昭和の歌謡界に数々の名曲を残した、偉大なる作詞家・阿久悠先生。先生の事をあまり知らない人でも、先生の作詞した曲を聞けば、必ずいくつものフレーズを口ずさめる人は多いと思うの。
そんな世代を問わず愛され親しまれてきた、阿久悠先生の記念館が明治大学にあるって知ってた?
今回は明治大学にある「阿久悠記念館」に行ってきたからレポートするわネ!
【アクセス】明治大学「阿久悠記念館」【御茶ノ水駅から徒歩5分】
まずは「阿久悠記念館」までのアクセスをご案内するわネ!
「阿久悠記念館」は阿久悠先生の母校・明治大学の駿河台キャンパスの一角にある、アカデミーコモンに併設されているわ。
最寄り駅はJR中央・総武線/東京メトロ丸ノ内線の御茶ノ水駅。だいたい5分も歩けば到着できるわ。
あとは東京メトロ千代田線の新御茶ノ水駅からだと徒歩8分、東京メトロ半蔵門線/都営地下鉄三田線・新宿線の神保町駅からだと徒歩10分ほど。
「阿久悠記念館」の場所
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1丁目 明治大学アカデミーコモン 地下1階
【入場無料!】明治大学「阿久悠記念館」に行こう!
明治大学のアカデミーコモンの地下一階に降りると「阿久悠記念館」に到着!さぁ入場料を払って中に入りましょう〜・・・・とか思うじゃん?
なんと阿久悠記念館は入場無料よ!
筆者が通っていた学校に併設した博物館は生徒以外からは金をとっていたわよ・・・明治大学は流石学力も高いだけあり太っ腹よネ。でも偉大なる阿久悠先生の記念館ですもの、入場料が無料なんてなんだか申し訳ない気もするわ・・・
入場料が無料なだけあり、受付がないため自分で入館記念カードを記入し回収箱に投函。
ちなみに「阿久悠記念館」と同じフロアには、拷問器具などが展示されたマニアに人気のスポット・「明治大学博物館」もあるので、そちらにお越しの方も入館記念カードを記入して入場しましょう〜。
入場料が無料なのに、ロッカーまでついた至れり尽くせっぷり!これはありがたき幸せネ。
【場内】明治大学「阿久悠記念館」【撮影禁止】
入口には阿久悠先生が作詞したレコードのジャケットが飾られなんだかワクワクしちゃうわネ♡
さぁ〜それではいよいよ「阿久悠記念館」の内部に潜入よ!・・・・でもココでひとつ注意を・・・
阿久悠記念館の場内は撮影禁止!
中には先生の貴重な直筆原稿や資料、レコ大のトロフィーなど興味深いものがいくつも展示されていて、写真を撮りたくなってしまうんだけど、貴重な故、撮影は禁止なのでしっかりルールを守って鑑賞しましょう!!
中の写真は撮れないけど、入口の撮影はOKとのこと。
阿久悠作詞/小椋佳作曲の「古城の月」の一節が書かれた入口。この詩以来、阿久先生はこの四行詩を気に入り自身の著書などで度々使っていたわ。「阿久悠記念館」の顔として入口に展示されているのも納得。
そして圧巻の阿久先生が作詞したレコードジャケット。いや〜っ!!全部口ずさめるんですけど!!
なんと、阿久先生が生涯で作詞したの歌は5000曲以上!アイドルから演歌まで幅広く、全く違うテイストの歌詞を書くって天才すぎるわよね。
おんなじアイドルくくりでも、ピンクレディーと岩崎宏美さんや淳子ちゃんの詩のテイストって全く違うじゃない?あんなにステキな言葉が次々に思い浮かべられるって、どういう思考回路だったのか語彙力と表現力のない筆者には想像も出来ないわよ・・・
そして筆者は阿久先生と言ったらやっぱりジュリー♡
昭和50年(1975)に発売された「時の過ぎ行くままに」は、ジュリー主演のドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌。
「悪魔のようなあいつ」は、阿久先生が原作を担当し、先生の盟友である上村一夫先生が作画を担当した漫画。それをジュリー主演でドラマ化という天才があつまりに集まった、夢のような作品なのよ。あ〜しかも監督が伝説のプロデュース久世光彦氏というね、なんかもう豪華すぎるのよ。
そして今や日本を代表する名バイプレーヤーとして活躍する、岸部一徳さんは「悪魔のようなあいつ」から俳優に転向。すでにいい味出しているという才能っぷりにもビックリよ。
とスミマセン・・・話が脱線してしまったわ・・・まぁかなりぶっ飛んだ内容なんだけ、ジュリーが尋常じゃない程カッコいいから見てない人は必見よ。
そしていろいろ波紋をよんだ、昭和45年(1970)に発売された「ざんげの値打ちもない」のジャケットは上村一夫先生。
明治大学卒業後、広告代理店に就職した阿久先生はそこで生涯の友となる上村一夫先生と出会う。昭和30年代の日本で、時代を作ったふたりが、お互いに無名時代に出会い過ごしたと思うとドラマよね〜。
⬇阿久悠先生のの自伝的長編小説「無名時代」。広告代理店自体の体験をベースにしていて、上村一夫先生は『上川』という登場人物のモデルになっている。
何者かになろうともがき悶々とする青春小説で、筆者は若い頃読んで見事に影響されたわよ・・・
で、やっぱり忘れちゃいけないピンク・レディー!阿久悠先生が企画した「スター誕生」に合格し、昭和51年(1976)にデビュー。
昭和53年(1978)に発売された「サウスポー」は、初めに作られた楽曲はかなりミディアムテンポで、歌詞も全く違ったものだったとか・・・レコーディングまで終えた段階で、ディレクターの飯田久彦氏の「これまでの作品に比べ、勢いがなく、面白みがない」との判断でイチから作り直したという伝説の一曲。短時間で名曲を作るって、もちろん阿久先生もすごいんだけど、作曲の都倉俊一先生も天才すぎるわよ。
【展示内容】明治大学「阿久悠記念館」【場内図】
と・・・まぁ入口だけで一晩飲み明かせそうなぐらい語りたくなってしまうんですが、続いては場内をみていきましょう〜!
と、言っても先程も書いたように、場内は撮影禁止。
場内図をチラッと合わせて、展示内容を案内するわネ!
コーナー1:阿久悠と明治大学 |
コーナー2:生きっぱなしの記 |
コーナー3:歌もよう・人もよう |
コーナー4:阿久悠の書斎 |
コーナー5:特別展示 |
コーナー6:明大歌謡史の系譜 |
コーナー7:阿久悠の歌 |
場内は上記7つのコーナーに分けられており、阿久先生の生涯を振り返る関連資料や、直筆原稿、レコ大などの音楽シーンで獲得したトロフィーなどが展示されているほか、なんと阿久先生の仕事場である宇佐見の自宅書斎を再現したコーナーもあり!
中はそんなに広いわけではないんだけど、かなり貴重な資料もあって見ごたえは充分。貴重な資料が沢山あり、昭和歌謡の歴史を感じ取れる充実展示には感涙しちゃうわよ。
【昭和が生んだ偉大な作詞家】明治大学「阿久悠記念館」で昭和歌謡にひたろう♬
今回は明治大学にある「阿久悠記念館」に行ってきた様子をお伝えしたわ。昭和が生んだ偉大な作詞家・阿久悠先生、時代を作った男の数々の功績と、偉大さを学べる貴重な記念館だったわ。
展示を見た後は、阿久悠先生の作った数々の名曲を聞きながら帰路についたわよ。思わず口ずさんでしまう名曲たちは、きっと時代が進んでも歌い継がれていくんだろうなぁ・・・
みなさまも阿久悠先生の作った名曲を思い浮かべながら、先生の功績を学びに「阿久悠記念館」に行ってみてネ!
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