで手を合わせたのかしら?

「八丁稲荷」。
たとえ昔の地名が登記上はなくなっても、こうやってちゃんと昔からあるもの場所に名残があると、無性にグッとくるのよネ。

そんな昔の名残を感じるお稲荷さんから少し歩くと、突如として飲食店街が現れるわ。そこが今回の目的地「三鷹八丁特飲街跡」よ。
住宅街にある飲食店といった感じで、かつて色街だった面影は一切ない。

当時の面影がないに等しい中、唯一「特飲街の検番跡ではないか?」と言われる建物があると、諸先輩方のブログで確認していたんですが・・・・・
ない!ない!どこにもそれらしき建物がない!!!!ないのよっ!!!
どうやらこの写真に写る駐車場に、かつて「特飲街の検番跡ではないか?」と言われる建物が建っていた模様。
筆者が行ったのが一足遅かったようで、既にその建物は取り壊されてしまっていたわ。残念すぎる・・・・

グーグルマップで2024年のストリートビューを見たところ、検番跡と言われている建物を発見。かなり趣があるわよね。

唯一残る当時の建物と言われていたため、取り壊しは非常に残念すぎる・・・・最近は消えゆく昭和の面影が多すぎるのよ。

とまぁ、残念な気持ちになりつつも、少し横丁に入ると雰囲気がある飲み屋街が広がっていたわ。
閑静な住宅街の中の一角に飲み屋さんが密集している感じね。
三鷹周辺って南口はわりと歓楽街的な趣もあるけど、北口は閑静な住宅街のイメージが強い。なので、よりこの一角が際立ってみえるのかも。

わりと新し目のお店もあるようで、結構オシャレ感もあるわよね。

当然、当時の建物ではないのだけど、かなりの昭和感で雰囲気満点。
ちなみに当時は二階建ての建物ではなく、平屋の店が並び特飲街が形成されていたみたい。

他の赤線や色街の中には、売春防止法が施行された後も秘密裏に色を売る店が存在していたけど、「三鷹八丁特飲街」は一斉に廃業しているようね。
まぁ反対運動などの背景を考えると、当然っちゃ当然なのだけど。

規模的にもそこまで大きな特飲街だったわけではないので、パッと散りやすいというのもあったのかしらね?(妄想)
あとだいぶ余談なんだけど、太宰ファンの筆者としては三鷹といえば太宰治なのよ。太宰は昭和23年(1948)6月13日に入水しているので、「三鷹八丁特飲街」ができたときは既に星になっているの。でもあと2年生きていたら、多分来たかな?来ただろうな。とか考えてしまう。

とかなんとか、太宰に思いを馳せつつも、筆者の大好きなコダマサワーの瓶を発見。ちょっとテンションが上がる。
今度は夜に呑みに来ようかな、とかなんとか思いつつ「三鷹八丁特飲街跡」を後にします。(訪問から一年近く経っているのに、まだ呑みに行ってないんだけど・・・・近いうちに行けたらいいな)
【三鷹】「三鷹八丁特飲街跡」を歩き、歴史に思いを馳せよう!

今回はかつて存在した「三鷹八丁特飲街」の跡地を歩いてきた様子をお伝えしたわ。
当時の建物などは残ってないものの、雰囲気のある飲み屋街には趣を感じることができるわネ。
花火のごとくぱっと開き、散っていった「三鷹八丁特飲街」。「ポツダム特飲街」という性質上、短い歴史だったけど、多くの人間ドラマや街の歴史があったことを思うと、とっても胸が熱くなる散策となったわ。
☆★「三鷹八丁特飲街」を散策する際は、近隣の方々のご迷惑にならないように、静かに・ひっそりと散策するよう心がけましょう!★☆



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