今回はかつて横須賀市安浦町にあった私娼街跡を歩いてきた様子をお伝えするわ!
元々横須賀には柏木田・安浦・皆ヶ作の3つの色街が存在していたの。その中でも安浦は横須賀最大の規模を誇る色街で、いまでも跡地には当時の面影を残すカフェー建築がいくばくか残っているのよ!
昨今の再開発で建物が取り壊されてしまう前に、カメラに収めるべく、ぶらぶらしてきたわヨ☆
※ちなみに柏木田のみ公娼の遊郭で、今回訪れた安浦と皆ヶ作は私娼街です。
【横須賀最大の色街】安浦私娼街跡の場所【カフェー建築】
はい、ではまずは安浦の私娼街があった場所を見ていきましょ。
最寄り駅は京急電鉄の県立大学駅。住所は神奈川県横須賀市安浦町3丁目の一部エリアで、地図上の赤く囲んだ辺りよ。国道16号線と平行に位置した「あずま通り」「中通り」「海岸通り」という通りと、縦に通じる数本の道により区画されているわ。
現在の県立大学という駅名は、平成16年(2004)に『安浦駅』から変更されたもの。駅名の変更は、近隣に神奈川県立保健福祉大学が出来たためなんだけど、まぁおそらく色街としての痕跡を消し去る目的もあったようね。というのも、安浦では2000年代初頭まで、秘密裏に売春宿を営んでいたお店があったみたいで、撲滅するために神奈川県警はかなり力を入れていたそうなのよね。
【横須賀最大の色街】安浦私娼街の歴史【カフェー建築】
場所を確認したら、続いては安浦の歴史を少しみていきましょ。
私娼街があった安浦の町は、大正12年(1923)8月21日に埋立により出来た新開地。元々この埋立地は住宅街として使う予定だったんだけど、同年の9月1日に発生した関東大震災で被災した人々を収容する、バラックの設営地とて使われることとなったの。また同時に治安維持の目的で市内に散らばっている銘酒屋をこの地に集めたことで、私娼街が形成されていったわ。
ちなみにこの安浦という名前は、埋立に関わった安田善次郎の「安」と港の意味の「浦」からとられたものだそう。
(※銘酒屋とは飲酒店をよそおい、私娼を置いて商売していたお店のこと。)
開業当時は80軒ほどの銘酒屋が集められ、一軒の店につき4名までの娼婦を置くことができたそう。そして昭和12年頃までには総勢300名程の娼婦たちが、ここ安浦で働いていたのだとか。この時点で安浦は横須賀で一番規模の大きい色街として機能していたの。
戦後に入り昭和30年頃には150軒の店に400人ほどの女性が働いていており、売春防止法が施行された昭和32年(1957)以降も、約40軒ほどが旅館の名目で営業していたのだとか。そして先程も書いたように、2000年代初頭まで数件の店が秘密裏に営業していたわ。つい20年ほど前まで春が売られていたとはちょっと驚きよね・・・
戦前は公娼の柏木田遊郭に比べ値段もリーズナブルだったため、地元の船乗りや漁師などで賑わっていた安浦。戦後に入ると横須賀の街には米兵相手のパンパンたちで溢れ、安浦も米兵相手の需要が高まっていったみたい。
そうそう『安浦』と聞き、戦後すぐにできた特殊慰安施設協会(RAA)の米軍慰安施設「安浦ハウス」を思い浮かべる方も多いと思うのよ。てっきり筆者は名前の通り、安浦にあったものと思っていたのだけど、ここではなく現在の横須賀市日の出町にある神奈川県合同庁舎が建っている辺りにあったようね。
そして昭和21年(1946)にGHQにより公娼制度が廃止された後、安浦が赤線に移行したのか青線として営業していたのかは、調べたけどよくわからなかったわ・・・資料によっては『赤線』と書いてあったり『青線』と書いてあったりするのよね。なので今回は赤線や青線ではなく、戦前の形態である私娼街と表現しておくわ。曖昧で申し訳ない・・・
(※赤線:特殊飲食店として売春を許容・黙認していた地域 青線:特殊飲食店の営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に売春行為をさせていた区域。所轄の警察署がそれぞれの地域を地図上に赤線・青線で囲っていたことからこう呼ばれている。)
【横須賀最大の色街】安浦私娼街跡を歩く【カフェー建築】
さぁ、それではいよいよ安浦の私娼街跡を歩いていきましょ。
旅の始まりは京急電鉄の県立大学駅から。かつて私娼街だったこの街も、今では多くの学生さんで賑わっていたわ。
駅を出て直進すると、国道16号線に突き当たる。ここを渡るといよいよ安浦の私娼街跡に辿り着けるわ。
【安浦神社】元首相と安浦の町。
駅から直進し国道16号線を渡ると、私娼街跡に入る前に「安浦神社」という神社に出くわすわ。
当時安浦で働いていた女性たちも、おそらくお参りしたであろう神社に、筆者もひとまず手を合わせます。
そして手を合わせていると、横須賀を代表する著名人・小泉純一郎元総理が奉納した玉垣を発見!
実は小泉一族は、ここ安浦の地に深く関わりがあるの。安浦の埋立事業のため、多くの労働者たちがこの地に流れてきたのだけど、その中に小泉元首相の祖父・小泉又次郎氏もいたのよ。元々横浜市金沢区で鳶職を営んでいた又治郎氏は、埋立事業によりこの地に移り住んだみたいね。しかも、又治郎氏の正妻は芸者置屋を経営していたというから、何かと色街に深い縁を感じるわ。
ちなみに小泉元首相の父・小泉純也氏は小泉家に婿入りしている為、小泉姓は母方のもの。又治郎氏と正妻には子供がいなかった為、小泉元首相の母はお妾さんの子供だったようね。
あ、そうそう!小泉元首相の玉垣もいいんだけど、「安浦神社」には当時の銘酒屋らしき玉垣も奉納されているのだそう。筆者は帰宅後にこの事実を知ったため、自分の目で確かめられなかったのだけど、どうやら神社のもっと奥の方にあるらしいわ。
【安浦私娼街跡】今も残るカフェー建築
はい、では安浦神社に手を合わせたら、いよいよ私娼街の痕跡を見ていきましょ。
2000年代初頭までは秘密裏に商売をしていたとはいえ、いまではすっかり閑静な住宅街の安浦。ここ数年で当時の建物もかなり取り壊されているようで、真新しい住宅や空き地なんかも目に付くわ。
そんな町の変化に若干の寂しさを感じつつも、ちょこちょこと点在する当時の遺構を見ていきましょ。
まずご紹介するのが、こちらの建物。安浦を代表するカフェー建築で、現在は「初音」という居酒屋として使われているわ。
建物の横にまわると、いかにもカフェー建築らしい豆タイルの装飾を見ることができる。ここまで綺麗に維持しながら、現役で使われていることに感動しちゃう!
当時の面影を今に残すような、色鮮やかな豆タイルが美しすぎる!
そして、建物の横にある石畳の路地も雰囲気ありすぎ!数年前まではこのような路地も結構残っていたようだけど、現在は舗装されかなり数を減らしているわ。
石畳の路地の先にも、雰囲気ある建物が続く。現在は民家として使われているものの、当時の空気をビシバシと感じるわ。
ふ・・・雰囲気ありすぎ!ふと遣手婆が出てきそうな雰囲気に、少しドキドキしてしまう。
そうそう!町の雰囲気をもり立てているのは建物だけじゃないの。
この古い電柱も素敵じゃない!?所々にこの古い電柱が使われていて、町に妖艶な色気を漂わせているわ。
石の電柱には装飾が施されて、レトロ感が全開!凝った造りで、かなりお洒落よネ。
そして再び表通りへ。
「初音」の隣には、昭和の香りがぷんぷんする銭湯を発見!
やっぱり色街には銭湯がつきもの。当時この町で働いていた女性たちも、銭湯で束の間の休息を楽しんだのかしら。
なんて想像しながら、次の建物も見ていきましょ。
存在感を放つこちらの建物も安浦を代表するカフェー建築よ!
色気のある豆タイルの装飾が、かなり綺麗な状態で残されているわ。
あまりの迫力に、いい意味で鳥肌が立ってしまう。この建物が令和の今も、現役で使われていることに感動しちゃう!
玄関周りにも美しいタイルが施されていたのだけど、流石にご迷惑になるので遠くから眺めるのみ・・・いやぁ〜でも遠くから眺めても、十分なほどの迫力を感じるわ。
こちらもかなりインパクトのある建物じゃない!?朱色に塗られた外壁が、いかにも何かやっていたのではないかと思わせる、妖艶さと色気を感じさせるわ。
ぶらぶらとらしき建物を眺めていると、ママチャリに子供を乗せて走るお母さんが、筆者の横をせわしなく通り過ぎていった。この風景に一般的な幸せのひとコマが溶け込み、まるで元私娼街だったことを消し去るように、記憶は上書きされていくのね・・・
な〜んて事を考えながら町をうろついていると・・・
「明るく住みよい町づくり」なる標語を発見。
まぁそうよね、子供たちが育つ町ですもの、ほんの20年ほど前まで春が売られていたなんて、一般的にはイメージはよくないわよね。
しかもそれだけではなく、安浦は今でも近隣に某ヤ◯ザ事務所があるという、意外とアンダーグラウンド地帯だったりするのよね・・・概ねヤ◯ザが居る町って、こういう標語張られがちよね。まぁ普通に住む分には、全く問題ないかもだけど。
なんて事を考えながら、風情のある建物を眺める。
そして一通りぶらぶらしていると、骨組のみになったアーケードに出くわす。ここまでが私娼街のエリアだったようね。
そして少し余談だけど、アーケードをくぐり道を一本挟んだ先には、小泉元首相のご自宅があるわ。住所的には安浦町ではなく隣の三春町になるんだけど、かなり目と鼻の先にあるので、ちょっとびっくりしちゃった。
ヤ◯ザと元総理が共存するって、なんか興味深いわよね・・・まぁ、こういう町で育ったからこそ、当時の小泉元首相のカリスマ性が育まれたのかもしれないわね。そしてふと思ったのだけど、第一次小泉内閣が発足したのが2001年、安浦の売春が撲滅された時期と重なるけど何か関係あるのかしら?(まぁ知らんけど・・・)
とまぁテキトーな事を考えながら、ひっそりと安浦の町を後にします。
【横須賀最大の色街】歴史に思いを馳せ「安浦私娼窟」を歩く。【カフェー建築】
はい、今回はかつて横須賀最大の色街だった安浦を歩いてきた様子をお伝えしたわ。
正直、横須賀の私娼の歴史は深すぎるため、全然調べきれなかったのがかなり心残り・・・色々自分の勉強不足を感じる横須賀訪問となったわ。
昨今では安浦の町も再開発の波が押し寄せていて、もしかするとここ数年でガラリと雰囲気が変わってしまうのではと思い、取り急ぎカメラに収めてきた次第。そのため、かなりふんわりとした記事(毎度だけど)になってしまい申し訳ないわ。
☆★安浦は現在住宅街になっています。住民の方の迷惑にならないように、静かにひっそり見学しましょう!★☆
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