団地は戦後の住宅不足解消のためだけに建てられたと思っていない?
そんなに団地を見くびってはダメよ。住宅以外でも重要なミッションが課されている団地があるんだから。
その団地とは東京都墨田区堤通にある「白鬚東アパート」。「白鬚東アパート」は住宅としての需要は勿論、防災拠点としての役割も担っているの。
そして「白鬚東アパート」は何といっても、団地としての格好良すぎる形状がスゴイのなんのって!
難し事はわからなくても、要塞のようなクールでスタイリッシュなそのビジュアルは、見たものを虜にさせるすごい魔力を持っているわ。
今回は団地としてだけでなく、防災拠点としてもビジュアル面でも、最高にイカシした団地「白鬚東アパート」をご紹介するわネ☆
【白鬚東アパート】1.2kmにも及要塞団地!歴史と概要
とにかく何がすごって、筆者が雑に加工した上の地図を見てちょうだい。
赤く囲った部分が今回ご紹介する「白鬚東アパート」よ。
とにかく横に長っがい!!その全長は約1.2kmにものぼり、赤枠で囲った部分は全てが繋がっているの。なかなかこんなに長っがい団地ってないわよネ。
決して「白鬚東アパート」は見た目に重点を置き、映える団地にしたくてこんなに長くなったわけじゃないの。先にも書いたように防災拠点としての役割を果たすため、こんなに長っがい団地になったってわけ。
なぜこの防災拠点ができたかというと、震災時などの火災から住民を守るため、防火壁としての役割があるから。
火災がおきた際に、「白鬚東アパート」によりそうように整備された東白鬚公園に住民が避難して、「白鬚東アパート」が防火壁となり火災から住民を守る仕組みってわけ。
いやぁ〜、本当によくできているわよネ。
そもそも「白鬚東アパート」が建つ東京都墨田区北部は、以前から震災時の被害が懸念されていたため、こんなに立派な防災拠点が建てられたという背景があるわ。
この辺りは大正12年(1923)の関東大震災後に、かなり多くの木造住宅が密集しはじめたわ。そのため再び関東大震災級の震災が起こった場合に、沢山の犠牲者が出ることが懸念されたの。
戦後になってもその心配は消えず、昭和23年(1948)に福井地震、昭和39年(1964)に新潟地震という地下直下型の地震が立て続けに起こったことから、この辺りの防災対策の機運が高まってきってわけ。
そこで東京都は昭和44年(1969)に高等防災6拠点構想を制定して、災害に強い街づくりをする方針を固めたわ。
そして昭和47年(1972)9月に白鬚東地区再開発事業として都市計画が決定され、昭和50年(1975)に着工、昭和57年(1982)3月に「白鬚東アパート」は完成したわ。
団地としてはわりと最近のもので、戦後の住宅不足を解消するために高度経済成長期にニョキニョキと建てられた団地とは、また違った趣のある団地になっているわ。
あっ、そうそう、この「白鬚東アパート」の最寄り駅は東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅。鐘ヶ淵は化粧品会社カネボウの創業の地で、社名の由来となった土地なの。
(※カネボウは2007年に経営不振のため解散。化粧品事業のみ花王、その他事業はクラシエへと引き継がれた。)
「白鬚東アパート」は東京都が、昭和37年(1962)に創業を停止した鐘淵紡績(カネボウ)の東京工場の跡地を買収し建てられたみたい。
【白鬚東アパート】イケメンすぎる防災団地を歩く。
「白鬚東アパート」が長っがい理由がわかったところで、さっそく団地を見ていきましょ☆
とにかく1.2kmもあるので、「白鬚東アパート」を見学する方は歩きやすい靴で行くのを推奨するわ。
ちなみに「白鬚東アパート」は、1号棟(東白鬚第一マンション)のみ日本住宅供給公社の分譲マンションとなっていて、その他は都営の白鬚東アパートとなっているわ。(2〜11・15〜18号棟は住宅・12号棟は駐車場・13〜14号棟は備蓄庫になっている。)
【イケメンすぎる!】強くて格好いい団地「白鬚東アパート」
「白鬚東アパート」は防災拠点として優秀なのは勿論、団地としても最高にイカしているの。
1.2kmという長さだけじゃなく、住宅としての格好良さも素晴らしい!
筆者が特に好きなのは、16号棟〜18号棟。
この部分は17・18号棟、15・16号棟が2棟並んで建っていて、上から見ると「H」型になっている。
そのため、棟と棟の間に中庭のような空間ができ、住民のくつろぎの場所として機能することができるの。
防火壁として2棟並んでいる安心感もありながら、日頃の住環境の良さも担うという、とても機能的な作りだと思うのよね。
防災から守るという強さに加え、暮らしにゆとりや癒やしを与え、おまけに格好いいヴィジュアルなんて、「白鬚東アパート」はどこまでイケメン団地なんでしょう♡
【火災から守る!】「白鬚東アパート」各棟に配置された門
そしてなんと言っても「白鬚東アパート」のイケメンたるところは、各棟をつなぐ門。
普段は通路となっているけど災害時にこの門は閉じられて、火災や粉塵から人々を守ってくれる強い味方になるわ。
こちらは17・18号棟、15・16号棟を繋ぐ、オレンジ色の「鐘紡門」。
こちらは「寺島門」。奥にうっすら見えるのは東京スカイツリー。
門の名前は各棟がある地名から名付けられているそう。
団地の棟の途中には鐘ヶ淵通りが通っており、そこにもしっかりと門が構えられている。
うひょ〜格好いい♡
【防災設備もバッチリ!】「白鬚東アパート」の底力
そして「白鬚東アパート」の防災設備は、格好いい門だけではないわ。
暮らしている住民たちを守るために、沢山の工夫がされているの。
まず、街側の墨堤通沿いの窓は、全てシャッターが降りる仕組みになっている。
火災が発生した時にシャッターが閉まり正真正銘の一枚の壁となり、防火壁としての機能を発揮するの。スゴイ!!!
そして屋上に置かれた黄色い物体、これは水タンク。
そして各所には放水銃が設置されている。シャッターが火災で熱くなった際は、この放水銃で熱を冷ます役割があるそうよ。
完璧なまでの要塞っぷり!!かっこよすぎやしないかい?
【生活面も安心】商店街も併設する「白鬚東アパート」
「白鬚東アパート」は防災団地としてだけでなく、通常の団地のように団地の商店街もしっかり完備。10号棟前に「しらひげセンター商店街」があるわ。
まぁ、でもシャッターが下ろされた店舗も目に付き、少しさみしい様子・・・
それでも、墨堤通りに面した店舗は、ラーメン屋さんやインド料理屋さんなどが営業していたわ。
【カッコいいだけじゃない!】歴史を感じる「白鬚東アパート」
「白鬚東アパート」は団地としての楽しむ以外に、歴史を感じることができる場所でもあるの。
墨堤通り沿いの7号棟と6号棟の間に、突如として鳥居が現れるわ。
ガッチリした要塞の中に厳かな鳥居が現れるので、なにかちょっと近未来の雰囲気すら感じてしまう。
「白鬚東アパート」の門をくぐり東白鬚公園を抜けると、隅田川神社を発見。
東京都神社庁のホームページによると、隅田川神社は以下の由来のある神社なんだとか。
治承の頃、源頼朝が関東下向の折、暴風雨に遭い、当社に祈願したと伝えられているが、御鎮座の年代は未詳。墨田の鎮守、船頭や荷船仲間に広く深く信仰されていた。明治五年に隅田川神社と改称。
引用:東京都神社庁
「白鬚東アパート」ができる前から由緒ある神社が存在し、こうして共存しているのもまた一興よネ。
そして墨堤通り沿いの9号棟前には、榎本武揚の銅像が鎮座。
なんでこんなところに榎本武揚の像があるのかと思ったら(やっぱりあるとしたら函館とかじゃん)、晩年この辺りに住んでいたようで、墨堤通りを馬で走っていたり、向島百花園で花を愛でている姿が見られたそうよ。
その他にも「白鬚東アパート」からは少し離れるけど、東白鬚公園内には「近代映画スタジオ発祥の地」があるわ。
ここは本格的劇映画が制作された、日活向島撮影所があった場所よ。大正2年(1913)に国内の映画製作会社4社が合同して、日本活動写真フィルム株式会社(日活)が設立され、この場所に撮影所を設置。当時は東洋一のスタジオだなんて言われていたみたい。(関東大震災により大正12年に閉鎖)
「白鬚東アパート」は団地として楽しめるのは勿論、さまざまな歴史的場所としても楽しめちゃうわよ☆
【まるで要塞!】格好良すぎる「白鬚東アパート」を歩こう♬
はい、今回は東京都墨田区堤通にある「白鬚東アパート」をご紹介したわ。
この辺りの防災拠点としてのミッションを背負いつつも、昭和の団地としての格好良さを兼ね備えた「白鬚東アパート」。そのヴィジュアルだけじゃなく、強くて格好いい姿はまさにイケメン団地そのもの!
昭和の高度成長期の団地とは少し違った面持ちで、これはこれでまた面白さのある団地よネ☆
ぜひ皆様も一度じっくりこのイケメンっぷりを愛でてみてはいかがかしら?あまりの格好良さにメロメロになっちゃうわよ!
★☆団地は住宅です!近隣住民に迷惑にならないように、静かに楽しく見学しましょう!!★☆
【防災団地】白鬚東アパート・場所
〒131-0034 東京都墨田区堤通2丁目10
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