甲府は、もっとハイカラである。シルクハットを倒
さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである。引用:太宰治「新樹の言葉」より
太宰治は小説『新樹の言葉』で甲府のことをこう記しているわ。
昭和14年(1939)に師匠である井伏鱒二の仲介で、甲府市出身の高等女学校教師・石原美知子と結婚した太宰は、新婚時代の8ヶ月ほどを甲府で過ごしていたの。
この時期は薬物を絶ち、メンタルも安定していた太宰。精力的に執筆活動に勤しみ、冒頭の『新樹の言葉』をはじめ、『富嶽百景』『女生徒』などの中期の代表作をいくつも執筆しているわ。
そんなノリノリの太宰が過ごした甲府の街には、当時の面影がぼちぼち残っていたりする。残っているのであれば、その痕跡を辿るっきゃないでしょ!太宰推しなら!
つーことで、今回は甲府市内にのこる太宰の痕跡を辿るため、街をぶらぶらしてきた様子をお伝えすますヨ☆
さぁ☆レッツ☆聖地巡礼!
【太宰治聖地巡礼】甲府ゆかりの地を歩く!
今回、甲府市内を聖地巡礼するにあたり参考にさせていただいたのが、甲府市HPにある“太宰治ゆかりの地めぐり”マップ。
マップに記載されている通り①清運寺→②喜久乃湯温泉→③太宰夫婦新居跡→④御崎神社→⑤旅館明治の順番で巡ってゆくわネ!
併せてマップに載っていない、ゆかりの場所も紹介してゆくのでお見逃しなく☆
ゆかりの地①清運寺

まず訪れたのが清運寺。甲府市のHPには以下のように案内されていたわ。
太宰が御坂峠の天下茶屋を下り、結婚直前に住んでいた下宿・寿館の前の道は清運寺の参道になっていて、中央には大きな敷石があったそうです。
現在は、アスファルトの道路になっていますが、太宰が執筆の合間に散歩がてら通ったであろうその参道の敷石は、現在、境内の藤棚の下に敷き詰められています。
引用:甲府市HPより

太宰の痕跡が残っているわけではないが、当時このあたりをうろうろしていたかと妄想すると胸熱よネ。

ちなみに甲府市HPの説明文にも書いてある“結婚直前に住んでいた下宿・寿館”は清運寺と目と鼻の先。
当時参道になっていたのであれば、ゆかりすぎるほどゆかりよね。

ちなみにこちらが“寿館”跡地の様子。現在は完全に普通の民家となっているわ。
ゆかりの地②喜久乃湯温泉

続いてやってきたのは、当時太宰が通っていた銭湯「喜久乃湯温泉」
太宰は毎日3時頃まで机に向かい、それから喜久乃湯温泉でお湯につかった後、夕方に自宅に戻り飲むのがルーティンだったみたい。

さすが太宰ゆかりの銭湯、あちこちに太宰関連の張り紙が貼ってあるわ。
残念ながら当時の建物は、昭和20年(1945)7月6日から7日にかけておこった甲府空襲の被害で焼失してしまっている。
それでも、戦後再建された現在の建物もかなりのレトロで雰囲気満点。

ここは太宰気分でひとっ風呂浴びるべく、中に入ってみましょ。
THE銭湯な下駄箱が風情満点!しかも中に入ると「時間ですよ」に出てくるような如何にもな番台があったわよ!
風呂好きの筆者は、近所にあるいくつかの銭湯によく行くのだけど、如何にもな番台って初めてみたのよネ。まるで昭和のドラマのような光景には、ちょっと興奮しちゃったわ。

で!で!流石に中は撮影はできないのだけど、あまりにも素敵な温泉過ぎたのでパンフレットの写真を拝借。
タイルの浴槽がまぁ〜昭和!素敵すぎて、控えめに言っても大好きすぎる♡
そして、泉質も最高でカルシウム・ナトリュウム一硫酸温泉でぽっかぽかの上、カランやシャワーから出るのも源泉の湯という贅沢っぷり!
しかも4つの温度の湯船があり、自分にちょうどよい湯加減を選べるのも嬉しいポイント。

こちらは脱衣所。
も〜木板の広告がまごうことなく昭和過ぎて泣きそうヨ!
素敵素敵素敵〜♡
ゆかりの地③太宰夫婦新居

あまりの昭和な風景に興奮しつつ続いてやってきたのは、「喜久乃湯温泉」からほど近くにある太宰が新婚時代を過ごした住居跡地。
住居は甲府空襲で焼失しており、現在はマンションと駐車場?になっている模様。

一応「太宰治僑居跡」と書かれた石碑が建っており、当時ここで太宰夫婦が過ごした面影を見ることができるわ。

昭和14年の1月からの8ヶ月をここで過ごした太宰。短い期間とはいえ、かなり充実していた生活を送っていたみたいね。
ゆかりの地④御崎神社

執筆の合間に太宰は、自宅近所をよく散策していたのだそう。
中でも自宅から目と鼻の先にある「御崎神社」にもよくお参りしていたのだとか。
神社の由来は甲府市のHPには以下のように記されたいたわ。
御崎神社は、初めは石和(現:笛吹市)にまつられ、武田信虎がつつじヶ崎に館を構えた(現:武田神社)時、館の守護神として、館の三の曲輪に遷座しました。その後、甲府城や城下町の鎮守として現在の場所に移し、まつられています。
引用:甲府市HP

立派な山門。
この山門を見てふと思ったのが、太宰の子供の頃を綴った随筆「思い出」に記されている、子守のたけに連れられ屡々通ったという故郷・金木にある「雲祥寺」に雰囲気が似てる?かも?
・・・・なんて思いつつ、10年ほど前に現地に行った時の写真を見返してみたら、そうでもなかったわ・・・・なんか人間の記憶(というか筆者の)って曖昧よね・・・・
⬇2017年に金木を旅した様子です⬇

ちなみに御崎神社は戦火を逃れており、現在の拝殿は昭和5年に改築されたもだそう。
そう!ということはいま我々が目にする神社は、時を超え太宰も見ていた景色なのだっ!!!もぅ、ヤバい!アツい!(語彙力・・・・)
ゆかりの地⑤湯村温泉郷「旅館明治」

続いてはやってきたのは、湯村温泉にある「旅館 明治」
ここは太宰が執筆のために逗留していた宿。その際に執筆されたのが『正義と微笑』・『右大臣実朝』の2編よ。なかなかの有名どころを書き上げてるってすごくない?

かなり太宰ファンウエルカムなお宿で、館内には「太宰治資料館」なる施設もあるという充実っぷりよ。
⬇「旅館 明治」について詳しくは宿泊記も読んでみてネ!⬇

そして「旅館 明治」からほど近くにある、「塩澤寺」は太宰治の小説『黄村先生言行録』に“厄除地蔵のお祭り”がおこなわれているお寺として登場しているわ。(実際2に毎年2月に塩澤寺厄除地蔵尊大祭がいまでもあるわよ)
ゆかりの地⑥武田神社

続いてやってきたのは、甲府の観光スポット「武田神社」。
甲府市HPの“太宰治ゆかりの地めぐり”マップには載っていないのだけど、甲府といえば武田信玄!甲府に来たのに信玄公を祀る「武田神社」に足を運ばないわけにはいかないじゃない?

というのあるけど、まぁここも太宰のゆかりの地だったりする。
境内には「太宰治の愛でた桜」の看板が!まぁ、甲府に住んでいたのなら、「武田神社」には来ているだろうし桜も愛でるってもんよね。
小説『春昼』は「武田神社」の大祭と桜を見にゆく話なので、まぁ見てるだろうね。

この桜も太宰は見ていたのだろうか?(太宰が見ていた桜が現役なのかは不明)
【太宰の資料もある!】山梨県立文学館

太宰のゆかりの地をめぐり思いを馳せたならば、ぜひ併せて足を運んでほしいのが「山梨県立文学館」
ここは太宰をはじめ、山梨出身の山本周五郎や檀一雄、両親が山梨出身の樋口一葉など、山梨にゆかりのある作家の資料が展示されているわ。

まぁ、正直太宰の展示はそんなに多くないのだけど、太宰が憧れまくっていた芥川龍之介の展示がとにかく豊富!太宰が転生して現代に蘇り「山梨県立文学館」に来た暁には、かなり興奮するに違いないわ。
まぁ芥川は山梨にゆかりはないのだけど(旅行では来ている)、芥川の甥である葛巻義敏が保管していた資料が古書店などを通じて「山梨県立文学館」にまとまって渡ったという経緯があり、資料が充実しているのだとか。
あ!あと、来館日の前日・当日に山梨県内のホテルや旅館に宿泊している場合、拝観料から100円値引きしてもらえるという嬉しいサービスがあるの。その時に受付の方に宿泊先を伝えるんだけど、筆者は「旅館 明治」に泊まっていたため、あきらか太宰推しなのがまるわかりでちょっとむず痒いわ。(考えすぎなんだけど、好きなものアピール苦手なのよね・・・・)
(※館内は撮影禁止です、しっかり守りましょう)
【太宰治聖地巡礼】ゆかりの地をめぐり、太宰に思いを馳せよう!

はい、今回は太宰治が新婚時代を過ごした甲府の街を巡ってきた様子をお伝えしたわ。
甲府は空襲の被害にあっていることもあり、戦前の建物があまり残ってない。それでも太宰の面影を探しながら思いを馳せていると、当時の情景が目に浮かぶような気持ちになってくるから不思議。(それがオタクというものなのか?)
市内から眺める富士山は、形を変えず当時太宰が見ていたままだと思うと、時間を共有している気分になりまた一興。
みなさんも是非、甲府へお越しの際は太宰の面影を探してみては?






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