皆さんはかつて千葉県船橋市に存在したレジャー施設「船橋ヘルスセンター」をご存知だろうか?
昭和30年(1955)に開業し、昭和52年(1977)まで船橋市の東京湾沿岸で営業をしていた「船橋ヘルスセンター」。わずか22年と短い期間の営業だったにも関わらず、高度経済成長期を駆け抜けたレジャー施設として、今でも思い入れがある人が多いようね。
筆者はその名は知ってはいるものの、生まれる前に閉園しているため、正直言って「船橋ヘルスセンター」には何の思い入れも、そして思い出もない。
が、そんな筆者が、先日某フリマサイトでイカした表紙のパンフレットを発見。そのパンフレットには「船橋ヘルスセンター」の文字が記されていたわ。
これも何かの巡り合わせ・・・この機会にこのイカしたパンフレットを入手して、「船橋ヘルスセンター」について調べてみる事を決意したってわけ。
今回は筆者が入手したパンフレットを元に、「船橋ヘルスセンター」の歴史を紹介する共に、跡地にある遺構を見に行ってきた様子をお伝えするわネ☆
【高度経済成長期の夢の国!】「船橋ヘルスセンター」とは?どこにあったの?
まずは「船橋ヘルスセンター」の簡単な概要と場所を確認しておきましょ!
「船橋ヘルスセンター」は東京湾岸沿の埋立地である千葉県船橋市浜町2丁目1−1に、昭和30年(1955)11月3日に開園。敷地面積は36万平方メートル(12万坪)を有し、当時としては東洋一の規模をほこる巨大レジャー施設だったみたい。
その名前からスーパー銭湯的な温泉施設かと思いきや、温泉だけではなく、巨大プールや海水浴場、遊園地やゴルフ場などなど・・当時のレジャーを詰め込んだような施設だったのよね。
今でこそ千葉県湾岸沿いのレジャー施設といえば「東京ディズニーリゾート」だけど、ディズニーが来航する前は、千葉県の東京湾岸施設といえば「船橋ヘルスセンター」という時代だったのね。
ちなみに跡地には現在「ららぽーとTOKYO-BAY」や「IKEATOKYO-BAY」などが建っていて、「船橋ヘルスセンター」亡き後も、多くの人で賑わうエリアとなっているわ。
よく「東京ディズニーリゾート」共に、『千葉なのに東京名乗っちゃってるよ・・・』的に言われる事がありますが、ららぽーともIKEAもちゃんと”TOKYO-BAY”と名乗ってるから許してあげましょうよ・・・あくまでも”BEY”だからネ。
【高度経済成長期の夢の国!】「船橋ヘルスセンター」の歴史を学ぼう!
「船橋ヘルスセンター」の概要や場所はわかったケド、温泉のイメージがない船橋市で、何故温泉を有した施設が出来たか気になるトコロよネ。
じゃぁ〜続いては、ざっくりとその経緯と歴史に迫ってみましょ!
【歴史】「船橋ヘルスセンター」の成り立ち
船橋市の東京湾沿岸部は、元々海だった場所を戦後に埋立て出来た土地。昭和26年(1951)、市は千葉県や通産省(現・経済産業省)の補助を受け、この埋立地でガスの試掘を開始したわ。
そもそも何でガスの試掘なんかしたのかと言うと、近隣の東京湾岸沿いで天然ガスが発掘されたことがキッカケなの。元々海だったこの場所では多く人が漁師として生計を立てていたため、船橋市は埋立により漁ができなくなった漁業組合に保証金を支払う必要があったわ。どうやら天然ガスを発掘して、その利益を保証金に当てる算段だったようね。
そして昭和27年(1952)に採掘をおこない、天然ガスの発掘に成功。ただ水に溶けた状態のガスだったのよね・・・でも、なんとそのガスと一緒に、温泉成分が見つかるというミラクルが巻き起こったのよ!29℃とかなりぬるいお湯だったんだけど、船橋市はこの温泉を見つかった天然ガスで沸かして、温泉施設を作る事を思いついたの。
その後、昭和28年(1953)には、社団法人船橋ヘルスセンターを設置し、実業家の丹澤善利氏が社長となり朝日土地興業株式会社を設立したわ。
そしてついに昭和30年(1955)11月3日に、東洋一のレジャー施設「船橋ヘルスセンター」が開園したわ。開業のキャッチフレーズは「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」よ。
筆者がゲットしたパンフレットには、”私共の理想”として以下のような事が記載されていたわ。
私共の理想・・・・・貴賤貧富の差別なく、皆が赤裸々な人間になって浮世の苦労を忘れ、慰め合い、いたわりあう天国のような雰囲気!
これが船橋ヘルスセンターの理想であります。
引用:「船橋ヘルスセンター」パンフレット
パンフレットによると、入湯料は当時で120円(こどもは70円で6歳未満は無料)。単純に現在の価値で換算するのも難しいけど、だいたい1000円ぐらいかしら?その金額で温泉入り放題、施設使い放題だったてんだから驚きよ。
遊園地の乗り物料金には10円かかったようだけど、でもまぁ〜1日遊んでもそんなに高くならない良心的な価格設定よネ。
上記の私共の理想に記してあるように、貴賤貧富の差別なく訪れやすい価格設定にしたのかしらね。
【歴史】「船橋ヘルスセンター」の栄華と終焉
高度経済成長期の始まりに開園した「船橋ヘルスセンター」は、生活に余裕や希望が見えてきた当時の人々に支持され、多くの来園者で賑わったわ。
Wikipediaによると、全盛期にはザ・タイガースをはじめ多くの人気歌手やグループによる歌謡ショウや、「8時だョ!全員集合」の公開放送も行われたみたい。いいなァ、筆者も当時のジュリーやドリフを見てみたかったなァ・・・
そして昭和37年(1962)には、関東ローカルでテレビCMも放送され認知度を高めていったの。CMソングの「長生きチョンパ」(作詞作曲:三木鶏郎/歌唱:楠トシエ)は、当時を知る人にとってはかなり印象に残っているようね。筆者も今回初めてYou Tubeで聞いてみたけど、かなり耳に残る歌で、ついつい口ずさみたくなる歌詞よネ。
高度経済成長期のイケイケドンドンな世相を背景に、この時期は昭和のレジャーブームが起こり、各地に多くの施設が誕生した。そんな中で「船橋ヘルスセンター」も順調な経営をしていたわ。
が、それも高度経済成長が終わりを見せはじめた70年代に入ると、少しずつ影を落としていくこととなるの・・・
昭和45年(1970)には社団法人が解散し、新たな運営会社として三井不動産の出資で「株式会社船橋ヘルスセンター」を設立。オーナーである朝日土地興業株式会社は三井不動産と合併したわ。
そしてこの頃から、東京湾沿岸一体で地盤沈下の問題が深刻化していったの。地盤沈下は過剰な地下水の汲み上げで起こっているため、温泉の掘削を行っている「船橋ヘルスセンター」も地盤沈下を起こしている当事者ってわけよ。
そんなこんなで昭和46年(1971)には、掘削権を県と市が買い取り、温泉の汲み上げが差し止められてしまうの・・・これで「船橋ヘルスセンター」は温泉ではなく、普通のお風呂となってしまったわ。
遊園地などの施設も有しているとはいえ、なんだかんだ言っても「船橋ヘルスセンター」のウリは温泉。それでも経営は続いたものの、レジャーの多様化による客足の減少も重なり、昭和52年(1977)5月5日に、「船橋ヘルスセンター」は22年の歴史に幕を閉じたわ。
そして閉園後に施設は解体され、昭和56年(1981)に「ららぽーと船橋ショッピングセンター」(現・ららぽーとTOKYO-BAY)がオープン。
ちなみに「ららぽーと船橋ショッピングセンター」(現・ららぽーとTOKYO-BAY)は、ららぽーと第一号店で、現在でも全店舗最大の売り場面積を誇るレジェンドららぽーとなのよ!
なんだか三井不動産と合併したのは、ららぽーと誕生の布石のように感じるわよね。「船橋ヘルスセンター」という伝説は終わりを向かえるも、「ららぽーと」という新たな伝説が生まれたと思うと胸アツじゃない!?
【パンフレットから見る】「船橋ヘルスセンター」の施設
ではでは、歴史がわかったところで、「船橋ヘルスセンター」にどんな施設があったのか、入手したパンフレットを元にみていきましょ♬
パンフレットの目次には以下の施設が記載されていたわ。
船橋ヘルスセンター ご案内
- 東洋一の大温泉娯楽場
- 温泉
- 演芸
- 娯楽場
- 探検ドライブ
- ラバレーター
- 南国サロン
- 大遊園地
- 各国村
- プール
- 汐干狩、海水浴
- 長安殿
- 二葉館
- 遊覧飛行、ゴルフ場
- その他の施設
なんだかよくわからない名称もあるけれど、パンフレットと共に少しご紹介するわネ!
レトロすぎる!「船橋ヘルスセンター」の施設
こちらの写真は「船橋ヘルスセンター」最大の名物「大ローマ風呂」よ。
パンフレットの説明には「大ローマ風呂」をはじめ、温泉施設に関して以下のような記載があったわ。
温泉は地下1700メートル(約5000尺)の3つの井戸から1日45万リットル(約2万5千石)摂氏36度で湧きだしており、温泉と同時に噴き出す天然ガスで42〜43度に温めて、大ローマ風呂、大滝風呂、岩風呂、香水風呂、婦人大風呂、貸切風呂など大小30余りの浴槽に送っております。また、湯瀬の名湯・トルコ風呂のほかに国際酵素学会で称賛を博した特殊蛋白分解酵素による全身美容の酵素風呂もあります。温泉の醍醐味を心ゆくまで味わってください。
引用:船橋ヘルスセンターパンフレットより
なんだか沢山のお風呂があって楽しそうネ♬
あっ!そうそう「トルコ風呂」なる怪しげな単語が出てくるケド、コレ大人の男性が行くお風呂の事じゃあないからね!!「船橋ヘルスセンター」はちゃんと老若男女が楽しめる健全な施設よ。
ちなみにコレが「トルコ風呂」よ。サウナ??
ちなみに全温泉の効能は、男女更年期障害・婦人病・常習便秘・疲労回復・神経衰弱・胃腸病・アレルギー疾患・不妊症・痔疾・ロイマチス・炎症性腸疾患などに効果があると、記されていたわ。
そしてこちらの写真は「大遊園地」!「船橋ヘルスセンター」の建物の南側にあったみたいね。
「大遊園地」にはモノレールが走っていて、大観覧車やジェットスター、メリーゴーランドなどの、今でも定番の乗り物が満載。大人からこどもまで満足できる遊園地で、東京湾岸に現れた元祖・夢の国といった風情じゃないの。
いやぁ〜これは楽しそう♬
そして「大遊園地」内には「各国村」なる、イギリス・スイス・トルコ・ブラジル・インドネシア・フィリピンなどの民家を再現した、宿泊施設まであるのよ!
宿泊料金は3名様以上で、素泊まり大人500円・こども250円だったみたい。
そしてその他にも海水浴場や、冬でも泳げる温泉プールをはじめ、海水プールや淡水プール、子供プールなど大小8つのプールを完備していたんだとか。
そして海浜には鉄骨3階建の海の家があり、水着に着替えて海でもプールでもすぐに泳ぐ事ができるようになっていたんですって!
そしてこれだけの巨大施設ですもの、しっかりお食事や休憩ができる喫茶パーク「南国サロン」も営業していたわ。
南国風と言ったらそうなんだけど、いろんな舶来品がごちゃまぜになったような雰囲気で、いかにも昭和の施設といった感じじゃない!?
そして「ラバレーター」なる動く歩道も設置されていたみたい。パンフレットには以下のように記されているわ。
日本ではじめての”動く道”ラバレーターは当社社長の考案によるもので、コマ四階から南国二階へ通ずる動く歩道です。寝転んだり、坐ったり、立ったまま歩かずに運ぶ最新装置のラバレーターは、バイブレーションの作用により、足の神経を刺激し非常に軽やかになる特効があります。ぜひ一度、ご試乗になってください。
引用:「船橋ヘルスセンター」パンフレット
えっ!?嘘でしょ?動く歩道って「船橋ヘルスセンター」の社長考案じゃないわよね?アメリカで考案されて、日本では昭和45年(1970)の大阪万博で知名度を得たと記憶しているんだけど・・・
まぁ〜でも社長考案は大げさだけど、大阪万博よりも前に動く歩道が設置されていたのは凄いわよネ。
あと動く歩道で、寝転んだり、坐ったりってどうなの!?かなり迷惑じゃないかと思っちゃうけど、昭和はおおらかな時代だったのね。
⬇1970年の大阪万博についてはこちら!⬇
そして、その他にも飛行場やゴルフ場まで完備いているわ。なんでもありの巨大レジャー施設だった事が伺えるわネ!
ちなみに、セスナの墜落事故が起こったことで、開業中の昭和44年(1969)に飛行場は閉鎖されているわ。その後はローラースケート場になったみたいね。
そうそう!閉園後のこの場所なんだけど、昭和56年(1981)に日本一号店の「IKEA南船橋店」がオープンしているの。その後昭和61年(1986)にIKEAは日本から撤退し、跡地には「スキードームザウス」が開業したわ。
その後「スキードームザウス」は平成14年(2002)に閉業。そして跡地には、平成18年(2006)に再上陸を果たした、IKEAの一号店が同じ場所にオープンすることになるの。それが現在も営業している「IKEATOKYO-BAY」よ!
この飛行場の跡地が、日本のIKEAの歴史を語る上で重要な場所になっているのね。いやぁ〜興味深い。
【高度経済成長期の夢の国!】「船橋ヘルスセンター」の遺構を見に行こう♬
はい、では続いては「船橋ヘルスセンター」の当時の遺構を見に行くために、京成本線の大神宮下駅へやってきましたよ♬
なんと、跡地の「ららぽーとTOKYO-BAY」には、「船橋ヘルスセンター」の遺構が今でも残っているのよ!
『ん?ららぽーとTOKYO-BAYに行くなら、JR京葉線の南船橋駅じゃないの??』と思ったそこのアナタ!いいのです、京成線の大神宮下駅で。
なぜなら「船橋ヘルスセンター」開業時はまだ京葉線は開通しておらず、南船橋駅も昭和61年(1986)の開業と比較的新しい駅なのですよ。
筆者が入手したパンフレットにも、最寄り駅として”国電・京成・東武・船橋駅よりバス5分””京成・大神宮下駅より徒歩3分”としっかり記されているわ。
ちなみに大神宮下駅の隣駅である船橋競馬場駅は、昭和38年(1963)にセンター競馬場前駅に改名しているわ。(現在は元の船橋競馬場駅として営業)センター競馬場駅は特急も停まることから、「船橋ヘルスセンター」へのバスも出ていたみたいね。
大神宮下駅には昭和30年代の駅舎の写真が掲示されてい、「船橋ヘルスセンター」が開業していた当時の雰囲気を見ることができちゃう!
当時の雰囲気を感じながら「ららぽーとTOKYO-BAY」へ向かう。
大神宮下駅を出て現場へ向かっていると、雰囲気のある「浜町橋」に出くわすわ。
船だまりになっていて、ここが埋立地であることを実感させられるわね。
そして橋を渡り少し歩くと、とてもレトロな雰囲気の「浜町商店街」が現れるわ。
今ではシャッターを下ろしたお店も多く見てとれるけど、かつては「船橋ヘルスセンター」の通り道としてかなり賑を見せていたみたい。
とはいえ、今でもこんなに素敵な昭和を感じるサロンも営業中。地元の人々にはまだまだ大切な生活の場所となっているようネ。
「船橋ヘルスセンター」の遺構・一本松と「全国温泉コンクール」入選の記念碑
そして「浜町商店街」を抜けた「ららぽーとTOKYO-BAY」の駐車場の裏手に、ひっそりと銅像と一本松が佇んでいるわ。
そう、この銅像と松こそが「船橋ヘルスセンター」の遺構なの。
当時ここは「船橋ヘルスセンター」の入口があった場所で、一番目立つ場所にこの一本松が植えられていたの。その後昭和32年(1957)に週刊読売の誌上で行われた「全国温泉コンクール」に入選した際の記念碑が、一番目立つ一本松の前に設置された背景があるみたい。
今ではすっかり駐車場裏のひっそりとした場所になってしまっているけど、当時はここが一番目立つ場所だったなんて少し感慨深いわよね。
一本松と「全国温泉コンクール」入選の記念碑の場所
〒273-0012 千葉県船橋市浜町2丁目1
【貴重!】「船橋市郷土資料館」で「船橋ヘルスセンター」グッズを見学!
はい、では現場で当時の遺構を見学して、続いてやってきたのは新京成線の薬園台駅です。
なんでもここ薬園台にある「船橋市郷土資料館」では、当時の貴重なグッズを見ることができるんですって!
薬園台駅から15分程歩いて「船橋市郷土資料館」に到着!
ちなみに受付で撮影許可を申請すれば、許可証をもらって館内を撮影することができるわよ!郷土資料館などは、撮影できない所も多いのでこれは有り難いわよネ!
まぁ、最近は撮影禁止の場所で、平気で撮影している不届き者も多いんですが・・・
「船橋市郷土資料館」は太古から現代まで、船橋市の歴史を勉強できる資料館。
そんな一角に「変わりゆくまちの姿」と題し、「船橋ヘルスセンター」に触れているコーナーがあるわ。
こちらは「船橋ヘルスセンターご案内図」。筆者が入手したものに似ているけど、こちらの方が新しそうね。
そしてこちらは半纏の形をした手拭い。かわいい!!
そしてこちらはお土産品。こういう木の人形って、いかにも昭和のお土産って感じがするわよネ。お婆ちゃんちに似たようなものが沢山飾ってあったのを思い出したわ。
「船橋ヘルスセンター」の展示品は少ないものの、貴重な品が見れて大満足よっ☆
あっ、そうそう!船橋市の公式HPでは、当時の写真を見ることができ、かなり楽しいのでオススメよ☆⬇
「船橋市郷土資料館」の場所・詳細
〒274-0077 千葉県船橋市薬円台4丁目25−19
営業時間:9時00分~17時00分(月曜定休日)
【高度経済成長期の夢の国!】「船橋ヘルスセンター」に思いを馳せよう♬
はい、今回はかつて千葉県船橋市に存在した巨大レジャー施設「船橋ヘルスセンター」の歴史と、跡地にある遺構を紹介したわ。
高度経済成長期とともに始まり、終わりとともに去っていった「船橋ヘルスセンター」は、戦後日本の発展を見てきたレジャー施設といっても過言ではないわネ。
筆者は今回パンフレットを入手したことで、「船橋ヘルスセンター」について調べてみたんだけど、なかなか興味深い歴史が多くて楽しかったわ♬
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