新宿からJRの中央特快に揺られること40分、東京都の西端にある大都会・八王子。
八王子は江戸時代から宿場町として栄え、明治以降は織物産業で繁栄してきた街。それだけでなく、群馬などから運ばれた絹織物を横浜に運ぶ中継地点として、多くの人で賑わう街として発展してきたわ。(八王子駅から出ているJR横浜線や八高線は、元々絹織物を運ぶ目的で建設されている。)
まぁ、そんなに人が集まる都市ですもの、人が集まる場所には色街ありよ。ここ八王子にもかつて田町遊郭と呼ばれた色街があったわ。
そしてそんな田町遊郭の跡地には、現在でも戦前に建てられた妓楼建築が残っているのヨ。しかも戦前の妓楼建築が残っているのは、都内ではここ八王子のみという貴重っぷり!
今回はそんな戦前の妓楼建築を見るために跡地に行ってきた様子と、田町遊郭の歴史をレポートするわネ!
【八王子】田町遊郭の歴史【遊郭・赤線】
田町遊廓の跡地に赴く前に、その成り立ちと歴史を少しみていきましょ。
田町遊郭が出来たのは明治30年(1897)。八王子駅から北へ1.5キロほど進んだ、浅川の手前に存在したわ。
元々八王子は宿場街として発展していたため、明治時代に入っても甲州街道沿いには飯盛女を置く飯盛旅籠が点在していたの。冒頭でも少し書いたけど、当時の八王子は絹織物産業で潤っていて、シルクロードの中継地点としても多くの人で賑わっていたわ。
そんな賑を見せていた甲州街道沿いの飯盛旅籠が、明治30年に火災にみまわれ焼失してしまうの。消失して行き場が無くした飯盛旅籠を、浅川手前の土地に移転したことで田町遊郭ができたってわけ。
元々この浅川手前の土地は、田んぼしかない場所だったため移転もしやすかったのだそう。そして「田町」という名も、田んぼしか無い土地のため名付けられたものなんですって。も〜なんというか、安直なネーミングセンスよね。
移転した田町遊廓は横150m・奥行き110mという、少しこじんまりとした遊郭だったわ。入口には御影石で作られた大門が建っており、遊郭の周辺は1.2mほどの側溝で囲われていたの。写真は現在のものだけど、当時の大門があった通りはいまも広い道路が通っているわ。
この広く取られた大門通りを中心に20件ほどの妓楼が並んでいたのだそう。以下にウィキペディアに載っていた明治32年の妓楼の並びを載せておくわ。
大門から入って左側手前から大黒楼・道米楼・但州楼・角勢楼・大桝楼・武蔵楼・尾張楼・栄太楼・大川楼・亀万楼・紅葉楼(手前から1-11番地)が並び、右側手前から但清楼・楓楼・福万楼・桝万楼・弥生楼・藤本楼・大万楼・今万楼・大和楼(奥から12-21番地)が並んでいた
引用:ウィキペディア
当時は娼婦・技芸を併せて222名ほどが働いており、大門通りの左端には警視庁管轄の病院も設けられたいたわ。ただ、田町遊郭の衛生設備はかなり整っていたため、訪れるのは八王子市中町にある花街の芸者が多かったみたい。
そんな田町遊郭は繁盛を続け、明治42年(1909)の記録によると、八王子の地方税の内約3割が遊郭から納められた税金だったのだとか!
当時田町遊郭で働いていた女性たちは、東北の飢饉で農家から売られてきた者が多く、親から安値で売られる少女も多かったみたい。そして田町遊郭の繁栄とは裏腹に、遊女たちの暮らしはかなり質素で厳しいものだったのだとか・・・まだ年端も行かぬ少女達が、親の借金を背負って働いていた事を考えると胸が苦しくなってしまう・・・
そして昭和に入り太平洋戦争が始まると、八王子市も空襲の被害を受けることになる。ただ昭和20年(1945)8月2日の八王子空襲で市街地の80%が焼失する中、田町遊郭は被害を逃れることができたの。
空襲の被害を受けなかった田町遊郭は、終戦後の昭和20年(1945)9月から米軍に占拠されることになるわ。ただ、働いていた遊女たちは疎開などで復帰しておらず、遊郭の機能を殆ど失っていたの。そのため、相模ダム建設の従事者をお相手していた女性などを集め、使える建物を急ごしらえで直し営業を再開しと言われているわ。
こうして再開した田町遊郭に通うため、八王子駅北口から大門までの間にアメリカ兵の長い行列ができていたそう。そもそも八王子空襲で田町遊郭が被害を受けなかったのは、アメリカ軍が戦後に占領することを視野に入れていたのではないか?などとも言われているわ。
同じ女性として少し複雑な気持ちになるのだけど、空襲の被害を受けなかったからこそ、田町遊郭で働く女性たちが、市民の性の防波堤になっていたという側面があるのよね・・・そしてまた働いていた女性たちの大部分は、生きるための選択だったことを忘れてはいけないわ・・・
その後昭和21年(1946)3月にGHQが特殊慰安施設のオフリミットを言い渡したことにより、田町遊郭は赤線へと移行。一応は昭和33年(1958)4月1日の売春防止法施行まで営業はしていたものの、あまり赤線としては発展しなかったのだそう。
空襲で焼失しなかったことや赤線として発展しなかったことから、田町遊郭には都内で唯一残る戦前の妓楼建築があるというわけね。
【都内唯一の戦前の妓楼建築】八王子・田町遊郭を歩く
田町遊郭の歴史が少しわかったところで、早速実際の現場を歩いていきましょ。
八王子駅から北へ15分ほど歩くと、それまでよりも道幅が一車線ほど広くなった道路が現れるわ。この道が田町遊郭の大門があった通りよ。
周りは閑静な住宅街へと変貌しているものの、ここだけ車幅が広くなるのはあきらかに異質な感じがするわね。
そうそう、戦後米兵で賑わっていた頃は大門の側にテントが張られ、中では衛生検査が行われていたのだとか。
ちなみに、かつて色街だった場所は地名が消滅していることもあるけど、田町は現在でも同じ地名を使っているわ。
【八王子・田町遊郭】戦前から残る妓楼建築・「蓬莱」
さぁ、それでは大門通りを進み、いよいよ戦前の妓楼建築を見ていきましょ!
しばらく大門通りを歩いていると、立派な木造建物が見えてくるわ。そう、この建物が都内で唯一の戦前からある妓楼建築よ。
妓楼だったころの屋号は「蓬莱」という名前だったのだそう。
Google Map上では「福田荘」というアパートの名前で掲載されたいたけど、一部はトランクルームとしても貸し出している模様。
昔は1階部分に中華料理店が入っていたようだけど、今ではその面影はないわね。
それにしても立派な建物。昭和初期頃に建てられたものだろうか??
朱色の格子窓に妓楼の面影が残るわね。
そしてこちらも妓楼の面影を感じる丸い軒燈。
通路らしき場所には洗濯物が干してあり、アパートとして大切に住まわれているのがわかるわ。
それにしても「福田荘」のお家賃はいくらぐらいなのかしらね?(調べても出てこない・・・)ちょっと住んでみたい気持ちもあるけど、風呂なしトイレ共同っぽいから躊躇しちゃうのよね・・・(ネット引けるかも心配。)
そしてこちらは「蓬莱」の裏口。
立派な門で囲われていてかなりの存在感を放っているわ。都内でなかなかこんなに古い板門を見ることはできないわよネ。
屋根付きの板塀もしっかり残っていたわ。
そしてこちらは上から見た写真。こうして見るとかなり奥行きがあり、規模の多きい妓楼だったことが伺えるわね。
木村聡著「赤線を歩く」には屋根全体が朱色の瓦で出来ていた写真が掲載されているけど、さすがに今は張り替えられてしまったみたい。
古い建物なので所々に補修した跡なども見て取れるケド、歴史を伝えるためにもこのまま取り壊さないでいてほしいと思ってしまう。
【八王子・田町遊郭】「ばろん」(?)
そして「蓬莱」から大門通りを少し進むと、またまた立派な木造建築に出くわすわ。
こちらもかつては妓楼であったであろう建物。立派な門構えは只者ではない雰囲気じゃない!?
現在は民家として使われているみたい。
立派な黒塀が続き、こちらもかつてはかなりの規模の妓楼だった事が伺えるわネ。
塀にはかつての屋号だろうか、「ばろん」?の文字が刻まれていたわ。赤線時代の名前だろうか??
【八王子・田町遊郭】「八百福」
そしてもういっちょ、大門通り沿いに立派な木造建築を発見。
こちらもかなり立派な黒塀が健在。
「八百福」という屋号が掲げられている。
インターネット情報によると、当時ここ「八百福」は妓楼ではなく旅館だったとのこと。ただ筆者のような遊郭素人は、本当にただの旅館だったのか疑わしく思ってしまう・・・待合とかだったのだろうか??
そしてGoogleストリートビューでは、木造建築の隣に別の建物が建っている姿を見ることができたわ。
現在は隣の建物は取り壊されていて、木造建築がポツンと残るのみになってしまった。
こうして古い痕跡が少しずつ減っていってしまうのね・・・
【八王子・田町遊郭】住宅街に残る古い民家
これまでは妓楼建築(とその疑いがあるもの)を見てきたけど、田町遊郭跡には民家らしき古い建物もいくつか残っているわ。
写真は「蓬莱」の裏にあった、門構えが立派な民家。
なんだか物語に出てきそうな雰囲気で素敵すぎる!
今は空き家になっているようだけど、こんなに素敵な古民家に住んでみたいわネ!玄関前にあるのは井戸かしら???
そしてこちらは大門通りにあった民家。
空き家になっていて、お庭は雑草で溢れかえったいたわ・・・
お庭にはひっそりとお稲荷さんが祀ってあった。趣深い。
そしてこちらは大門通りのどんつきにある古い民家。ちょこんと屋根に乗った、2階部分が個性的。
こちらは空き家ではなく人が住まわれていたわ。
そしてこちらは田町遊郭の一番奥側にあった民家。おそらくこの辺りには、かつて病院があったと思われるわ。
なにかやってたんじゃないか?と思わせる、雰囲気のある門構え。少し色街の風情を感じる外観で、赤線時代は何かやっていたのだろうか?(妄想)
そして最後に紹介するのが、このあたりで人気の古民家カフェ「カキノキテラス」さん。
Googleのレビューは600件超えで☆4・2(2023年10月現在)という、超絶人気の欧風カレーがいただけるお店よ。
場所は先程紹介した妓楼「ばろん」の隣に位置しているわ。
築年数が100年以上という古民家をリノベーションしたお洒落カフェ。
もちろん筆者もお邪魔してきましたヨ!
「カキノキテラス」さんでは、こんなにボリューミーで素敵なカレーがいただけちゃうの♡
今回筆者が注文したのはチキンカツ&夏野菜カレー(ドリンク付きで¥1590)
素材が生きた夏野菜の素揚げやチキンカツが、まろやかな欧風カレーにマッチしてバッチグーな美味しさだったわよ♡
田町遊郭散策のお供に「カキノキテラス」でお食事するのがオススよ☆
【八王子・田町遊郭】都内で唯一!戦前の妓楼建築を愛で歩こう!
はい、今回は八王子にある田町遊郭を散策してきた様子をお伝えしました。
空襲の被害を受けなかったことから、今でも都内で唯一戦前の妓楼建築を見る事ができる田町遊郭。色街には往々にして悲しい歴史が含まれるものだけど、当時の建物を残し多くの歴史を風化させないことも大切なのではないかと思ったわ。
皆さんも少しでも歴史や背景を考えながら、田町遊郭を散策してみてはいかがかしら?
☆★田町遊郭は現在住宅街になっています。散策する際は近隣の方々の迷惑にならないように、静かに楽しく見学しましょう!★☆
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