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【都橋商店街ビル】横浜的ディープな昭和の面影を求めて。

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【都橋商店街ビル】横浜的ディープな昭和の面影を求めて。 昭和レトロスポット
【都橋商店街ビル】横浜的ディープな昭和の面影を求めて。
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昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル
横浜みなとみらいの景色。ナウい。

横浜というとなぜか無駄にキラキラした、オシャレなイメージがあるよね。ナウなオシャレスポットとして、ヤングにも絶大な人気を誇る横浜のみなとみらい地区はまさにその代表格。

いやぁ〜あの辺はキラキラしたアベックや、幸せそのものな家族連れも多く、陰を纏った筆者はこの上なく眩しい、眩しすぎるぜいっ☆

元々の気質なのか、どっかで人生を間違えたのかは知らんけど、いやぁ〜できることなら筆者だって、キラキラを纏って生きていきたかったさっ!

と、まぁ、今更キラキラに無縁な自分を嘆いたって仕方がない。筆者のようなものは、特段キラキラしていない歴史的魅力のある横浜のスポットに向かうとしよう。横浜にだって、別にキラキラしていない場所だって、勿論ある。

と、そんなことを思いながら、今回はみなとみらいからもほど近い、ちょっぴりディープな横浜が堪能できる「都橋商店街ビル」を散策してきたぞい!

\⬇都橋商店街と併せて行きたい、黄金町の記事はこちらをどーぞ!⬇/

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昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル
赤く囲った場所が、都橋商店街ビル。都橋と宮川橋の間に、大岡川のカーブ沿うように建てられている。

ではでは、都橋商店街ビルを散策する前に、まずはその場所と歴史をみてゆきましょ〜!

都橋商店街ビルは京急電鉄日ノ出町駅から600mほど歩いた、大岡川沿いに建つ商業施設。桜木町駅からも700mほどで、こちらからもアクセス可能。キラキラしたみなとみらいの反対側には、キラキラしていないエリアもあって、横浜の奥深さを感じさせる。

そして都橋商店街ビルの形状はとても個性的。なんと大岡川のカーブに併せて建っており、都橋と宮川橋間の90メート間まるまるがビルになっているのだ!

建築的にも面白く、昨今では映えスポットとしても注目されているみたい。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル
大岡川に沿って建てられたビルは、とっても個性的。

この都橋商店街ビルが出来たのが、東京オリンピックが行われた昭和39年(1964)。

戦後に野毛本通などの路上で営業していた露天を、東京オリンピックまでに撤去したい市の意向を受け、露天商を収容する目的でできたビルなのだ。

戦後の野毛本通などの路上には沢山の露天が営業していたようで、多くの人々が食料品や衣料品などを求めて集まっていたのだそう。

なんでも、野毛は横浜最大の露天指定地域になっていて、当時は「野毛に来ればなんでも揃う。」と言われるほど闇市が盛んな地域だったんですって!

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル
かつて「桜木町デパート」があった付近。現在は桜木町駅前駐車場になっている。(Google Mapより)

そんな露天商を収容する施設を作るのに、かなりの紆余曲折があったそう。はじめは桜木町駅周辺を都市整備することになった過程で、露天の整備が議論されるようになっていった。

そこで、近隣にあったカストリ横丁をはじめ一部の店舗は、昭和28年(1953)に完成したコンクリートブロック2階建ての共同店舗「桜木町デパート」に移転することとなった。(昭和47年に解体)

が、桜木町デパートに移転したとて、露天は無くなることはなく、道路を不法占拠している状態が長らく続いたのだそう。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル
都橋商店街ビルができる前の航空写真。荷揚場だったため、大岡川には荷船が浮かんでいる。

流石にこの状態に嫌気がさした地元の商店組合は、昭和30年代に入ると市に対して行政訴訟を準備するまでになっていった。

そして昭和38年(1963)には、元々荷上場だった大岡川沿いの都橋から宮川橋にかけての場所に、都橋商店街ビルの建設が決まっていたため、そこに露天を収容することを提案。この案に露天商も合意したため移転が決定した。

東京オリンピック開幕前日の昭和39年(1964)10月9日に野毛の露天は営業を終了し、10日には露天の撤去式が行われる。最終的に同年11月21日に都橋商店街ビルの落成式が行われ、露天の移行が完了となった。

今では飲み屋ばかりのイメージがある都橋商店街ビルだけど、当時は靴、鞄、衣料品などの売店、2階部分は喫茶や軽食などの店舗が占めていたのだそう。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

戦後の闇市から始まった都橋商店街ビルだけど、建築当時から「付近環境に適応し、特に美観を損ねざるよう商店街を形成する」ということをコンセプトにしていた。

そのかいあってか(?)、河川と一体化そた孤状の建物は他にあまり例がなく、野毛地区の特徴的な景観を完成している点が評価され、平成28年(2016)には横浜市の歴史的建造物に登録されている。

歴史的建造物が多い横浜だけど、戦後建築としては初めて登録されたのが都橋商店街ビルなのだ!これはもう、横浜のレジェンド建築といっても過言ではない凄さよネ☆

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

ではでは、歴史が少しわかったところで、都橋商店街ビルを散策してゆきましょ☆

大岡川に沿って弧を描くように建つ、都橋商店街ビルには思わずうっとり。

後ろにはランドマークタワーも見ることができ、意外とヴュースポットだったりもする。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

内側から見た姿も美しい。

ここからほど近い場所に、かつて「ちょんの間」が乱立していた黄金町がある。昔はそんな黄金町と併せ、この辺りの治安が悪そうで、筆者がこどもの頃は近寄ってはいけない雰囲気がビンビンだったものだ。

いまはそんな雰囲気も薄れ、映えるヴィジュアルからか素人カメラマンとモデルの撮影会?が行われたいた。う〜ん、時代は変わるよね・・・・

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

そして一昔前までは、ここに入っている飲食店ではぼったくられる・・・・なんて言われてもいた。噂の真偽はわからんけど、まぁおそらくいまは大丈夫でしょう。

黄金町のちょんの間大規模摘発「バイバイ作戦」が行われた平成16年(2005)に、このあたりもクリーンな地域にする動きがあったみたい。黄金町をどーにかしようぜ!ってときに、「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」が発足されたぐらいだし。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

平成26年(2014)にビルを所有していた公社が、数年後に解散することが決まったため、平成29年(2017)12月に公益社団法人・横浜歴史資産調査会寄贈されたんだけど、都橋商店街ビルのイメージがよくなったのは、それも大きいのかも?

わりと新しそうでオシャレ味のあるお店も結構ありそうだし。

現在は60件ほどの飲食店が入っており、地元民だけでなく遠方からも飲みに来る人も多いみたい。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

公社の解散が決まった際に、都橋商店街ビルの取り壊しも議論されたようなんだけど、いまもこうして現存していてくれるなんて有り難き幸せ。

カーブした長屋ビルにネオン看板が取り付けられた姿って、なんとも日本的で素敵じゃない?

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

等間隔で並んだ店の間口も、どこか雑然として見え雰囲気はバツグン。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

いまは飲み屋さんに変わっているものの、当時の靴屋さんの看板が残っている。なんかこういうのって建物の歴史を感じて、個人的にグッとくるのよね。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

2階に昇る階段からも、とてつもない昭和の面影を感じる。

柵がピンクなのも、艶めかしい感じでグッド☆

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

階段の踊り場には都橋商店街ビルの案内が記された看板も設置。

こういう看板を見ると昔の怪しさは完全に薄れ、もはや観光地としての一面も感じさせる。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

The昭和!!タイムスリップしたかのような雰囲気にどきどきしちゃう♡

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

基本的に昭和の建物が好きな筆者ですが、階段がね、いいのよ。階段って無性に萌えない?

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

そして、そして、2階のバルコニー部分も素敵!

カーブに張り出したバルコニーが、斬新で美しい。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

そしてバルコニーからは大岡川が見渡せる、絶景?ビュー。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル

看板越しに見る、高層ビル群もまた乙な景色。

都橋商店街ビルができて60年余り、ここから見る景色はだいぶ変わっただろうけど、こうして昭和の面影を残したまま、時代に即して変化する姿にぐっときてしまう。街や建物の歴史って本当にすごいなぁ・・・・な〜んて、しみじみ感じてしまった。

昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル
昭和レトロ研究所 横浜 都橋商店街ビル
竣工昭和39年(1964)
構造形式鉄骨造地上2階地下1階建、陸屋根鉄板葺 
設計創和建築設計事務所
施工株式会社小俣組
所在地神奈川県横浜市中区

〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町1丁目11

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