
近年では多くの漫画やドラマの舞台にもなり、郊外の住みやすそうな素敵な街として人気の立川。近隣には昭和記念公園やIKEA、少し離れるけどららぽーとまであるときちゃあ住みたくなるのも頷ける。
昭和記念公園をうろうろしているとさぁ、幸せそうなファミリーやカップルがたくさんで、彼らとぼっちの筆者が同じ世界線の住人なのか疑ってしまうよね。
と、まぁ(?)そんな賑わう昭和記念公園も、戦前は陸軍の立川飛行場として使われ、戦後は米軍の軍事運輸基地として接収されていたわけですよ。
そんな歴史のある街ですもの、かつてはあったのですよ、赤線が。しかも2つも。
今回はそんな住みたい街としても人気の立川にかつて存在した、「錦町楽天地」と「羽衣町楽天地」という2つの赤線跡を散策してきたわ。
と、いっても今ではその痕跡もほとんどなく、ただの住宅街になっているので、カフェー建築を見て回るとかのノスタルジー的なものは絵的には一切ないのだけど。
【立川赤線跡】「錦町楽天地」と「羽衣町楽天地」の歴史

赤線跡を歩く前にまずは場所と歴史をチェックしておきましょう。場所はだいたい赤丸で囲んだあたりよ。(かなり大雑把だけど)
ちなみに今回は2つの赤線跡に加え、当時は米軍相手の店がかなりあったという「シネマ通り」も歩いていこうとおもうわ。

冒頭でも触れたように、立川の赤線の歴史は陸軍や米軍基地と共に発展してきた。
大正11年(1922)に現在の昭和記念公園がある土地に陸軍飛行場が開設、そうなってくると人も集まり色街ができるっていうもの。昭和3年(1928)には錦町一丁目に料理や置屋がそろう二業地ができ、その後は羽衣町にも広がり発展していったわ。
どうやら戦中に洲崎遊郭の疎開先として「錦町」に複数の業者が入り、その後昭和19年(1944)に洲崎から移ってきた業者により開かれたのが「羽衣町」なのだそう。
“だそう”なのはちょっとこの辺りの歴史が、読む本や諸先輩方のブログとかの表現がまちまちでちょっと曖昧。「錦町」が洲崎の業者が開いた説や「羽衣町」が洲崎の業者が開いた説、いや両方洲崎が開いた説があり、どれよ!と・・・・まぁね、といいつつ洲崎の業者ってやっぱスゲーで、一応着地しておく・・・・(ちゃんと調べろ!)

そして戦後、立川飛行場は米軍に接収され軍事輸送基地と使用されることとなる。そうなってくると、米軍の駐留にともない錦町周辺は米軍向けの特殊慰安施設(RAA)が設置されるわけですよ。
そしてRAAの解体後の昭和21年(1946)以降は赤線として発展してゆく。まぁ、以後も米軍相手のお店が多かったみたいで、「錦町」周辺は白人兵、「羽衣町」には黒人兵が多く通っていたのだとか。
【立川赤線跡】「錦町楽天地」を歩く

はい、ではざっと場所と歴史をみてきたところで、いよいよ現地を歩いてゆきましょ!
立川駅から10分〜15分歩くと、かつて赤線で栄えた錦町一丁目付近に到着。とはいえ、マンションなどが立ち並ぶ住宅街になっており、当時の面影はナッシング。

かろうじての痕跡としては、この電信柱にかかる「楽天地支」の文字ぐらい。
まぁ、これがテンション上がったりもするのだけどね。

おっ!なんかかっこよい古い建物も発見!ガレージ部分がかつては何かのお店だったのだろうか?

ほとんど住宅に成り代わっている中、ぽつんと一軒の飲み屋さんを発見。
数年ほど前までは数件の飲み屋さんが連なり、唯一の面影を残していたのだけど、いまでは飲み屋はさんこの一軒のみとなってしまっている。

ちなみに今その場所は駐車場となってしまっている・・・・ここ何年かで昭和の面影は殆どなくなってしまってゆくのよね、本当、ココ最近はそれが顕著すぎるのよ。

一応こちらが在りし日の姿。バッチリ2020年のgoogleマップには残っていたわ。
いろんな書籍や諸先輩方のブログにもよく登場するスポットだったのに、筆者は一足遅くカメラに収めることができなかったわ・・・・残念すぎる・・・・

本当に普通の住宅街になってしまっているため、撮る写真も殆ないのよね・・・・とりあえずなんかかっこよき廃ビル(?)があったのでぱしゃり。
【立川赤線跡】「羽衣町楽天地」を歩く

住宅街を悠長にうろうろしながら写真を撮っていると、確実に変質者と間違われそうなのでそそくさと次に参りましょ。
南武線の線路を渡り、続いては「羽衣町楽天地」に向かいます。

「羽衣町」の方は「錦町」よりもさらに痕跡はない。
閑静な住宅地といった感じで、新しげなマンションが綺麗に建ち並んでいるわ。まるでかつてここが、赤線だった歴史を上書きするように。

かつての立川にはパンパンと呼ばれる米兵相手の女性たちが、3千人〜5千人ほどいたと言われているわ。ここいら一体に彼女たちがいた面影はないものの、生きるために生き抜いた彼女たちの存在は忘れてはならないと思うの。
そんな彼女たちのことを思うとなんだか胸がぎゅっとなるのよ。だって米兵からはイエローストール(黄色人種を指すイエロー+便器の意味ね)とか呼ばれてたんよ。小並感の強いことしか言えないけど、金払いもよい米兵たちに対して強かに立ち回ったとしても、すんごい悔しかったし辛かったと思うのよ。

なんかさ、赤線跡とか巡っているからこそ、彼女たちのことも忘れたくないのさね。なんてことを考えながら、またここもあまりウロウロもしていられないので、次の場所へ向かいます。
【立川】「シネマ通り」を歩く

続いては赤線跡ではないのでけど、戦後米兵相手のお店が多くあったという「シネマ通り」に足を運んでみましょう。
「錦町」「羽衣町」の赤線地帯は立川駅の南口にあるのに対し、「シネマ通り」は北口側。基地が北側にあったこともあり、さぞ賑わっていたののでしょう。

あ!あと全然関係ないんだけど、南口から北口へ向かう高架手前に、漫画「聖☆おにいさん」でおなじみのあの「オニ公園」があるのよ!

まごうことなく漫画に出てくる「オニ公園」だよね。どこからイエスとブッダが出てきてもおかしくないぐらい「オニ公園」。

と、寄り道しつつも「シネマ通り」に到着。名前のとおり、かつてこの通りには「立川キネマ」という映画館があったの。

大正11年(1922)に陸軍飛行場が開設して以来、軍関係者や労働者の娯楽の場所として、大正14年(1925)立川初の映画館として「立川キネマ」が誕生。
基地からもわりと近いためなのか、戦後は米兵相手のお店がかなり乱立していたのだそう。
ちなみに「立川キネマ」は昭和51年(1976)に廃業しており、現在このあたりに映画館はない。いまでは立川にはいくつかのシネコンはあるけど、映画館が街からなくなるって寂しいよね・・・・

住宅が建ち並ぶ中にもぽつぽつと飲み屋さんなどがあり、「錦町」や「羽衣町」の赤線跡と比べたら、まだ痕跡のようなものは感じる。

「恋子」
スナックのネーミングセンスって、微妙にダサエロさを感じてよいのよね。

とんでもなくかっこよい建物。かつてはバーなんかやっていたのかしら?(妄想)

マンションなどの新しい建物の増えているからか、こういう味のある建築物が健在だとテンションあがるねぇ〜。

諸先輩方のブログなんかによると、10年前ぐらいまではカフェー建築な建物も健在だったようなんだけど、いまではほとんど見ることはできなくなってしまっている。

お〜っと!この建物はっ!諸先輩方のブログでもよく登場する、カフェー建築な建物ではないですか!
ご顕在の姿を拝められ感動、感動、感動!

どんどん変わりつつある街の景色の中で、当時の面影を残す貴重な存在。この景色がいつまで残るかわからないけど、少しでも長く歴史を伝えてほしいものよね。(まぁ、筆者のわがままではあるんだけど)
中央線民の筆者はちょいちょい立川に行く機会があり、その都度赤線跡を歩こうと思いつつも、あんまり痕跡がないしと後回しにしていたのよ。
で、今回時間もあったしウロウロしてみたんだけど、やっぱりもう少し早く来たら良かったと少し後悔。だって本当にここ何年かで景色が少しずつでも変わってしまっているんだもん・・・・
あれよね、つくづく昭和の景色を焼き付けるには早いほうがいい、思い立ったときに行動しないとだめよねとしみじみ感じてしまったわ。
☆★現在の錦町・羽衣町・シネマ通りは住宅街になっています。散策する際は住民の方の迷惑にならないように、ひっそりと、静かに、モラルを持って散策しましょう!★☆



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