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【移転のため閉館】UR都市機構の「集合住宅歴史館」で昭和の団地を体感しよう!【赤羽台団地に移転予定】

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集合住宅歴史館 八王子市
「集合住宅歴史館」で日本の集合住宅の歴史を学ぼう!
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※2021年6月時点の情報です!八王子の集合住宅歴史館は、2023年に赤羽台団地に移転した為、現在は閉館しています!

⬇オープンした赤羽台団地の「URまちとくらしのミュージアム」についてはこちらを御覧ください★


東京都八王子市にある北八王子駅。

JR中央線の八王子駅から八高線に乗り換え(列車の本数が少ない!)、辿り着くことができるこの地にはUR都市機構が運営する「集合住宅歴史館」という非常に素晴らしい施設があるわ。

以前毎度おなじみ流浪の番組「タモリ倶楽部」でもタモリさん一行がやって来ていたのでご存知の方も多いのではないかしら?

ここは歴史的に価値の高い集合住宅を移築・復元したり、集合住宅の建築技術の歴史や変遷を展示している施設なので建築マニアや建築を勉強している人達は必見の場所、そしてそれだけではなく、戦前の同潤会アパートや昭和30年代の公団住宅の展示の豊富さからも昭和マニア垂涎の施設なのよね。

そんな「集合住宅歴史館」が来年の春頃には赤羽に移転しちゃうんですって!

正直筆者的には列車の本数も多く都心に近い赤羽の方がアクセスしやすいんだけど、北八王子で見られる期間はあと僅か、これは見学しに行かなくっちゃ後悔しちゃうわ!

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見学に行く前に。

まずこの集合住宅歴史館、いきなり北八王子に出向いて行っても見学できないから注意、以下見学までの流れを説明するわ。

①電話かメールで事前予約が必須!

②予約が決定したら申込用紙をメールに添付又はFAXで送る。

いや〜ちょっと面倒くさいわよね・・・

いやいや、このコロナ禍において事前予約制の方が安心よね!1回で見学できる人数も1名〜5名と決められているので密にならないで安心よ!

(コロナ前から事前予約や見学できる人数は決まっていたのでコロナ云々は関係ないんだけどね。)

この面倒くさい予約が完了した暁にはこんなに素晴らしい施設が無料で見学できちゃうの

見学できるのは月曜〜金曜までの13:30〜16:30の間、年末年始や土日祝祭日は見学できないので注意!

見学コースはAコースとBコースの2種類用意されているわ。

◆Aコース : 古い団地や同潤会の部屋をじっくり見ながら、集合住宅の歴史を学びたい
 所要時間 約2時間10分
 コース内容: ガイダンス・ビデオ鑑賞(30分)⇒歴史展示棟(90分)⇒アンケート記入(10分)
◆Bコース : 集合住宅の歴史やURの住宅建築技術を学びたい
 所要時間 約2時間30分(※休憩10分を含みます)
 コース内容: ガイダンス・ビデオ鑑賞(30分)⇒歴史展示棟(70分)⇒KSI住宅棟(30分) ⇒アンケート記入(10分)

集合住宅歴史館 HPより引用

因みにBコースの「KSI住宅棟」とは

KSI住宅(機構型スケルトン・インフィル住宅)は、地球環境や社会構造の変化の中で、省資源、省廃棄を推進し、良質な社会ストックをかたちづくるサスティナブル(持続可能)な建物であり、一方で住まい手のライフスタイルの多様化に応えることができるしくみをもった集合住宅です。KSI住宅棟では、KSI住宅の推進に必要な実用的試行を行いました。

集合住宅歴史館 HPより引用

との施設らしいので建築の勉強や仕事をしている人または建築マニアには垂涎の施設ね。

筆者は今回Aコースを選択、所詮は「昭和マニア」という限定的なマニアな為Aコースでも十分楽しめたわ。

ページが見つかりません | UR都市機構

いざ!集合住宅歴史館へ!

集合住宅歴史館 昭和レトロ 建築

北八王子駅から徒歩10分、現れる施設が「集合住宅歴史館」よ。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 建築
⬆紫陽花が咲き誇るエントランス、すてきね〜
集合住宅歴史館 昭和レトロ 建築

受付を済ませると見学者は小部屋に集められガイダンスを受けることになるわ、今回はアベックと筆者という3名見学する事になったわ・・・多少気まずいけどしょうがないわね。

全員集合したらまずは「団地への招待」という古い動画を観ることに。

この「団地への招待」かなり前からYOUTUBEにはアップされていて、筆者はお気に入り登録していて何度も見ている動画。

URが公式にアップしているものではないにも関わらず、職員の方が「YOUTUBEにアップされているけど見たことあります?」と言っていたわ、寛大ね。

昭和39年(1964)の作品で新婚夫婦が「ひばりが丘団地」に住む兄夫婦を訪ね、団地での暮らしを紹介する作品、当時の暮らしが垣間見られ中々面白い動画なので気になる方は検索してみるといいわ。

⬇「ひばりが丘団地」の室内が復元されている「江戸東京博物館」もオススメ!(現在改装工事の為R7年まで閉館中⬇

[ひばりが丘団地復元!]「江戸東京博物館」で江戸から昭和の暮らしを見てみよう。
東京都墨田区、両国国技館に隣接する「江戸東京博物館」。この博物館は江戸時代から現在にかけての東京の歴史と文化が学べるとっても素敵な施設。江戸・明治・大正ととっても魅力的な展示が盛りだくさんだけど、なんといっても外せないのが「昭和」の展示!復元された「ひばりが丘団地」の室内など昭和の日本を語るのにはもってこいの展示から目がはなせないわ!

見学できる移築・復元された団地は?

「団地への招待」を鑑賞して説明を聞いた後は職員引率のもと、貴重な集合住宅が移築・復元されているエリア「集合住宅歴史展示棟」へ移動。

移築・復元された集合住宅は4つ、簡単な概要とともにまとめてみたわ。

同潤会・代官山アパート昭和2年竣工・東京都渋谷区
同潤会アパートメント事業の1つとして建設された。
・和洋の生活に対応させるためコルクの上に敷物を敷いた床仕様。
・水洗便所やガス設備を完備
・ダストシューターの採用
などの新しい生活の提案がなされた、当時としては画期的な集合住宅。
※同潤会とは大正12年に発生した関東大震災の復興支援の為に設立した団体、このため耐久性を高めるため同潤会アパートはRC構造で建築されて当時としては先進的な設計や設備がなされている。
平成8年に老朽化の為取り壊された、現在跡地には「代官山アドレス」がそびえ立つ。
蓮根団地昭和32年竣工・東京都板橋区
日本住宅公団が初めてつくった代表的な住宅。
・ダイニングでの食事を促すためテーブルが備え付けられる
・間取りは2DK、DKスタイルという戦後の住宅の原形をつくった
DKスタイルは食寝分離のスタイルを根付かせ現在の生活スタイルに多大な影響を及ぼした。
当時、郊外に続々と建設される団地で普及し始めた電化製品を使って生活する「団地族」は一種の社会現象になり憧れの生活スタイルでもあった。
平成3年には老朽化を理由に建て替えがはじまり現在は「新蓮根団地」となる。
多摩平団地昭和33年竣工・東京都日野市
専用の庭を持った長屋建ての低層集合住宅、テラスハウス。
・庭を介した住まい方やコミュニティを形成
・建築の部品化や工業化が本格的に取り入れられた住宅
・流し台にはステンレスが採用
テラスハウス型の集合住宅は昭和30年代、主に郊外で取り入れられている。
平成9年には老朽化を理由に建て替えがはじまり現在では「多摩平の森」となる。
晴海高層アパート昭和33年竣工・東京都中央区
モダニズム建築の旗手・前川國男が建築した高層高級アパート。
・公団初のエレベーターの採用
・共用廊下とエレベーター停止階を各階に置かないスキップフロア形式を採用
・3層6戸分を1単位とし住居規模の可能性を持たせた架構方式の採用
・ステンレスプレスの流し台を初めて採用
平成9年には老朽化を理由に取り壊された、現在跡地には「晴海トリトンスクエア」が建設されている。

団地を見ていこう!

では早速移築・復元された団地を見ていきましょう!

同潤会・代官山アパートメント(単身住居)

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

部屋に入ってまず目につくのが、作り付けの寝台。その下は収納になっており非常に実用的な作りになっているわ。

ちなみに「タモリ倶楽部」でタモリさんはこの寝台に横になっていたけど、我々庶民は見るだけだからね!

部屋に台所の設備はないけどガス栓が設けられていてお湯を沸かしたりはできたみたいね。

ちなみ部屋にはお手洗いも付いていないから共同トイレを利用。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

ドアに貼られた水道局のプレートなども解体当時のまま。

この代官山アパート、空きが出ればすぐに埋まってしまうような人気物件だった為、四畳半ほどの広さにも関わらず単身住居に家族4人で住んでいた方もいたそうよ。

同潤会・代官山アパート(世帯住戸)

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

続いては世帯向けの住居。居室は2部屋用意されていて、台所やお手洗いも完備。

お手洗いは当時まだ珍しい水洗便所が採用されているわ。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

単身住居に比べ広びととしていている室内。

同潤会の始まりが関東大震災なだけあり、避難用の縄梯子を設置したり、玄関扉には防火性を持たせる為の鉄板を巻いたりと地震や火災への対策が取れた住宅になっていたみたい。

蓮根団地

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

続いては、食寝分離の考えを根付かせた「蓮根団地」よ。

ダイニングキッチンのことを「DK」って呼ぶじゃない?この「DK」って言葉はこの蓮根団地から始まったの。

2つの居室にキッチンと食事をするためのダイニングがついた「2DK」のライフスタイルは当時の人達の憧れの生活だったみたい。

そしてこのダイニングテーブルは備え付けで、引っ越しの際に持つていかれないように固定されていたんだとか!

台所の流しは当時主流だった石造りの人研を採用、でも実際は昭和40年頃までにステンレスの流しに交換されていたみたいね。

大卒の初年給が9千円位だった時代、蓮根団地のお家賃は4千5百円だったとか。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

「昭和レトロ好き」としてはこういった黒電話やお茶セットなどの備え付けの小物も見どころだったりするわね。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

居室に飾られたひばりちゃんのカレンダーにテレビ・扇風機などの家電や棚。そこかしこから漂う昭和臭、いいわね。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

ダイニングから居室を眺める。

2DKのこの間取りって何だかんだで住みやすいのよね〜

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

このハンガーに書かれた「住」マーク(まるじゅうマーク)は当時の公団のマークだそう。

公団所有のハンガーのためこのマークが書かれているわ。もしかしたら当時住んでいた人で、引っ越しの際にこういった備品を持って出ちゃう人もいたんじゃないかしら・・・

多摩平団地

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

お次は2階建てのテラスハウスが特徴的な「多摩平団地」

お庭付きの2階建ての住宅は当時の子育て世代に大人気だったみたい。

お家賃はだいたい今の価格に換算すると12万円だとか。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

1階には台所・風呂・トイレ・四畳半の居室、2階は6畳と3畳の居室があるわ、おまけに外には専用のお庭があるってんだからすごいじゃない。

若い夫婦に子供1〜2人だったら十分な広さよね、都市部では核家族が増えてきてこういった間取りの住宅が重宝されてきた時代ね。

そりゃあ子育て世代に人気がでるわよ。

写真が見づらくて申し訳ないけど、流し台の下の空間、これ物入れではなくって座って家事が出来るように椅子を置く場所だったんですって!

でも実際の主婦達は椅子なんて置かずに収納として使っていたみたい。

そりゃあ収納多いほうが良いもんね・・・

急勾配な階段、この感じが正に昭和の住宅って感じね。

晴海高層アパート

最後はル・コルビュジェに師事したモダニズム建築の旗手・前川國男が設計した「晴海高層アパート」。

公団初のエレベーターが採用されていてるんだけど、停止するのは1.3.6.9階のスキップフロア形式。

國男的には将来は上下階隣の部屋をぶち抜いてダンスフロアーのような1つの大きな空間として使えるようにしたかったみたい。そのため住戸の壁はコンクリートブロック造りにして簡単に取り外せるようにしたんですって!

まぁ結局一度もそういった使われ方はされずに解体されてしまったんだけれども・・・

そんな國男のアイデアも人が住んでいる間は実現しなかったんだけど、平成9年の解体時に床やコンクリートブロックをぶち抜いて一応は再現させたみたい。

その他にも國男は1階は住居を設けずにピロティーにして人が集まるスペースとして使いたかったみたいなのよ。でも公団的には住宅難解消のため沢山の居住スペースを確保したかった為、建築後に住居スペースを付け足されてしまったんだとか・・・

國男・・・無念・・・

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

間取りはこちらも2DK、お家賃は今の価格で大体26万円程。

70年代前半までは社会的地位の高いセレブが結構住んでいて、外には黒塗りの高級車がズラリと並ぶ光景も見られたんだとか!

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

畳の幅と襖の幅を合わせたり、ひとつの窓枠を障子の枠4つ分に収めたりと細かい工夫がいっぱい!

居住空間を広く見せるため配管はむき出し。

この配管はダイニングにあるため、食事中に上の階の人がトイレに行ったら配管から流れる水の音がダイレクトに聞こえたとか・・・

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

また空間を広く見せる工夫で欄間がガラス張りに!

随所に國男のモダニズム建築のこだわりが垣間見れて楽しすぎる!!!!

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

キッチンの流し台はステンレスのプレス加工の物が初めて採用。

この開発秘話はNHKの「プロジェクトX挑戦者たち〜妻へ贈ったダイニングキッチン〜」として放送していたので観ていた人も多いんじゃないかしら?

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

こちらはエレベーターが停止しない階の廊下と共用部分。

住民同士のコミュニケーションスペースとし開放するため、廊下は広く取られ、スペース確保の為住居の玄関ドアは引き戸になっているわ。

ただ、この共用部分がこどもの遊び場と化し、自転車やローラースケートの騒音に発展した為すぐに利用禁止になってしまったんだとか。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

そしてこちらは廊下に設置された電話端子。

当時はまだ家庭の固定電話が普及していなかったためアパートには電話交換室が設けられており、電話が架かってきたら各家庭にアナウンスやブザーでお知らせし、この電話端子に内線で転送してお話したんですって。

昭和40年代に入ると、固定電話が普及し始めこのシステムも廃止になったんだとか。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

実際に使われていたエレベーターも展示。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

停止階である1.3.6.9階のみボタンが配置されたエレベーター。

そしてエレベーター内部の落書きも当時のまま。

70年代前半ぐらいまではセレブ御用達の高級アパートだったからこんな落書きもなかったんだけど、80年代に入ると老朽化や、時代的に手狭になったこともあり住民の層も変わったみたいなのよ・・・

で、こんな落書きも増えていったみたいね。

ちゃんと落書きの定番である「バカ」と「SEX」がある所がポイント高いわね。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

晴海高層アパートの案内図。

複雑!当時は迷う人もいたみたいでアルバイトの案内役や当時珍しかったエレベーターを操作するエレベーターガール的な運転係を雇っていたんですって。

昔芸人の青木さやかさんのネタで「団地でエレベーターガールをする女」なんてのがあったけど、正にそれがネタではなかった時代ね。

集合住宅歴史館 昭和レトロ 住宅

そしてこの「歴史展示棟」の外には晴海高層アパートにあった螺旋階段が設置されているわ。

2階の住人はこの螺旋階段をつかって部屋までアクセスも可能だったようね。

集合住宅歴史館が赤羽に移転するに伴って、この螺旋階段も解体して運ぶらしいけど、解体も組み立ても手探り状態でとっても大変みたい。

下手したら解体して組み立てられない、なんてことにもなっちゃったりして・・・・

無事に赤羽に展示される事を願うのみね。

見学を終えて

本来展示棟の見学の時間は90分程度なんだけど、今回見学時間を30分以上オーバーして見学させていただけたわ。

ここに書いたレポートもほんの一部よ、一部。

実際に行ってみると興味深い展示がたくさん見られるし、勉強になるお話もたくさん聞けるわよ。

赤羽に移築するから見られなくなるわけじゃないけれど、北八王子で見られる時に見ておくのもオススメよ。

ちなみに移転先は東京都北区赤羽の赤羽台団地。

この赤羽台団地には団地界のスター・その名も「スターハウス」も現存していて、施設が移築するに伴い「スターハウス」の内部も見学できるようになるんだとか!

移転したあとも大注目の施設になること間違いなしね☆

⬆移転先の赤羽台団地にある「スターハウス」

※八王子の集合住宅歴史館は、現在は閉館しています!2023年に赤羽台団地に移転しました!

⬇オープンした赤羽台団地の「URまちとくらしのミュージアム」についてはこちらを御覧ください★

場所

八高線・北八王子駅から徒歩10分

東京都八王子市石川町2683−3

JR八王子駅から八高線に乗り換えて隣の駅が北八王子。

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