
ある日の朝方、突然脳内で『熱海に行けばいいじゃな〜い』とのお告げが聴こえた。
熱海!?実は筆者、子供の頃に少しだけ住んでいたことがあったのよ。特に良い思い出もない場所だけど、立派なババアになったいま、子供の頃のノスタルジーに浸りたくなったのだろうか?
ともかく、お告げ(?)に従い、急いでその日の新幹線を予約。
まぁ、如何せん思い立つまま来たもんだから、全くのノープランなわけ。
ただ、ノープランとはいえ、熱海に来たらじっくり歩きたいと思っていた場所が一箇所、ある。
それが糸川地区に存在した、かつての赤線跡・糸川特飲街。糸川地区にはいまでも、当時を忍ばせる建物が多く存在ており、一度じっくりと歩いてみたかったのよネ。
子供の頃は赤線もなにもわからなかったため、特に意識もしてなかったから・・・
と、いうことで!今回は折角のお告げ(?)に従い、熱海の赤線跡・糸川旧特飲街を散策してきた様子をお伝えするわ。
\⬇熱海の青線跡・渚町周辺についてはこちら。⬇/
【熱海の赤線跡】糸川特飲街の歴史と熱海のRAA施設

熱海の赤線跡・糸川特飲街を歩いてゆく前に、まずは場所をチェックしておきましょう。
Googlemapを確認した所、やはり有名な赤線跡だということもあるのか、しっかり「糸川旧特飲街」とピンが刺さっていたわ。
場所は熱海市中央で、駅からは歩いて15分ほどの糸川沿いに存在していたの。

糸川地区は戦後から売春防止法が施行された昭和33年(1958)まで、赤線として機能していた場所。
そもそもこの場所が色街として発展した歴史としては、幕末に下田からやってきた遊女が住み着いたのが始まりではないか?と言われているわ。(ただし正確な資料的裏付けはなし。)
昭和初期になると、熱海温泉の賑わいとともに、東京の吉原や須崎、亀戸などから業者や女性たちが移住し、糸川沿いに集まり私娼街を形成していったのだそう。

それもそのはずで、昭和9年(1934)の丹那トンネル開通により、今まで御殿場経由だった東海道線(現在の御殿場線)が、熱海〜三島を通る経由に切り替えられ、東京方面だけでなく大阪方面からもアクセスしやすくなったことで、多くの人が熱海を訪れるようになっていったの。
やはり、人が集まる場所の色街は栄える。それまで働いていた女性たちの数が239人ほどだったのに対し、丹那トンネル開通後の昭和11年(1936)の記録では、450人と倍近い女性たちが働いていたというのだから、当時の熱海の繁栄を感じさせるわよネ。

そして戦後の赤線としての糸川を語るうえで外せないのが、特殊慰安施設協会(RAA)の米軍慰安施設の存在。
東京を中心にRAAの施設が造られる中、熱海にも以下4つの施設が開設されたわ。
- 熱海観光閣(熱海市八幡山/開設当時は将校用の施設だった。)
- 玉乃井別館(熱海市桃澤)
- キャバレー・ニューアタミ(熱海市本町/米兵だけでなく日本人客も利用していた。)
- 富士屋本館(熱海市本町/RAA社員の厚生寮として開設、始めの1年間はニューアタミのダンサーの宿舎として使われていた。)
熱海にRAAの施設が出来た経緯としては、米兵側が高級将校用の休息所を熱海に造りたいと望んでおり、それに対し熱海の繁栄に繋がると踏んだ商工会議所や旅館組合、市長などの権力者たちが、RAA進出に協力的だったからだと言われているわ。

その後昭和21年(1946)にオフ・リミッツ令が発令されるも、首都圏から離れた熱海は、規制がかなり緩かったみたい。そのため、多くの米兵たちが熱海に殺到し、糸川地区も進駐軍を相手に商売する店が増えていったの。
その後、昭和25年(1950)4月13日に起こった熱海大火により、糸川地区も被害にあい建物は焼失。これを期に所謂パンパン屋に転業するものが増えていったのだそう。
大火前にパンパン屋は十数件だったのに対し、大火後はどんどん増えていき、1軒につき5〜10人ほどの女性を置く、45件ほどの店があったというのだから、その増え方には驚きよ。
こうして糸川特飲街は発展していき、売春防止法が施行された昭和33年(1958)4月1日まで赤線として発展していったわ。
(※熱海大火は熱海市の海岸工事現場から出火した火災。当時市内中心部がほとんど消失するという大災害だった。)
【熱海の赤線跡】糸川特飲街を歩く。【カフェー建築】

では、ざっと糸川特飲街の歴史がわかったところで、いよいよ付近を散策していきましょ。
糸川沿いには、早咲きの”あたみ桜”が植えられ、早春には綺麗な桜を見ることができる。(筆者が散策したのが2月下旬のため、まだちと早かった。)

そして糸川にかかる橋は幾つかあるのだけど、中でも目を引くのがこの「ドラゴン橋」。その名の通り橋の欄干にはドラゴンの像が建てられているわ。
昭和の末期頃に糸川沿いの遊歩道の整備が始められたのだけど、どうやらかつて赤線だったこの辺りのイメージを一新する意味もあったみたい。
ドラゴンには「海と地域の守り神」の意味が込められ、それまでは柳の木が植えられていた糸川沿いに、明るいイメージの”あたみ桜”が植えられたの。
確かに、柳よりも桜の方が明るいイメージだし、ドラゴンは守り神っぽいものネ。

と、そんな糸川を眺めつつ、赤線跡を散策。
子供のころ糸川べりを歩くことはあっても、飲み屋街の印象が強いこの辺りの先までは入ったことがなかったのよね。
何だか如何にもな建物が多く、どきどきしてしまう。
そして少し余談なんだけど、筆者が散策した日は数日前の晴れ間が嘘のように一転し、雨が降りしきり寒いのなんのって!頑張って撮影するものの、雨粒がレンズに当たるわ、傘さしているのでブレるわで、あまり上手く写真が撮れていないのでご了承を・・・

そんな寒い中歩いていると、熱海で有名な赤線遺構を発見!

現在は「スナック亜」という名前で営業しているこちらの建物。
かなり大きな規模だったことが伺える立派な造りよね。

「つたや」と書かれた文字が見てとれる。かつての屋号か?
でも、始めの方にUPした売春防止法以降の昭和36年(1961)の地図の同じ場所に、「つやた」と書かれた場所があるのよね。転業後にこの名前で旅館かなにかやっていたのかしら?

貫禄がある姿に、思わずウットリ。
子供のころ熱海にいたにも関わらず、この建物に出会えてなかった自分が憎いわ。

そして向かいに建つこちらの建物も立派。

モチーフも綺麗に残っている。
こちらの建物も立派で、かなりの規模感だったことが伺える。
糸川特飲店で働く女性たちは、他県から働きにくる人も多かったようで、オフ・リミッツ発令以降は東京なんかでも求人が出ていたのだそう。それだけ規模的にも立派な店が多かったのかもしれないわね。
筆者が住んでいた平成中期には寂れに寂れ、鄙びた街の印象しかなかったけど、赤線時代からある建物たちは、そんな熱海の栄枯盛衰を見守ってきたと思うと感慨深いわ。

なんてことを思っていたら、なんだかビビビとくる一角を発見。

ピンクの壁が何とも艷やか。

そしてその隣の建物がまた立派なこと!!

豆タイルの装飾が、いかにもなカフェー建築。
ピンク×青と緑の配色が美しく、わくわくしてしまう。
こうやって色街歩きをしていると毎回思うのだけど、建築好きとしてはわくわくする一方、どうしてもここで働いていた女性たちのことを思うと胸がギュッとしてしまう。
今のように女性が働ける場所も少なく、戦後の混乱期に生きるために働いてきた女性たちが、その後幸せに暮したことを願うばかり。

ただ、当時の熱海市民は、春を売る女性たちに対し結構寛容だったらしく、「彼女たちのおかげで街が潤っている。」と考える人が多かったそうなのよね。
人が多く集まる上、米兵相手の女性が多かったため、彼女たちから入る物資が闇市に流れることがあり、持ちつ持たれつの部分もあったみたい。

熱海で暮らした数年間、特にいい思い出もないけれど、そんな話を聞くと熱海市民の寛容さにホッとしてしまう。

おっと、こちらの建物もなにやら素敵な雰囲気。

こういう控えめなモチーフに華やかさを感じ、グッとくるのよね。

糸川地区にある古い建物すべてが、かつてそういったお店だったとは限らないのに、赤線やカフェー建築素人の筆者は、全部がそう見えてしまう。
こちらは時計店を営んでいた建物。

でもこういう豆タイルの装飾を見てしまうと、もしかして転業?と勘ぐってしまう。

こちらも何やら怪しげな雰囲気。

おっと!こちらの建物は、恐らくなにかやっていたでしょう?
ファザードの凝った装飾が美しい。

こういう凝った装飾を見ていると、当時の職人さんの技術と心意気に感服してしまう。

こちらも美しく、色気のある建物。
糸川地区を歩いていて思ったのが、普通に民家として使われている家も多く少し意外だった。
失礼ながらもっと人がおらず、寂れていると思っていたのよね・・・

赤線廃止後も高度経済成長期のレジャーブームのおかげで、熱海には多くの観光客が訪れていた。その後、社員旅行ブームもあり大人たちは熱海の夜の町に繰り出していたため、まぁ活気はあったと思うのよ。
その後景気の悪化で人口も減少し、熱海は寂れに寂れ、鄙びた町になってしまった。
それでも人が住む気配をこの町から少しでも感じれることは、元市民としては少し嬉しい。
まぁ最近は観光が盛り返しているし、廃墟になっているカフェー建築とかをリノベーションして、お洒落なNEOレトロカフェにでもしたら、ナウなヤングにも受けるんじゃないかしら?

なんてことを考えつつ次の建物へゆきましょう。
現在は魚屋さんとなっているこちらの建物。
この建物は糸川べりに建っていて、筆者が子供の頃に見てすっごく印象に残っていた建物だったのよ!
当時は勿論、赤線とかカフェー建築とか全然知らなかったのだけど、子供心に「カッコい魚屋さん。」という印象があったのよね。
この辺りが赤線跡だと認知した後は、「もしや、あのかっこいい魚屋さんは??」なんて思っていたのよ。

一応、売春防止法以降の昭和36年(1961)の地図の(おそらく)同じ場所には、「バー リンダ」と記載されていた。
糸川べりと立地もいいから、バーの前にも何かやっていたと疑ってしまう。
奥行きもあり、立派なファザードがあることから、もしそうなら立派な規模だったことが伺えるわ。

そしてそんな魚屋さんから糸川を渡った向かいにある、こちらの建物もよい雰囲気。

かなり奥行きのある建物の裏に周ると、また違った雰囲気の顔が見えてくる。

豆タイルが美しい。
明るい色味のタイルは町に華やかさと彩りを与えてくれる。

そして近くの路地には、風情のある飲み屋さん。
趣ある路地の飲み屋さんは、ついふらっと立ち寄りたくなる雰囲気よね。
【熱海の赤線跡】糸川特飲街近くの多田医院

糸川地区には一軒、昭和の面影が残る「多田医院」という病院が存在している。

今では中々見ることのできない、昭和の病院の佇まいにはグッとくるのよネ。

ただ、佇まいにグッとくるだけじゃなく、「多田医院」は小料理組合が指定した性病検診病院だったそうで、赤線時代に糸川で働く女性たちが、週に1回義務付けられた検査で度々訪れていたのだとか。
当時の女性たちは、かなりこの病院に助けられたのでしょうね。

なんだかそう考えると、飾られたレリーフも自愛に満ちた優しいまなざしを感じるわ。
今でも地域の人たちに愛されている病院で、口コミを見ていても評価が高そう。(病院って概ね口コミが悪くなる傾向があるのに。)
【熱海の赤線跡】糸川特飲街から少し離れた熱海銀座

そして赤線跡とは外れるんだけど併せて紹介したいのが、熱海のメインストリート(?)熱海銀座。
飲食店やお土産屋さんなんかも並び、老若男女が楽しく散策できる場所よ。

が、そんな健全な熱海銀座に突如現れるのが、「アタミ銀座劇場」。

昭和すぎる外観と、レトロポップなピンクショーの文字が目を惹く、ストリップ劇場よ。
もちろん筆者が子供の頃から、既に昭和感漂う「アタミ銀座劇場」は存在していた。正確な創業年はわからなかったのだけど、どうやら55年以上の歴史があるのだそう。
かつて賑わいを見せた温泉地には、当たり前のようにこういったナイトスポットが存在していたわ。

いまやストリップ劇場が全国で数を減らしていく中、今でも現役なのは貴重な存在。
筆者もいつか入ってみたいのだけど、基本ひとりで何処でも行けるくせにストリップ劇場に入る勇気が、まだない・・・

そしてもう一箇所ご紹介したいのが、アタミ銀座から一本道を入ったところにあるこちらの建物。
如何にもなカフェー調の建物は、思わず立ち止まってしまうほど素敵。

柱や豆タイル、入口の感じから、かつては何かやっていたであろう色気を感じるわ。

趣ある、凛とした佇まい。

欠けはあるものの、豆タイルの装飾も美しい。
子供の頃、何度かこの道は通っていたはずなのに、この建物の存在を全く認識していなかった・・・
子供だったとはいえ、何にでも興味を持つことで、もっと世界が広がったのになぁ・・・なんて少し後悔。
【熱海の赤線跡】糸川特飲街近くの熱海芸妓見番

地図を見ていただくとわかる通り、赤線跡は糸川と初川という川に挟まれた場所にあるわ。
戦後の闇市は初川沿いにあったようで、立地的にも米兵から流れた物資が闇市に出回りやすうということもあったみたい。

そして初川べりには現在も「熱海芸妓見番」が建っていて、温泉地らしい雰囲気が楽しめる。
立地は近いものの、当時芸妓さんたちと糸川で働く女性たちはきっちり分けられていたそう。芸妓さんたちは、やっぱり一緒にされるのを嫌がる方が多かったみたい。

ちなみに、現在「熱海芸妓見番」では、芸妓さんたちの美しい踊りが見れたりと、観光スポットとしても人気なの!
ぜひ熱海観光のひとつに組み込んでみてはいかが?

【熱海の赤線跡】糸川特飲街を歩く。【カフェー建築を探して】

今回は熱海の赤線跡・糸川特飲街を歩いてきた様子をお伝えしたわ。
まだまだご紹介しきれないぐらい、当時の面影を残す建物が多く、とても興味深い散策となったわ。
子供のころは何気なく過ごした風景をも、興味を持ち歴史を調べてみると色々な面を見ることができる。あの頃は全く興味も示さず過ごしたにも関わらず、今後も熱海の色街だけでなく、町の歴史を深く知りたいと思ってしまった。まだまだ調べ足りない部分もあるしね。
なんだか一段と有意義な散策となり、お告げ(?)で熱海にきたかいがあった旅となったわ。
☆★町を散策する際は、地元の人に迷惑にならないように、静かにマナーを守って楽しく散策しましょう!★☆
【熱海の赤線跡】「糸川旧特飲街」 場所
〒413-0015 静岡県熱海市中央町8
※参考図書
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