大都会新宿にある巨大団地群、都営「戸山ハイツ」。高層ビルと雑踏の中で、昭和の空気を放つ「戸山ハイツ」は、都会にありながらノスタルジックな雰囲気が漂う素敵な場所よね。
元々「戸山ハイツ」がある戸山ヶ原一体は、明治時代に陸軍の各種学校作られ軍用地として使われていたの。
長年軍用地と使われていた戸山ヶ原一体も、第二次世界大戦が終わりを告げると、GHQから戦後の住宅難を解消するための、越冬応急住宅を作る土地として提唱されたわ。
そして昭和23年(1948)に、木造平屋建の1052戸の集合住宅が建設されたの。それが今の「戸山ハイツ」のルーツってわけ。
この住宅は、都内における集合住宅の先駆的な存在で、申込みの倍率が35倍というかなりの狭き門だったみたい。
その後、昭和43年(1968)〜昭和51年(1976)にかけて、順次高層マンションに建て替えられ、今の「戸山ハイツ」の姿になったのよ。
まぁ〜とはいえ、そんな高層マンション化から早50年以上、今ではすっかり「戸山ハイツ」の住人の高齢化も進み、”新宿の限界集落”・・・な〜んて異名を持つようになってしまったわ。
いまのトコロ、建て替えなどの予定はないみたいなんだけど、近い将来この光景も見られなくなってしまうかも知れないわ。
と、いうことで、今回は昭和の団地をカメラに収めるべく、「戸山ハイツ」周辺を散策してきたわ。
「戸山ハイツ」のメインストリート・33号棟の下駄履き式団地
「戸山ハイツ」があるのは、東京都新宿区。
とはいえ最寄りの駅は都営大江戸線・東京メトロ副都心線の東新宿駅で、大ターミナル駅である新宿駅からは1.6キロほど離れており、歩くと20分ほどかかるわ。
しかも最寄りの東新宿駅は、平成12年(2000)に大江戸線が開業した時に出来た、平成の産物なわけですよ。(その後平成20年に副都心線が開業)
東新宿駅が出来る前の鉄道最寄り駅としては、JR山手線の大久保駅が一番近く、新宿といえど交通の便が良いわけではなかったみたい。まぁ往々にして団地って広い土地が必要なので、そんなものよね。
ちなみに、都電角筈線が通っていた頃は東大久保という停留所が、現在の大江戸線東新宿駅と若松河田駅の間ぐらいにあったみたい。ただ、都電角筈線は昭和45年(1970)に廃線されているので、現在の高層化された「戸山ハイツ」になってからはあまり恩恵は受けられなかったみたいね。
はい、それでは早速、そんな新参駅・東新宿駅からも新大久保駅からも一番アクセスしやすい、「戸山ハイツ」の顔である33号棟とCOOP前から見ていきましょ〜。
団地に住むお年寄りがたむろしており、かなり賑わいを見せていて「戸山ハイツ」の玄関といったところネ。
「戸山ハイツ」は一部でディープなB級スポットとして知られているみたいだけど、まぁまぁ長閑な都営団地だったりするのよね。(まぁ酒飲んでる爺ちゃんとかいるケド。昔よりはクリーンになっているのかも。)
33号棟にある「戸山ハイツ」の案内図。とにかく広い!緑の部分に団地が建っていて、白い部分は戸山公園になっているわ。自然が多く環境は良き。
33号棟は1階が店舗になっている、下駄履き式団地。
昭和感が漂いワクワクしかないわ。
一見するとシャッター街に見えるじゃん?でも、これ筆者が正月早々に行っているから閉まっているだけだからね・・・
ここ33号棟は比較的現役の店舗も多く、古いお店だけでなく、新し目のお店も入っていたりする。
そして筆者は「珈琲専科 メルヘン」に行きたかったのだけれども、正月休みでやってなかったわ。
こんなにイカした喫茶店まであるなんて、33号棟は無敵じゃないの。
インダストリアルな雰囲気がある、レトロすぎる通路も味があってグー!
本当は中まで入っていきたいけど、流石に大勢の人が暮らす団地なので衝動を抑え外観を眺めさせてもらうだけ・・・
33と書かれた号棟表示もオシャレじゃない?
あ〜よい、この「33号棟集会所」の昭和感よき。
な〜んて思っていたら、都営住宅らしい(?)不穏な張り紙が貼ってあったわ・・・
【限界集落?】「戸山ハイツ」・広い!とにかく広い!
団地って往々にして広いもんなんだけど、ココが新宿だというだけで、より広く感じてしまう不思議。
こんな大都会で広い土地を使い集合住宅が建っているなんて、本当に贅沢よね。
公園も沢山整備されているけど、やはり高齢化が顕著なのかこどもの姿は見えないわ。
ポップでアバンギャルドな動物たちが静かに佇んでいる。
昭和の時代は沢山のこどもたちで賑わったいたのだろうか。
そして公園前の団地の造形も素敵すぎる。
な〜んて高齢化、高齢化言ってしまったけど、先程の公園ではこどもの姿は見なかったけど、分譲団地がある27号棟付近の公園ではこどもが遊ぶ姿も見られたわ。(27号棟は見切れて写真に写ってません。写っているのは28号棟と30号棟)
このあたりは板状団地ではなく、マンションタイプの団地のため、比較的若い夫婦も住んでいるのかも?
「戸山ハイツ」は高齢者のいる世帯が約6割で、高齢者の単身・夫婦のみ世帯も併せて全体の約4割らしいんだけど、日本全体が高齢化してるんだもの、これも自然な数字に思えてしまうのよね・・・
そして「戸山ハイツ」がある、戸山ヶ原一体は起伏に富んでおり、団地内に素敵な路地や小道も多いので歩くのが楽しい。
もぅ〜コレは団地好きだけではなく、地形好きも満足できるちゃう散策コースよ。
あっ、ちなみに左に見切れているのが先程書いた分譲団地の27号棟ネ。綺麗で団地っぽくないわ。
そして坂を降りると出てくる、めちゃくちゃカッコ良すぎの22号棟!
階段形状になっているため、光も入りやすそう。
上から見るとこんな感じ。
「戸山ハイツ」は全体的に板状団地が多いけど、この22号棟と隣の23号棟、少し離れた9号棟がこの形になっている。
イロイロな形の団地が見られるのは萌えるわよネ〜。
【戸山公園】箱根山と戸山教会、そして戸山ハイツの給水塔
そして「戸山ハイツ」散策でぜひ立ち寄りたいスポットが、戸山公園にある箱根山!
この箱根山は、な、なんと東京23区内で最高峰の山なのよ!(高さ44.6mという低山だけど・・・)
江戸時代はこの辺りは、尾張徳川家の下屋敷で当時はこの山は玉円峰(ぎょくえんぽう)と呼ばれていたそう。
そして箱根山の上にはクラシカルな戸山教会もあり。
戦後、戸山ハイツの建設が決まったとき、GHQから”住人たちの心の拠り所になる施設”を作ることも提案され、戸山教会が建てられたんだとか。
そして、教会の下の歴史を感じる石造りの部分は、陸軍用地として使われていた時代の、将校集会所だったんですって。
江戸時代から昭和まで、様々な役割を与えられていた戸山ヶ原一体。歴史を辿ることができる貴重な地域よね。
ちなみに、江戸川乱歩の「怪人二十面相」の怪人の隠れ家が、ここ戸山ヶ原にあるという設定がされていたわ。他にも乱歩の小説には戸山ヶ原と思われる場所が度々登場する。
そしてそんな歴史ある公園一体を抜けると、「戸山ハイツ」の給水塔が現れるわ。
なかなか立派な給水塔が都内新宿で拝めるなんて、ありがたき幸せ。
足元の”給水弁”の杭も哀愁がありよき雰囲気。
団地と給水塔はやはり絵になる。
【戸山ハイツ】シャッター街?下駄履き式団地・10号棟
給水塔からさらに進むと、新宿戸山郵便局が入る、下駄履き式の10号棟があるわ。
こちらは33号棟に比べ、シャッター街が多い。
でも、前の公園は広々しているし、大久保通り沿いに面しているため悲壮感はないわね。
この日は正月休みのため営業していなかったけど、現役の「ヤマザキショップ」から昭和のかほりが感じられよき雰囲気ネ!
こういうお店が近所にあると嬉しいわよネ〜。
【都市伝説】戸山ヶ原からでた人骨のウワサ・・・
戸山ヶ原一体といえば、平成元年(1989)に国立感染症研究所構内の建設現場から、身元不明の100体の人骨が発見されたというニュースがあったわ。
再三書いているけど、この辺りは軍施設で陸軍軍医学校もあったことから、戦時中の731部隊の人体実験による人骨なんじゃ・・・・な〜んて都市伝説が流れているわ。
実際は陸軍軍医学校の標本の一部ではないかと言われているそうだけど。
筆者は人骨問題の事はよくわからないけど、発見現場と戸山ハイツや戸山公園は結構離れているんだけど、一体が謎に心霊スポット化しているのが少し悲しいわネ。
「戸山ハイツ」・戸山ヶ原一体を歩こう!
今回は「戸山ハイツ」をふくむ戸山ヶ原一体を散策した様子をお伝えしたわ。
団地としてもとても興味深いんだけど、江戸時代から続く戸山ヶ原の歴史を思うと胸アツよネ!
”限界集落”とか”心霊スポット”とか、ネガティブなワードが並びがちの「戸山ハイツ」だけど、団地好きだけじゃなく、歴史好きや地形好きの人も楽しめる最高のスポットなんだからっ!
☆団地は住宅です。住人の皆さまに迷惑にならないように、静かに・ひっそり・楽しく見学しましょう!!☆
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