なかなか魅力的な駅が多いことでも知られるJR鶴見線。
中でも昭和5年(1930)に開業した国道駅は、開業当時の姿を今も残し、昭和の空気が感じられる昭和遺産として、多くの人々に愛され親しまれている駅。
今回はそんな昭和遺産・国道駅を訪問してきたのでレポートするわ。
筆者はおそらく10年近くぶりに訪問したんだけど、あまりの変わらない昭和っぷりに脱帽してしまったわ。
【昭和5年開業】鶴見線国道駅の歴史【昭和遺産】
鶴見線の国道駅を見ていく前に、国道駅の歴史を少しご紹介知するわ。
国道駅は神奈川県横浜市鶴見区にある、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)横浜支社の駅。
開業したのは昭和5年(1930)10月28日よ。
駅名の由来は、鶴見線と京浜国道15線(現在の国道15線)との交差点に位置したため。
”目の前に国道が通っているから”、という単純な理由で名付けられたみたい。なんだかその思考回路、結構好きよ。
国道駅を有する鶴見線は、大正15年(1926)3月10日に元々貨物専用鉄道として、浜川崎〜弁天橋間・大川分岐〜大川間(大川支線)が開業。その後昭和5年(1930)に全線開通・電化と共に、旅客輸送を開始したの。国道駅はその際に開業した駅。
そしてなんと言っても、国道駅の人気の秘密は、昭和5年(1930)の開業以来、大きな改装はされず、当時の雰囲気を色濃く残しているところ。改札の位置は多少変わっているものの、駅の構造自体はまるで変わっていないんだとか。
昨今、東京近郊にある古くから使われている駅舎が取り壊されている中、国道駅は昭和の面影を残す貴重な存在として、近隣住民だけではなく多くの人々に愛され続けているわ。
あっ、そうそう、余談だけど、かなりレトロな駅にも関わらず”横浜市内”にあるので、JRの「特定都区市内」にちゃんと含まれているのでご安心を(笑)
【貴重な戦前生まれの駅舎】鶴見線・国道駅を訪ねる。【昭和遺産】
さぁ、それでは国道駅の歴史が少しわかったところで、いよいよその昭和レトロな姿を拝んでいきましょ☆
【生きる歴史駅】国道駅に残る、機銃掃射の弾丸痕
国道駅の入口である高架下からは、異様なまでの昭和の空気が充満している。
国道15号線に面するメインの入口は、国道駅の南口にあたるわ。
そしてなんといっても、国道駅の見どころは、南口駅舎の外壁にある弾丸痕。
これは第二次世界大戦末期、昭和20年(1945)に、連合国軍による機銃掃射による弾丸痕なの。
戦前からある駅舎なだけあり、戦争の記憶も残す貴重な昭和遺産よね。
銃弾痕の対となる建物も、味があり昭和の空気が充満している。
【まるで異世界の入口!】昭和の風が満たす鶴見線・国道駅の高架下【昭和遺産】
さぁ、それでは国道の南口を入り高架下を見ていきましょ。
一歩足を踏み入れると、空気が変わったような気分になるわ。
まずお出迎えしてくれるのが、昭和のフォントが輝く「神奈川県公認 三宝住宅社」跡。
ずいぶん昔から店舗は営業していないにも関わらず、看板だけは取り外されることなく存在している。
「張紙禁ず」の木製プレートは、かなり歴史を感じる一品。
ビニールの蓋をされ、使えなくなっているものの、昔のゴミ箱からも昭和の面影を感じる。
これはもう、鉄道博物館に展示してもいいのではないかと思うほど貴重じゃない?
国道駅の南口から北口に抜ける高架下は、まるで異世界へ行くトンネルのよう。
柱やアーチ型の梁がとてもモダンでお洒落。開業当時は、先進的でイカした駅だったコトが伺えるわ。
ちなみに設計したのは、日本最初の鉄筋コンクリート高架鉄道の設計者で「通称コンクリート博士」として知られる、阿部美樹志氏。
こちらは昨年まで、国道駅の高架下で唯一営業していた「やきとり国道下」の店舗跡。
「やきとり国道下」が閉店したことにより、現在国道駅の高架下で営業している店舗は0になってしまったわ。
筆者が前回訪れた10年ほど前にはすでに、”廃墟”や”ディープスポット”なんて、ネット上で話題になっていた。昭和の頃はさぞかし賑わっていたのだろう。
薄暗くわくわくする抜け道も、まるで昭和で時が止まったみたい。
モダンな雰囲気漂う店舗の窓。
国道駅は元々、店舗兼住宅として作られていただけあり、当時の高架下は活気に満ちていたのかしら。
ピンと張り詰めた、静寂の美しさを感じるわよね。
まぁとはいえ、国道駅周辺には多くの住宅やマンションが立ち並んでいるため、近隣住民の人々が駅自体は使わなくとも、高架下を通り道として使用している。
国道駅と検索すると関連ワードに、”やばい”とか”怖い”という不穏なワードが並ぶけど、そんな事はないのでご安心を。
国道駅の高架下を抜け、北口方面に出てきたわ。
なかなか味のあるレトロな住宅が並ぶ。
すぐ近くには鶴見川が流れているわ。
こうやって見ると、本当にマンションが多い!この住宅街で、ここまで昭和レトロな異空間を放つ国道駅は、やっぱり貴重な存在よネ。
【昭和遺産】鶴見線・国道駅の改札内
高架下に戻り、続いては国道駅の改札内に潜入していきましょ!
国道駅は、Suicaの簡易改札と乗車証明書の発券機が設置された無人駅。
昭和46年(1971)の国鉄時代には、すでに無人化されていたみたいね。
前回筆者が訪問した時は券売機が設置されていたものの、昨年2022年を持って撤去されてしまったみたい。
券売機が設置されていた場所には、蓋がされポスターが貼られていたわ。
まぁ、これだけ交通系ICカードが普及しているんですもの、無人駅だったら安全面も考えて撤去するのも致し方ないのかも・・・
そして国道駅のホームに上がる手段は階段のみ。
エレベーターやエスカレーターなどのバリアフリー施設は皆無よ。
まっすぐ進むと下り方面、右に行くと鶴見駅へ行くホームに行けるわ。
鶴見駅へ向かう上りホームに行くには、こちらのコンクリートの橋を渡る。
かなりのレトロさに心が踊るわ。
コンクリートの橋から高架下を眺める。
こうやって見るとかなり頑丈なコンクリート造りになっているのがわかるわよネ。
国道駅ができたのが関東大震災のあとのため、耐震構造にも力を入れて作られていたみたい。
このわくわく感は異次元♡
ホームにあがるとこんな感じ。鶴見線2面2線のホーム。
国道駅の高架ホームは、幅も狭くかなりカーブしていることもあって、ホーム上での三脚などを使った撮影は禁止されているわ。
カーブしているがゆえ、いい鉄道写真が撮れそうな気がしないでもないけど、だからこそ撮影禁止は致し方ないわよね。
至るところに、三脚や踏み台での撮影禁止の張り紙が貼ってあったので、それだけ鉄道写真を撮りに来る人も多いのかしら?
あのお馴染みのキリスト教系宗教団体の看板をパロった張り紙も発見。
本当、悔い改めてほしいわよネ。
こうして高架上の国道駅ホームから周囲を眺めると、高くそびえるマンションが数多く立ち並ぶ。
人々が現代の生活を送り営む中、国道駅は昭和の面影を残し、歴史を紡いでいると思うと、胸が熱くなるわよネ。
【国道駅の入口!】鶴見線・鶴見駅のホームも昭和レトロ!
そしてついでといっちゃなんだけど、国道駅の入口となる鶴見線の始発駅・鶴見駅のホームもかなりの昭和レトロなので少しご紹介するわ。
ひっそりと飾られる「鶴見線80周年までの足跡」。歴史好きや鉄道好きにはかなり面白い年表なのに、あまり目立たない場所に掲示されているのが悲しい・・・
しかも、鶴見線が開業したのが大正15年(1926)なので、80周年って2006年の出来事だからね・・・2026年にはついに100周年を迎える、鶴見線。その時にはアップデートされた盛大な年表を作ってほしいものよネ!
かなりのいぶし銀っぷりを発揮する、木製のロングベンチがよき雰囲気。
SEIKOのレトロな時計。
この時計は、昭和34年(1959)に始まった帰国事業で、鶴見から北朝鮮へ渡る人々が寄贈したもの。今も現役で使われ、時を刻んでいる。
向かいのホームへゆく階段も、昭和の空気を存分に纏っているわ。
低めの地下階段も、まるで異次元へつながる階段みたい。
まぁちゃんと現実のホームへ出られるんだけど。
ちなみに、鶴見駅の公式キャラは「つるっく」です。
JRの各駅にわりとオリキャラいるけど、だいたいゆるすぎるぐらいゆるきゃらよね(笑)
【昭和遺産】鶴見線・国道駅で昭和異空間を堪能しよう!
今回は昭和の雰囲気を残した、鶴見線・国道駅をご紹介したわ。
周辺にはたくさんの住宅やマンションが立ち並ぶにも関わらず、国道駅は時が止まったような昭和の空気が残る、素晴らしい昭和遺産よね。
最近では再開発により、多くの駅や高架下が取り壊されている中、現役で役目を全うしている国道駅。ぜひこのまま、わたしたちに美しい姿を見せ続けてほしいものネ。
【昭和遺産】鶴見線・国道駅の場所
〒230-0051 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央5丁目26
コメント
JR鶴見線の国道駅に切符売り場の券売機にて切符は買えますか教えてくださいお待ちしてます、
現在国道駅に券売機は置いてないです。交通系ICカードを使うか、乗車証明書の機械があるので着駅で精算するようです。
JR鶴見線国道駅構内にあるトイレへ行くには入場券の切符は買う必要はありますか教えてくださいお待ちしてます、