熱海の色街跡を散策した翌日、折角ここまできたのだから、お隣の伊東にある赤線跡・猪戸新地も歩いておこうと思いたち、伊東線に揺られ伊東駅に上陸です。
まぁ〜今回の熱海旅自体が当日に思いつくまま決行したため、伊東散策は熱海以上にノープラン。
先人たちが残したブログなどのおかげで、猪戸がかつては赤線だったという情報は知ってはいたものの、詳しい歴史や詳細などもわからぬまま、街歩きを決行するはこびとなってしまった・・・
そのため、詳しい情報もなくただただ彷徨うだけのレポートになってしまったことを、はじめにお詫びしておくわ。
そして赤線跡だけだと心もとないので、伊東の歓楽街・宵のまち通り周辺もうろうろしてきたので、併せてレポートするわネ。
【伊東の赤線跡】猪戸新地とは?場所をチェック!
赤線跡である猪戸新地を歩いてゆく前に、まずは場所をチェックしておきましょ。
かつて赤線があったのは、伊東駅から5分ほど歩いた伊東市の猪戸地区。
とはいっても、猪戸地区全体が赤線だったわけではなく、伊東のメインストリート(?)「湯の花通り」から少し入った一丁目の一部にあたるわ。
地図で見るとこんな感じ。
赤く囲った辺りが猪戸新地があったと言われている場所よ。
かつて伊東には新天地と呼ばれた赤線もあったのだけど、今回筆者が彷徨してきたのは猪戸新地のほう。新天地は今は廃校となった、伊東市立西小学校の裏手あたりにあったのだそう。
こちらも散策したかったのだけど、この日はかなりの雨が降っており、あまりの寒さに体力を奪われ断念したわ。
【伊東の赤線跡】猪戸新地を歩く。
では、場所を確認したところで、伊東の赤線・猪戸新地跡を歩いてゆきましょう。
駅前のメインストリートである「湯の花通り」から横道に入ると、かつての赤線跡にたどり着けるわ。
通常の民家やマンションなども建ってはいるものの、当時を忍ばせるような飲み屋街が続いている。
趣のありすぎるビルも多い。
趣ある建物に目を奪われつつ、今回ノープランとはいえ、猪戸新地でどうしても見たかった遺構があるため、とりあえずその場所へ向け歩を進めるわ。
おっ!あった!
うろうろしつつ、見たかった当時の遺構を発見!
これ、これ!見たかった遺構とは、こちらのアーチ!
猪戸新地ではかなり有名な遺構で、赤線時代に使われていたものなのだそう。
昨今はいろんなものが取り壊されていく中、綺麗に残っているのは貴重。
かつて明かりが灯っていたであろうライトも、なんだか哀愁をさそうわ。
後ろに建つ建物も、なんとまぁ〜色気のあること。
当時の繁栄が目に浮かび、少しドキドキしてしまう。
かなり古く立派な建物だけど、戦前のもの?
昭和9年(1934)の丹那トンネル開通により熱海の色街は発展していったけど、伊東の色街も昭和13年(1938)に熱海〜伊東までの伊東線が開通したことで、より発展していったのかしら?
もしかしたらこの建物は、そんな当時からあるものかもしれないわよね?(予想)
勝手なイメージなんだけど、伊東は昭和33年(1958)9月26日に発生した狩野川台風でかなりの被害を受けているため、古い建物が少ない印象だったのよ。でも、それ以前に建てられたであろう建物も結構多く残っていて、なんだか感動してしまう。
少し赤線の話とそれてしまうけど、狩野川台風で市内を流れる大川が氾濫したため、伊東の街はかなりの被害を受けているのよ。そんな中でも復興して伊東温泉を盛り上げ、多くの観光客を迎え入れていったと思うと、人の力って本当に凄いわよね。
なんて、狩野川台風からの伊東温泉復活の軌跡を感じながら、古い建物を眺めてゆく。
アーチの横にあるこちらの建物もかなり古そう。
狩野川台風が発生した少し前の昭和33年(1958)4月1日に売春防止法の罰則が施行され、赤線は廃止となるわ。
でもその前から県の売春取締り条例は制定されており、中でも伊東市は県内でもいち早く、昭和26年(1951)7月に静岡県売春取締り条例が設定されているの。
お隣の熱海では条例が制定されることもなかったのだけど、こんなに近場で対応が全く違うっていうのも興味深いわよね。
熱海にはRAAの施設があったこと以外にも、伊東と熱海の気質の違いみたいなのもあるのかしらね?(わからないけど・・・)
なんて想像を巡らせながら、如何にもなカフェー建築を眺める。
かなり凝った作りのファザードじゃない?
な〜んて思いながら、カフェー建築を探し猪戸新地跡をウロウロしていると、近所に住むであろう御婦人に「どこか場所を探してますか?」と声を掛けられてしまった・・・
雨の中カメラ片手にGoogleマップを見つつ飲み屋街をウロウロする女の姿は、不審人物に思われたに違いない・・・
「あっ、大丈夫です、ありがとうございます。」とかなり怪しげにお礼をいいつつ、猪戸新地を後にします。
折角だから声を掛けてくれた女性に赤線時代のこととか聞いてみたかったのだけど、まだ4〜50代のぐらいの方だったので、当時のことなんて知るよしもないし、人によっては嫌な気持ちにもなるだろうと思うと聞けなかった・・・
猪戸新地のことが全然わからないまま歩いているので、現地の人に聞くのがいいのだろうけど、なんせコミュ障なもので、ハードルが高いのよ・・・
なんて、自分のコミュ障に辟易しながらも、猪戸新地を隔てる「猪戸通り」にあるめちゃくちゃ趣のある建物を眺める。
この後は「猪戸通り」を渡り、伊東の夜の街として知られる宵のまち通りを歩いてゆくわよ。
【伊東の赤線跡】宵のまち通りを歩く。
赤線跡である猪戸新地を後にし、やって来たのは伊東の夜の街・宵のまち通り。
宵のまち通りは赤線跡ではないんだけど、趣のある建物が多いことでも知られているわ。
飲み屋さんへと姿を変えているものの、昔は何かやっていたのではと思わせるカフェー調の建物も多い。
筆者のような色街素人には、全てがあやしく見えてしまう・・・
かなり凝った造りの建物。
かつてこの辺りが青線だったとも聞かないのだけど、まぁ、温泉街の歓楽街って往々にして(とは言い過ぎか)秘密裏に大人のご商売がセットになっていたりするわよね。
昭和の時代は社員旅行などの団体客も多かったし、まぁ温泉に来るのってそういう楽しみもあったみたいだし。
本当、今は社員旅行がある会社も減ったし(筆者は社員旅行がある会社で働いたことない)、良い時代になったわよ。
筆者は昭和マニアだからこそ、昭和の全てを絶賛できない。女性社員がおっさん社員のお酌させられたりセクハラされたりもあったみたいだし、悪しき風習が失くなっていくのは大賛成よ。
なんてことを考えつつ、宵のまち通り最大の遺構に到着。
カフェー建築の遺構として、かなり有名な「美容院トミタ」の建物。
すごく綺麗に豆タイルの装飾が残っているわ。
こんなに美しく残っているのも、大切に住まわれていた証拠よね。
生で見たら想像しているより状態もよく、ドキドキしてしまったわ。
そんなドキドキしながらも、壁にかかるキリストの言葉を眺めていると・・・
無性にそそる路地を発見。
なんだか立派な廃墟。旅館か?
なぎ倒された扉が哀愁を誘う・・・
古い廃墟を眺めながら奥へ進むと、古い建物が建ち並ぶ一角にたどり着ける。
素敵な路地を見つけると、いくつになってもわくわくしてしまう。
こういうわくわくがあるから、街歩きはやめられないのよね。
【廃墟】元ピンク座を眺める。
わくわくする路地を後にし、続いてやって来たのは、かつてストリップ劇場として賑わいを見せていピンク座の廃墟。
今回伊東に来たのは、この廃墟が見たかったからっていうのもあるのよね。
ピンク座は2015年頃閉館したようで、それからは廃墟として佇んでいるわ。
規模が違うとはいえ、熱海のストリップ劇場「熱海銀座劇場」が現役なのと比べると、少し物悲しく感じてしまう。
まぁでも、全盛期である1970年代には全国に3〜400件あったストリップ劇場も、現在はかなり数を減らしているようなので、こうして廃墟が残るだけでも珍しいのかも。
「大人の貝酔欲情(かいすいよくじょう)」の文字に、夜露死苦的なセンスを感じるわよね。
かつては多くの大人たちで溢れたであろう、もぎりの窓口は固く閉ざされ、静かに過ぎ去った行った年月を感じさせるわ。
昭和の時代は温泉街にはストリップ劇場がつきものだったのだけど、こうして廃墟を眺めていると時の移ろいを感じる。
旅行のスタイルもかなり変化し、団体旅行から個人旅行が主流となり、温泉街の夜の街も寂れてゆくのは無理もないのかも。
ぼっちの筆者が当たり前のようにひとり旅を堪能できるのも、今の時代ならではなのかも。なんて思いつつ、伊東の色街を後にします。
【伊東の赤線跡】猪戸新地と宵のまち通りを歩く。
今回は伊東の赤線跡・猪戸新地と宵のまち通り周辺を散策してきた様子をお伝えしたわ。
詳しい歴史なんかがわからないままなので、もっとしっかり調べる必要がある散策となってしまったものの、趣のある当時の遺構を見ることができ大満足。
まぁ中途半端なレポートとなってしまったため、引き続き伊東の色街だけでなく、町の歴史をしっかり調べてみようと思うわ。
☆★町を散策する際は、地元の人に迷惑にならないように、静かにマナーを守って楽しく散策しましょう!★☆
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