新宿から総武線に揺られること30分。藤まつりや梅まつりなどで知られ、花の天神様として親しまれる江東区亀戸にある亀戸天神にやってきました。
亀戸天神はお花も素敵なんだけど、学問の神様でお馴染み藤原道長公が祀られているというありがた〜い神社。人類史上稀に見る頭の悪さを誇る筆者は必至でお参りするわよっ☆
と、まぁそんな筆者御用達の亀戸天神ですが、その裏手にはかつて大人の欲望渦巻く色街が存在していたの。その規模は戦前の玉ノ井と並ぶ都内最大級だったようで、天神参とともに様々な欲望を満たす大人の遊園地として発展していったそうなのよ。
現在は閑静な住宅地になっているものの、当時の面影を探しに亀戸天神裏のかつての色街跡をただ歩いて来た様子をお伝えするわネ。
【大人の遊園地】亀戸天神裏の色街と赤線の歴史
まずは現場を歩いていく前に、亀戸天神のすぐ裏手になぜ色街ができたのか、その成り立ちと歴史を少し見ていきましょ!
元々この地が色街として発展していったのは、江戸時代に亀戸天神の参拝客目当てに茶屋や料理屋などができていったのが始まり。その中には女性を置く店も現れ、私娼があつまる岡場所として発展していったの。江戸時代はなんてったって神社詣でが行楽の中心ですもの、人が集まる場所にはまぁそういうお店もできていくわよね。
その後明治38年(1905)に芸者置屋・割烹・待合の営業が許可された三業地に指定。「城東花柳街」と命名されたわ。
中には春を売る芸者がいたり、料理旅館や銘酒屋の看板を掲げる私娼屋も並んでいて、亀戸天神裏一体は「亀戸遊園地」と呼ばれるようにもなったみたい。さながら男たちの欲望を満たす、大人の遊園地のような場所だったのね。
江戸時代から色街としての基盤はできていたものの、この街がより大きく色街として発展したのは大正12年(1933)に発生した関東大震災がキッカケ。
当時浅草に日本一の高さを誇る凌雲閣という建物があったわ。凌雲閣には日本初のエレベーターが設置され、観光スポットとして賑わっていたの。観光地で人が集まるということもあり、いつしか凌雲閣下には数多くの銘酒屋が軒を並べるようになったいたわ。
そんな銘酒屋街が関東大震災で被災。復興に際して、浅草では銘酒屋の再建が許可されず、業者たちは亀戸遊園地に店を構えることとなったの。被災した業者は亀戸以外にも、永井荷風の「濹東綺譚」の舞台となった玉ノ井にも移転し、共に私娼窟として発展することとなったわ。
あ、ちなみに銘酒屋とは、居酒屋の業態を取ってはいるものの、密かに私娼を抱えて商売しているお店のことね。
戦前まで私娼窟として発展していった亀戸遊園地。当時は日立や紡績工場の東京モスリン、セイコーの時計工場が近くにあり、勤め人や労働者の若いお客さんで賑わっていたんですって。
どうしても現代だと「濹東綺譚」の影響もあり、玉ノ井の方が知名度がありそうだけど、当時の規模としては亀戸遊園地の方が大きかったのだとか。一節によると私娼の数は2000人ほどいたそうよ。
ただそんな賑わいを見せていた亀戸遊園地も、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で全焼してしまうの・・・その後業者たちは、立石や小岩などに移るものも多く、亀戸遊園地は規模を縮小して営業。戦後は赤線に移行して、昭和33年(1958)の売春防止法の実施日まで営業を続けたわ。
ただ、戦後の赤線時代は戦前に比べて規模も小さかったため、あまり発展はせずに地味な存在だったみたい。戦前のノリで行くとかなりガッカリする場所だったなんて言われているわ。
【花街】亀戸天神裏・三業地帯の名残
それでは亀戸天神裏の歴史が少しわかったところで、早速現地を歩いていきましょ。
亀戸天神の裏手に回ると、ここがかつて三業地だったことがわかる建物が散見されるわ。
写真は現在「亀三天神町会会館」として使われている建物。この建物はかつて、三業組合の事務所である見番として使われていたのだそう。
「亀三天神町会会館」がある通りには、その他にもかつては料亭だった建物がいくつか残っているわ。
三業地として「城東花柳街」は平成に入るまで続き、同じ通りには花街だった名残を見ることができるわ。とはいえ、近年はだいぶ減ってきてはいるのだけど・・・
【色街・赤線】亀戸カフェー街の古い建物と赤線の名残
花柳街があった通りをさらに北側に進むと、亀戸の赤線カフェー街があった場所にたどり着くわ。
赤線のカフェー建築は残っていないものの、古い建物が立ち並び少し異空間を味わえちゃう。
今は空き家になっている建物も多いわ・・・
このあたりもスクラップアンドビルドが急速に行われていて、そのうちに取り壊されてしまいそう・・・
戦後は赤線地帯として営業していた亀戸天神裏だけど、玉ノ井や鳩の街のように当時のカフェー建築は殆ど残っていないわ。
写真は唯一亀戸でカフェー建築の意匠を見ることができた建物。(Googleストリートビューより。)アーチ型の窓やタイルから、かつての面影を感じることができるわネ。
ただ、この建物も取り壊されており、現在は空き地になっていたわ・・・
亀戸で唯一残るカフェー建築と言われていた建物だったので、こうして取り壊しされてしまったのは残念でならない。最近本当、こういうことが多いわ・・・
ただ、建物は取り壊されてしまっているものの、電柱にはかつての『遊園』の文字が残っている。街歩きをしていると、電柱には昔の名前が出ているので見逃せないわネ。
【色街・赤線】亀戸赤線跡にある個性的な昭和建築な店舗
急速にスクラップアンドビルドが行われる亀戸天神裏だけど、まだまだ現役で営業している昭和のお店もあるわよ。
写真は個性的な外観のお蕎麦屋さん「中の茶屋」さん。
増築を繰り返しているのか、かなり個性的な外観。三階建て?四階建て?複雑な構造で、見ているだけでわくわくしちゃうわ。
中に入りたかったんだけど、お昼時で混雑していたため断念。次回は是非お蕎麦をいただきたい!
それにしてもこの辺りはお蕎麦屋さんが多い。
写真に写っているのも今は閉業しているものの、かつてはお蕎麦屋さんであったであろう建物。お蕎麦屋さんが多いのは芸妓さんも食べやすいからか?
こちらも「亀戸やぶ」さんというお蕎麦屋さん。粋な建物が目を惹くわよネ!
ちなみにGoogle Map情報だと一時閉業中になっていたわ。
粋なお蕎麦屋さんの隣には、昭和感溢れる素敵な薬局があるわ。
かつては近隣で働く芸鼓さんや色街で働くお姉さんたちも通ったのだろうか?
「スズキ薬局」の名前とともに、筆者愛用のクラブホルモンクリームの文字も!ホルモンクリームは今でも販売されている優秀クリームなのよ。
レトロな「ごきぶりホイホイ」の看板も昭和!
そしてコチラは現役の理容店「ナグモ」さん。
昭和感が溢れる、石壁と緑の窓枠が素敵すぎる♡
「ナグモ」さんは売春防止法施行後の昭和34年(1959)に、この地に開業した理容店なんですって。
この日は休業日だったけど、今でも現役で営業中よ。
赤線廃止後に開業したお店だけど、素人目には洒落た外観に少しカフェー建築っぽさを感じてしまう。
「ナグモ」さんの隣にある建物も、昭和感が漂っていて素敵!
【色街・赤線】江東天祖神社にある当時の遺構
そして「ナグモ」さんがある通りの奥には、雰囲気満点の江東天祖神社があるわ。
この神社ではここがかつて「亀戸遊園地」と呼ばれていた事を示す、玉垣を見ることができちゃうのだ!
ちなみに江東天祖神社の境内にある太郎稲荷神社は、樋口一葉の「たけくらべ」に登場する神社でお馴染み。主人公の美登利が商売繁盛の願掛けにきてるそうだけど、筆者が「たけくらべ」を読んだのが遥か昔のこと過ぎて全く覚えていない・・・
亀戸天神の道真公に願掛けしても、そうそう頭の悪さは治らない模様。
まぁそんなことは置いといて、ここ江東天祖神社には「城東産三業組合」の玉垣が現存。
そしてこちらには「遊園地」と書かれた玉垣も!
いまではすっかり住宅街に変貌を遂げた亀戸天神裏だけど、この地が三業地だったこと、また大人が愉しむ亀戸遊園地だったことが、こうして歴史をひつそりとでも感じることができるのは、とても感慨深いわよネ。
【かつての大人の遊園地】亀戸天神裏の赤線跡を歩こう。
今回は亀戸天神裏にあった「亀戸遊園地」跡を、ただ歩いてきた様子をお伝えしたわ。
すっかり住宅街に姿を変え、当時の建物は余り見ることができないものの、江戸時代から色街としての基盤があったこの地は、歴史を感じることのできる興味深い土地だったわ。
是非皆様も歴史を感じつつ「亀戸遊園地」跡を歩いてみてはいかがかしら?
現在の亀戸遊園地は住宅街で多くの人々が暮らす場所です。住民の方の迷惑にならないように、ひっそり、静かに見学してしましょう!
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