集合団地発祥の地
この付近には明治以来習志野騎兵旅団が駐屯し、八千代台団地もその旅団の練兵場であったが、時は移り昭和30年3月多くの方々のご協力を得て、千葉県住宅協会の手でこの地に全国初の住宅団地が誕生した
これが契機となって住宅金融公庫の団地造成に対する融資制度も確立し、全国に続々と住宅団地の造成を見るようになった
今からみれば、八千代台団地は必ずしも大団地とは言えないが、団地誕生の歴史を回顧すれば八千代台団地のできたことは洵に意義深いものであった
昭和40年4月
財団法人 千葉県住宅協会会長 友納 武人
京成電鉄八千代台駅の西口ロータリーには、このような『集合住宅発祥の地』という記念碑が建っている。
戦後日本の住宅不足を解消するため、昭和30年(1955)7月25日に日本住宅公団が設立され、その翌年の昭和31年(1956)に、公団団地第一号の「金岡団地」が大阪府堺市に誕生したのは、団地好きにはお馴染みのデキゴトよネ。
そんな公団団地第一号の「金岡団地」が誕生する前に、八千代台に住宅団地が建設され、ここが集合団地発祥の地だなんてなんだか胸アツ。(”集合住宅”の歴史を遡り、戦前の同潤会の話も出てくると長くなるので、今回はあくまでも戦後の団地のお話。)
”団地”って聞くと公団のイメージが強いせいか、鉄筋コンクリート造でシステムキッチンがあり、風呂や水洗トイレが完備された、戦後の憧れを詰め込んだ団地を思い浮かべるけど、この碑に書かれた千葉県住宅協会(現・千葉県住宅供給公社)が完成させた集合団地は、木造平屋の一戸建ての分譲団地だったのよ。まぁ、”団地”って『住宅(や工場)を計画的に一か所に集めて建設した地区。』という意味なので、これもまた団地の形よネ。
とまぁ、前置きが長くなりましたが、今回この”集合団地発祥の地”の団地を見学しよう!・・・というわけではなく、発祥の地にあるもう一つの「八千代台団地」・昭和32年(1957)に日本住宅公団により造成された、「八千代台団地」をぶらぶら歩いて来た様子をレポートするわ!
【魅惑のテラスハウス】集合住宅発祥の地に建つ「八千代台団地」とは?【歴史】
集合団地発祥の地ではない、もうひとつの「八千代台団地」(公団)を歩いて行く前に、歴史と詳細について少しお話しておくわ。今回お伝えするのは、あくまでも発祥の地に記された団地ではなく、その後に日本住宅公団によって建てられた団地なのであしからず。
『集合団地発祥の地』の碑があることで、公団「八千代台団地」が日本初の団地だと勘違いされることがあるケド、それは大きな間違いなので注意よ!
今回ぶらぶらする「八千代台団地」は、千葉県八千代市にある日本住宅公団によって建てられた団地。入居開始が昭和32年(1957)と、比較的公団初期に建てられた団地なの。
しかも驚くなかれ!鉄筋コンクリート造2階建てのテラスハウスという、非常に贅沢な造りになっているのよっ!!!当時は分譲と賃貸のエリアがあったものの、現在は賃貸エリアは取り壊され分譲エリアが残るのみとなってしまったわ。
とはいえ、令和の現代で公団初期のテラスハウスが拝めるなんて、こんなにトキメク場所はないんじゃないかしら??
かつて東京都杉並区にあった、「阿佐ヶ谷住宅」と同時期のテラスハウスが現役だなんて、団地好きにとっては涙がちょちょぎれるほど有難き場所ってものよネ。ちなみに筆者は地元ということもあり、「阿佐ヶ谷住宅」には思い入れが深い。前川國男建築のテラスハウスに、本当に憧れたものよ。(「阿佐ヶ谷住宅」は惜しまれつつ、平成25年(2013)に解体。)
少し話がそれましたが、「八千代台団地」に戻りましょう。
「八千代台団地」は京成電鉄の八千代台駅から徒歩7〜8分程と、非常に好立地な場所に存在しているわ。
八千代台駅が開業したのが、「八千代台団地」ができた前年の昭和31年(1956)。千葉県住宅協会の「八千代台団地」が前年に建てられていたりと、八千代台駅は戦後の団地と共に発展してきた土地と言っても過言ではないわね。
『集合団地発祥の地』の碑にも書かれていたように、戦前まではこの辺り一体は習志野原と呼ばれ、旧陸軍騎兵連隊の練兵場があった土地。そこに団地が建つというのは、如何にも戦後団地のロールモデルといった感じよね。
【集合住宅発祥の地に建つ団地】「八千代台団地」を歩く【魅惑のテラスハウス】
さぁ!それではいよいよ「八千代台団地」を歩いていきましょ!
八千代台駅の西口からぶらぶらと歩いていると、突如として見目麗しいテラスハウスがお目見えするわ♡
テラスハウスが清々しいほど美しく並んだ姿は壮観!やはりテラスハウスの団地はゆとりがあり、贅沢な造りになっているのが魅力的♡
元々は30棟あったテラスハウスも、近年の老朽化による解体で半分ほどに数を減らしている。それでもこうして公団初期のテラスハウスが現存しているのは奇跡で貴重よネ。
現存しているのは分譲団地ということもあり、バルコニーなど住民により増築した様子も見てとれる。
個々の住民により所々リフォームしている家も見受けられるが、当時モノっぽい昭和感溢れるドアや窓枠なども存在して、見ているだけでテンションが上がってしまう。
木製の扉がお洒落すぎる♡
そしてタイル張りの号棟表示もお洒落!
そして広々とした公園も完備。
ただ、ここ「八千代台団地」も高齢化が進み、小さなお子さんの姿は見られないわ。
夏場に訪れたこともあり、公園には草が生い茂っていた。少し哀愁を感じる・・・昭和の高度成長期には、多くの子供達がこの公園で遊んでいたのだろうなぁ・・・
まぁ公園に草が生い茂っているとはいえ、管理が行き届いていて住環境はかなり良さげ。本当、こうやって歩いていると、団地っていいなぁ〜としみじみ感じるわ。
嗚呼・・・なんかこういう無造作にタオルに書かれた手作り感溢れる管理組合の看板が、無償に愛おしくなってくる。
管理組合がいい仕事をしているのは勿論のこと、おそらく「八千代台団地」に住む住民たちも団地を大切にしているのだろう、とってもよい雰囲気がそこかしこに漂っているわ。
【集合団地発祥】千葉県住宅協会「八千代台団地」の痕跡?
そうそう、『集合団地発祥の地』の碑に書かれている、千葉県住宅協会の「八千代台団地」についても、少し触れておくわ。
冒頭でも書いたように、千葉県住宅協会の「八千代台団地」は、昭和30年(1955)に分譲開始した、木造平屋の一戸建ての住宅団地。
Wikipedia情報によると、八千代台西・北地区にて木造平屋一戸建(一部土地のみ)を分譲していたようで、計画戸数は1,114戸だったんだとか。位置的には公団「八千代台団地」の手前近辺だと言われているわ。
千葉県住宅協会の「八千代台団地」の痕跡ではないんだけど、団地が発展して街が形成されたこともあり、八千代台駅の西口にはかなり昭和が漂う建物が建ち並んでいる。団地の建設と共に、商店などが造られていった歴史を垣間見ることができるわ。
昭和感漂いまくりの「十一屋」さん。今はなき『雪印アイスクリーム』の看板が哀愁を誘うわね・・・
あ、そうそう、既に移転して使われていなかったんだけど、八千代台駅西口前の交番の廃墟からも、かなり昭和の風が漂っていたわ。
水色がアクセントになった、レトロな交番は思わず目に留まる可愛さ♡
造りからかなり古い建物であることが伺える。もしかしたら、八千代台駅が開業したのとあまり変わらない時期に建てられたのかしら??
長い間、八千代台と八千代台団地の発展を見てきた交番だと思うと感慨深い。いずれ取り壊されてしまうのが、少し寂しくもあるわよね。
【集合団地発祥の地に建つ!】公団「八千代台団地」を歩こう♬【テラスハウス】
はい、今回は『集合団地発祥の地』に建つ、公団「八千代台団地」を歩いてきた様子をお伝えしたわ。
公団初期のテラスハウスが拝める「八千代台団地」は本当に貴重で、団地好きには有り難い場所よね。造成から60年以上経っており、現在では分譲エリアが少し残るだけという少し寂しい状況だけど、とっても大切に住まわれているのは、なんだか嬉しくなっちゃうわ。
そうそう、再三お伝えしているように、八千代台駅西口にある『集合団地発祥の地』の碑は、千葉県住宅協会によって建てられた「八千代台団地」のこと。今回歩いた公団「八千代台団地」とは別物なので、間違いがないようにしてネ。
まぁそれでも、このふたつの「八千代台団地」があったこらこそ、街が出来て発展してきた歴史はとても興味深いわよね!皆さんもそんな歴史を感じに、「八千代台団地」を歩いてみてはいかがかしら?
☆★団地は住宅です!住民の方の迷惑にならないように、静かに・ひっそり・楽しく散策しましょ!★☆
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【集合団地発祥の地に建つ!】公団「八千代台団地」場所【テラスハウス】
〒276-0034 千葉県八千代市八千代台西6丁目14−2
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