※江戸東京博物館は現在改装工事中のため、令和7年度中まで休館中です!ご注意下さい!
相撲の聖地として知られる両国駅。ここには「江戸東京博物館」という江戸から現代までの歴史が学べる素敵な施設があるわ。
なんとこの「江戸東京博物館」では、昭和34年に建てられた「ひばりが丘団地」の室内が復元さていて、昭和の生活を垣間見る事ができちゃうの。
今回はそんな「ひばりが丘団地」を見るために「江戸東京博物館」行ってきた様子をレポートするわ。
「江戸東京博物館」の展示内容としては、265年も続いただけあり江戸時代の展示がメインをしめているんだけど、このブログの趣旨的にご紹介するのが昭和時代の展示ばかりになるけどご了承くださいませ。
「江戸東京博物館」ってどんな施設?
両国駅を出てすぐ、両国国技館に隣接する建物、それが「江戸東京博物館」。
入館料は大人¥600。(学生¥480/中・高生¥300/65歳以上¥300)
そしてなんとここ、未就学児及び小学生と都内在住の中学生に関しては常設展の入館料が無料なのよ!
建物は7階建てで展示スペースとしては5・6階を使用、なかなか展示スペースが広いので歩きやすい靴で行くのをオススメするわ。
チケット売り場は1階と3階にあって、そこから入場したあとはエレベーターに乗って6階へ移動。
6階に到着すると目の前に実物大で復元された大迫力の「日本橋」がお出迎え!
「日本橋」を渡るといよいよ江戸時代にタイムスリップよ。
江戸〜明治の様子を見てみよう!
江戸の町のジオラマ。
「江戸東京博物館」にはこういったジオラマの展示がとっても多く、細部まで拘ったジオラマはじっくり見ちゃう精巧さ。
江戸時代の代表的な芝居小屋である「中村座」の正面部分を原寸大で復元。
明治7年に創刊された「朝野新聞社」(ちょうやしんぶんしゃ)の社屋を再現。江戸幕府が終わりを迎え、文明開化が花開くとこんなにモダンな建物ができちゃうのね。
ちなみに「朝野新聞」は新政府を痛烈に批判して人気を博した新聞なんですって。
明治23年に建てられた浅草の「凌雲閣」。
当時としては破格の12階建ての高層ビルで、日本初のエレベーターが8階まで設置されたわ。でも建設の翌年には危険性が高いということで使用を中止しているの。
残念ながら大正12年の関東大震災で半壊したため解体されてしまったわ。
大正、そして昭和へ。
この和洋折衷の素敵なお家は大正時代に建てられ、その後昭和12年に大熊喜英の設計によって改築したものを一部移築・復元したもの。
山小屋風の建物は大正から昭和初期に流行したデザイン。
昭和の職業婦人の写真。
第一次世界大戦後、産業の変化によって今までになかった新しい仕事がどんどん増えていったわ、それにともなって女性たちが外に働きに出る機会が増えていったの。そんな彼女たちは「職業婦人」と呼ばれるようになったわ。
右下に「タイピストの学校で学ぶ生徒」の写真があるけど、当時「タイピスト」は優秀な人しかなれない職業だったのよ。正確なタイピングスキルだけじゃなく、タイプする書類が間違っていたら訂正もしないといけないから、高い教養も求められる仕事だったそうよ。
そして花形の職業といえばデパートガールやエレベーターガールね、見目麗しい若いお嬢さん方が働いているので注目される職業だったとか。
女性が外で働くことに偏見を持つ人も多かったけど、先進的な女性として周囲から羨望の的になることもあったようね。
昭和6年の「モダン日本」のグラビアページ「近代娘の半日」。
「モダン日本」は昭和5年に菊池寛によって創刊された雑誌、モダンなサラリーマンや職業婦人が主な愛読者だったわ。
昭和初期のナウなヤングの生活の様子ね。
「江戸東京博物館」ではこういった当時の雑誌の展示も豊富でとっても興味深いわね。
戦前のレトロモダンな雰囲気とはうってかわって、ついに第二次世界大戦が勃発。
こちらは空襲が本格化する直前の都民の生活を再現した家屋。空襲の爆風でガラスが飛び散らないように窓には紙が貼られ、電球には明かりがもれないようにカバーがかけられているわ。
室内にはあたりまえのように鉄兜や防空頭巾が常備されていて、戦争の悲惨さを物語っているわね。
続いては戦後にできた新宿の闇市を再現したジオラマ。
「光は新宿より」というキャッチコピーをもとに終戦から5日後には出現していたという「新宿マーケット」を再現。場所はいまの東口の新宿通り沿い「ビックロ」がある辺りまでだったとか。
戦後の東京の主要駅にはあっちこっちに闇市が出現していたし、新宿なんて闇市だらけだったわけですよ。
高度経済成長・ひばりヶ丘団地を再現!
続きましては「江戸東京博物館」の最大の見所(筆者的に)、昭和34年に建てられた公団「ひばりが丘団地」の室内再現ゾーンよ!
「ひばりが丘団地」は北多摩郡保谷町と田無町(現在の西東京市)・久留米町(現在の東久留米市)の3町にまたがる広大な団地。公団にとって当時としては最大級の広さをほこり後のマンモス団地の先駆けになった記念すべき団地。
実際の「ひばりヶ丘団地」は老朽化の影響で建て替えがすすみ、「ひばりヶ丘パークヒルズ」という洒落た名称に変わっているわ。
⬇公団や集合住宅について詳しくは「集合住宅歴史館」の記事に書いているわ。(集合住宅歴史館は2023年春ごろ赤羽台団地へ移転する為現在は閉館)⬇
ちなみに「集合住宅歴史館」では「団地への招待」という「ひばりが丘団地」が舞台になっている、昭和34年当時の動画が見られるわよ。
「ひばりが丘団地」には昭和35年に現在の上皇・上皇后ご夫妻(当時の皇太子・皇太子妃)が訪れているわ。それだけ注目されていた団地ってことよね。
室内の様子は昭和37年頃のものを再現しているんだとか。
テーブルの上にある「バャリース オレンヂ」は昭和26年に日本で初めて市場に登場した本格的な果汁飲料。もともとは昭和24年に進駐軍の飲み物として輸入されていて、その後「バャリース・オレンヂ・ジャパン」が設立、朝日麦酒(現在のアサヒビール)から発売されたもの。
当時の表記は「バヤリースオレンジ」じゃなくって「バャリースオレンヂ」だったのよ。
台所にはお櫃や鰹節削り器、赤いシャポーの味の素でお馴染み「味の素」の姿もあるわ。
ちなみに「味の素」は明治42年に池田菊苗教授が「うま味」を発見したことにより発売されたうま味調味料。発売から100年以上たっても今なお売れているってすごいわよね。
ベランダ側からみたリビング。
カラーテレビも設置。
昭和35年にはNHKや民放4社がカラーの本放送を開始。カラーテレビが普及していったのが昭和40年代以降なので、再現している昭和37年にカラーテレビを持っているなんてなかなか裕福なお家ね。
その他の昭和の展示も見逃せない!
まだまだ自宅のテレビが憧れの時代に人々を夢中にさせた「街頭テレビ」。そんな「街頭テレビ」も再現されていたわ。
日本でテレビの本放送が始まったのが昭和28年、でもその頃テレビなんて家庭に普及しているはずもなく、視聴者数確保のため、当時日本テレビの社長であった正力松太郎が繁華街や主要な駅などに設置したのが街頭テレビってわけ。
街頭テレビにもでかでかと「日本テレビ放送網・NTV」って書いてあるわね。
昭和39年10月1日に開通した新幹線のコーナーもあるわ。
写真は開通記念のタバコ「ピース」に開通直前に発売された「アサヒグラフ 臨時増刊号」。
デザイン的に初代の新幹線が一番かわいいわよね。
ちょっとだけ平成ノスタルジーの展示も。
90年代の女子高生の必須アイテム「ポケベル」。当時はすごく便利な道具に見えたけど、スマホが当たり前になった今、凄く不便なものに感じるわよね。
なつかしのiMac!1998年発売。筆者は初めて買ってもらったパソコンがiMacだったわ。今見てもかわいいデザイン!
iMacのとなりは1991年に放送されていた「東京ラブストーリー」のVHS。
「東京ラブストリー」は最高視聴率が32.3%というバブリーなドラマ、今ではこんな高視聴率のドラマって考えられないけど、90年代〜00年代はそこそこドラマの視聴率って高かったのよね。
「江戸東京博物館」見学を終えて。
冒頭でも書いたけど、「江戸東京博物館」のメインの展示としては「江戸時代」が多くなっているわ。(正直戦後の展示は少なめ。)
今回ブログの趣旨的に「昭和」の展示を主にご紹介したけど、江戸から明治、大正とどの時代においてもとても魅力的で勉強になる展示ばかりよ!
紹介したのは常設展だけだけど企画展も随時やっているから、興味がある企画展にあわせて行ってみると楽しさ倍増よ!
場所・詳細
東京都墨田区横綱1−4−1
最寄り駅:都営大江戸線両国駅 徒歩1分
JR両国駅 徒歩3分
営業時間:9:30〜17:30 休館日:月曜日
(営業時間・休館日は状況によって変更になる可能性あり)
※江戸東京博物館は現在改装工事中のため、令和7年度中まで休館中!リニューアルオープンを楽しみに待ちましょう!
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