皆さんは成田空港を利用する時、京成電鉄とJRのどちらを使いますか??まぁ、どちらを利用しても駅が空港に直結していて利便性は抜群よネ。
ただ、この便利な空港直結の駅も、成田空港が開業した昭和53年(1978)には存在していなかったってご存知かしら?
成田空港駅が開業したのは平成3年(1991)。(※空港第2ビル駅が開業したのは平成4年)成田空港と現在の成田空港駅との開業には、実に13年もの空白期間があるのよね。
その間、決して成田空港に鉄道最寄り駅がなかったわけではなく、現在の京成電鉄東成田線の終点駅東成田駅が、成田空港駅として営業していたの。
そんな東成田駅ですが、かつての成田空港駅として賑わいを見せていたのとは裏腹に、現在では非常に閑散としていて、”廃墟””秘境駅””異世界”・・・な〜んて呼ばれていて、ある意味人気の高い駅になっているわ。
今回はそんな人気の駅・東成田駅に行ってきた様子をレポートすると共に、かって計画されていた東京と成田空港を結ぶ幻の新幹線「成田新幹線」の歴史にも迫ってみたいと思うわ。
【元・成田空港駅】東成田駅の行き方。
それでは早速、かって成田空港駅として栄華を極めた、東成田駅に行ってみましょ〜☆行き方はいくつかあるけど、今回筆者は京成成田駅から東成田線に乗車して東成田駅を目指します。(京成成田駅の隣が東成田駅。)
路線としてはこんな感じ。京成成田から空港第2ビル駅を通り成田空港駅に向かう京成本線と、東成田駅に行く東成田線が途中で分岐しているわ。
本線の方に乗車してしまうと、東成田駅には止まらないので注意が必要よ!
地図を見て分かる通り、東成田駅は空港のターミナルへは乗り入れしていないため、成田空港駅時代はバスや徒歩で移動したの。
あ、そうそう、東成田駅は京成東成田線の終点でもあり、芝山鉄道の始発駅でもあるの。芝山鉄道は東成田駅と隣駅の芝山千代田駅の二駅を結ぶ、営業距離わずか2.2キロの日本一短い鉄道路線なのヨ。
さぁそれでは、京成東成田線に乗車して、東成田駅へと向かいましょ♬
【まるで廃墟!?】異世界感あふれる東成田駅を散策☆
京成成田駅から列車に揺られること6分、いよいよ東成田駅に到着です。東成田駅は成田空港内にある、地下ホーム駅になっているわ。
ちなみに、”東成田に向かう列車内はガラガラで、如何にも異世界に連れて行かれそう・・・”などと言う声をよく聞くけど、筆者が乗車した7月中旬の13時過ぎは、空いてはいるものの地元の学生さんが数名乗車していて、鉄道網としてしっかり地元の人の足になっている事を実感できたわ。
【まるで廃墟!?】異世界感あふれる東成田駅のホームを散策!
さぁ〜それでは列車を降りたら、まずは東成田駅のホームを散策していきましょ!
ちなみに、列車内に複数いた学生さんたちは東成田では下車せず、降りたのは筆者だけだったわ。
東成田駅は成田空港内にあるだけあり、現在では筆者のような観光客以外は空港関係者の利用が殆だそう。お昼間は下車する人も少ないけど、朝夕のラッシュ時間は多くの関係者に利用され、しっかりと駅としての役割を果たしているわ。
現在では空港関係者の通勤に欠かせない東成田駅ですが、かって成田空港駅として栄華を極めた遺構が、ホームのあちこちに感じられるわ。
現在の東成田駅の1日の乗降人員は1,562人で、京成電鉄69駅中第66位の少なさにも関わらず、2面4線のホームが作られており、ここにかって多くの列車が行き交っていたことが伺える。
現在では2線は閉鎖されているものの、現役のホームから、使われていないホームを眺めることができる。誰もいない閑散としたホームの姿は、廃墟感や異世界感を感じざるを得ないわね・・・
そして使われていないホームの駅名板は、今でも『成田空港』の名前が残り、当時の姿をそのまま残している。
『成田空港』の名前が残っているのも素晴らしいけど、駅名看板が無駄に昭和感があるのも萌えポイント。そして置かれている木のベンチも、昭和の香りが漂い最高にイカしてるわ。
掲げられている広告看板も昭和。看板などの設備は東成田駅に改称した平成3年(1991)で時が止まっている模様。ものによっては開業した昭和53年(1978)で止まっているようね。
現在使われていないホームは、成田空港時代は1・2番線として特急スカイライナーのホームとして活用されていた。(現在使われているホームは普通列車のホームとして使用、当時は3・4番線だったが、現在は繰り上げられ1・2番線になっている。)
筆者は昭和マニアかつ鉄道ファンのため、東成田駅は非常に興味深いわ。
こんなに昭和感漂う東成田駅だけど、これだけの設備を有しているにも関わらず、乗降客数が少ないため、現在では多くのドラマや映画、プロモーションビデオの撮影場所に使用されている。最近だと「東京リベンジャーズ」の撮影で使われていたらしいわよ。(観てないので詳しく知らないんだけど・・・)
撮影場所として使われた作品のファンの人たちも、聖地巡礼で訪れたりするのかしら??
そして現在使用されているホームも、現役とは思えないほど昭和の影を色濃く残しているわ。
向かいのホームにあった昭和感漂う木のベンチは、こちらのホームにも設置されていて、なんと現役で座ることができちゃう。これは貴重じゃない??
人気を感じない駅事務室も哀愁をさそう。ともすれば怖いだなんだと言われがちな東成田駅だけど、人がいない✕地下ホームというのが、怖さを感じる要因かしら?
片側が閉鎖されたエスカレーターは、かつて多くの人が利用していた面影を残し、栄枯盛衰の儚さを感じるわよね。
エスカレーターの横に掲げられた、日本語と英語のみのシンプルな看板にも時代を感じる。今だったらこれに中国語や韓国語も必ず加わりますものね。
エスカレーターの他にも階段が設置されているので、折角なので(?)階段を昇って改札方面へ出てみましょ☆
ちなみにエレベーターは、建設当時から設置されたいなかったみたい。バリアフリーの観点が今より希薄だったとはいえ、多くの荷物を持って海外へ行くのにエレベーターが無いのはちょっとツラいわよね・・・
しかも昭和時代は、今のように性能の良いキャリーケースは無かったし、ボストンバックや手持ちのトランクを使っていたのよね。それで階段を昇るのはしんどくなかったのかしら??
海外に行く予定もない筆者は、小脇に軽量の荷物を抱え、軽々と階段を上昇。昇りきった先には、かつては精算所だったと思われる窓口が設置されていたわ。
そして片側は完全に柵で閉鎖されている。現在使われていない特急ホーム側が完全に封鎖された区間よ。
柵の向こうには、なにやら喫茶店のようなお店が見える。この喫茶店でも色々な人間ドラマが生まれていたと妄想すると、なんだか胸が熱くなるわよネ。
ちょっと失礼して、柵の隙間から写真をパシャリ。んん〜ん、コレは廃墟感がスゴイわネ!
写真が見づらくて申し訳ないけど、右隅に『スカイライナーのりば』と書かれた案内看板が見える。昔はココが、バンバン特急が停車する成田空港駅だった証がしっかり確認できるわ。
そして掲示されている広告も、平成3年で止まっているようね。
使わないエリアは柵で囲われているとはいえ、現役で使われているエリアもこの規模の駅には広すぎる程のスペースが取られているわ。
使われているエリアも無駄に広いので、よりひっそりとした空気が充満してしまうのよね。
さぁそれでは、このまま改札の外に出てみましょ〜!
ちなみに、東成田駅は秘境駅感を漂わせつつも、しつかり有人駅になっているわ。
【まるで廃墟!?】成田空港駅の面影を感じるコンコースと駅舎
はい、それでは改札を出てまずご紹介したいのが、改札横にある東成田駅の駅スタンプ!
『成田空港』と書かれた駅名看板と、懐かしいスカイライナーのスタンプが押せちゃうの!”東成田駅(旧成田空港駅)”と書かれているのもウレシイわよネ!
券売機の横には、東成田駅の歴史が書かれた黒板も設置されていた。
実は筆者は2015年の成田空港検問廃止後に、ちらっと東成田駅を訪れた事があるんだけど、その時よりも観光地化(?)されているように感じるわ。SNSやYou Tubeで興味を持つ人も増えたのかしら???
とはいえ、まだまだしっかり(?)廃墟感のある駅として、閑散とした雰囲気は健在。
コンコース内も柵で仕切られてはいるものの、充分すぎるほどの広さが備わっている。流石かつては多くの人が利用していただけのコトはあるわよネ。
今となっては、無駄に広く感じるコンコース。撮影中に数名の空港関係者と思われる方とすれ違うも、基本的に人は通らないため、気兼ねなく写真が撮れるわ(笑)
この椅子からもほのかな昭和の風を感じ、グッときちゃう。
元・成田空港駅ふさわしい豪華な陶板レリーフも健在。やはり日本の玄関口である成田空港ですもの、おもいっきり和のもので海外からの来る人をお出迎えしたいわよね。
あ、でも陶板レリーフの作者はルイ・フランセンさんなる外国人作家のよう。こんなに和風を全面に出しているにもかかわらず、日本人じゃなかったのね。
まぁそんなことはどうでもよくて、この案内板には『現代の空の玄関、成田空港駅によみがえらせることができました。』の一文が見てとれる。こんなトコロでも、かつてココが成田空港駅だったとうことを、うかがい知ることができるわネ。
そして仕切りの柵には、成田空港駅時代のポスターが掲示されていた。
いまでは考えられないぐらい人々で溢れた開業当時の写真。いまの姿と比べると諸行無常の響ありね・・・
それでは、ちょいと失礼してコチラの柵の中もパシャリ。いまは無き武富士のカードのポスターが、時代を感じるわ。
こちらは改札側の柵の中を写したもの。『スカイライナー入口』の看板がハッキリ写っている。
使わなくなった椅子や看板などが置かれていて、廃墟感がスゴイわね・・・
それでは引き続き現在使われているコンコース内を見ていきましょう。
流石に空港の利用を想定しているだけあり、階段の幅も広め。
片側のエスカレーターは現在は運転を中止している。
現在ではサービスが終了している、ペリカン便の看板はレア度が高めネ。
階段を昇ると全面ガラス張りになった出入口が登場。明るく清々しい雰囲気ネ。
成田空港駅時代に、空港へ向かう連絡バスのゲートになっていた部分は、現在では爆発物などを探知する警備犬の事務所として使用されている模様。
まれに訓練している警備犬たちを、東成田駅内で見かけることもあるみたいよ。
かつてはここからバスや徒歩で人々は成田空港に向かっていた。そう考えると、本当にいまは便利になったものよね。
そうそう、成田空港はその成り立ちからも、2015年まで厳重な検問が行われていた。ここ東成田駅にも、それまでは空港へ向かう人用の検問所が設置されていたわ。
外から眺めても中々立派な駅舎。
管制塔が眺められ、ココが成田空港内である事を実感するわネ〜。
外にある出入口は、現在は封鎖されている。
【異世界の入口!?】東成田ー空港第2ビルの連絡通路
それでは再び、コンコース内へ戻ってまいりました。
このコンコースには、空港第2ビル駅へと抜けられる連絡口があるの。
距離は500m。歩くとだいたい7分程で空港第2ビル駅へ到着できるわ。
とにかく何もなく、だだっ広い通路が続く・・・この閑散とした感じが、異世界へとつながるトンネルに思えなくもないわね・・・
まぁ、異世界だなんだ言っても、空港関係者はもちろん、芝山千代田駅近隣の方が空港を利用するため(買い物とかもできるし)、東成田駅経由でこの地下通路を通ることもあるでしょうし、そんなオカルトチックなことはないんだけどね。
筆者はこの時、親子連れとすれ違ったり、この後に空港第2ビルから東成田駅に再び向かったんだけど、その時は若い男性とすれ違ったわ。意外と昼間でも利用者はいるわね。
途中には現在地を示す看板も設置されている。本当に何もない地下道なので、普通の道路を500m歩くよりも長く感じるわ・・・
ひたすら続く通路には、オブジェ感漂うポールが整然と並べられている。
そして東成田駅は芝山鉄道の始発駅なこともあり、途中途中壁には芝山鉄道のポスターが掲示されていたわ。
そんな芝山鉄道のポスターから、空港を感じさせる植物防疫所のポスターに切り替わったところで・・・
お疲れ様です☆出口が見えてきて、空港第2ビル駅へと抜けられました〜!!!
いや〜地下通路で外に出なくていいとはいえ、荷物を持ってこの通路を通るには、なかなか大変そう。やっぱり飛行機に乗るなら、空港直結の成田空港駅や空港第2ビル駅が便利よネ〜。
【歴史】幻の新幹線『成田新幹線』と東成田駅の関係
そもそも、日本の玄関口として開港した成田空港の最寄り駅を、なんでこんなに不便なトコロに作ったんだよってハナシよ。はじめから、今みたいに空港乗り入れ駅を作ったらよくない??って思うわよネ。
それにはかつて計画されていた東京ー成田空港間を結ぶ、幻の新幹線『成田新幹線』の計画も関与しているの。
それではここからは、幻の新幹線『成田新幹線』の歴史についてちょっとだけ迫ってみましょ!
【東京ー成田空港を新幹線が走る!】幻の『成田新幹線』の計画と中止
成田空港の建設が決定し着工するなか、昭和46年(1971)に、新幹線鉄道整備法第四条第一項の規定により、東京と成田空港を結ぶ高速鉄道として、成田新幹線の設備計画が決定された。ちなみに、この時の計画では成田新幹線の他、東北新幹線と上越新幹線の計画が決定されたわ。
筆者が保持している昭和51年(1976)の地図に、建設予定の成田新幹線の経路が載っていたんだけど、ルートとしては東京駅南側から、越中島、葛西、原木、鎌ヶ谷、千葉ニュータウン、印旛沼付近、成田市土屋を経て、成田空港に直通する予定だった模様。当初は東京と成田空港間を新幹線で30分で結ぶという計画だったようね。
成田新幹線は昭和47年(1972)2月に工事計画が認可され、昭和49年(1974)2月に工事が着工、昭和51年(1976)の開業を目指していたわ。
ところが、工事はそうは順調に進まなかった。当時は「名古屋新幹線訴訟」などで、東海道新幹線の騒音が問題になる中、経由地となる江戸川区や東葛飾郡(現在の浦安市)、船橋市などで激しい反対運動が巻き起こったの。
成田新幹線は途中駅として千葉ニュータウン付近に駅ができる予定だったんだけど、それ以外に住む住民にとって、新幹線が通過するだけで何のメリットも無いのが強い反発を生む原因でもあったみたい。まぁ、通過するだけだったら自然が破壊され騒音が巻き起こるだけで、デメリットしかないものね。
そして反対していたのは住民だけでなく、当時の東京都知事の美濃部亮吉氏も建設に反対をしており、計画自体の凍結を主張していたんですって。
そして成田新幹線の建設に反対したのは、沿線住民や都知事だけではない。
成田空港といえば「三里塚闘争」などで有名な、過激な空港建設反対派の人々。彼らはもちろん成田新幹線の建設にも反対していたため、用地買収も行えないまま、成田新幹線の計画は暗礁に乗り上げることになったわ。
完成予定の昭和51年(1976)はおろか、成田空港開港の昭和53年(1978)に開業するコトも難しくなってしまったの。
【成田新幹線】唯一の成田空港の最寄り駅として開業した、京成電鉄終点の「成田空港駅」(現・東成田駅)
元々国鉄の成田新幹線の計画とは別に、京成電鉄は京成本線の終点を京成成田駅から成田空港に延伸することが決まっていた。
これが現在の京成東成田線のルートで、今回訪れた東成田駅よ。京成電鉄の延伸工事は昭和45年(1970)早々に着工し、昭和47年(1972)には駅設備が完成する。
まぁ、でも成田空港建設反対運動もあり、空港の開港が大幅に遅れたため、成田空港駅(現・東成田駅)の開業も見合わせることとなった。京成電鉄は成田空港建設反対運動で、車両などが燃やされる大きな被害にあっているわ。
まぁ紆余曲折ありながらも、京成電鉄の成田空港駅(現・東成田駅)は成田空港が開港した翌日の昭和53年(1978)5月21日に無事開業を果たす。成田新幹線の開業が暗礁に乗り上げている中、唯一の成田空港の最寄り駅として注目されたわ。
現在の東成田駅を見ておわかりの通り、駅から成田空港まではかなりの距離がある。しかも当時はまだ第2ターミナルは開港しておらず(第2ターミナルの開港は平成4年)、より離れた現在の第1ターミナルまで、10分ほど歩くか、連絡バスを使用しての移動がしいられたわ。
冒頭でも書いたように、ここから現在の空港乗り入れのJRや京成の成田空港駅ができる13年間のあいだ、成田空港の最寄り駅として若干不便ではあるものの、多くの人々が利用する駅となったの。
【成田新幹線】成田新幹線の代替案の検討と成田新幹線計画の凍結
京成電鉄の成田空港駅(現東成田駅)が開業しても、成田新幹線の計画が暗礁に乗り上げたままの状態は続いていた。
やっぱり東京と成田空港が鉄道で直結していないのは、利用者にとっては非常に利便性がよろしくないということで、昭和57年(1982)に、新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会が当時の運輸省に以下の3つの代替案を提出したわ。
A案 | 東京 – 新砂町(現・新木場付近)- 西船橋 – 三咲 – 小室 – 印旛松虫 – 成田空港を結ぶ、成田新幹線計画再整備 |
B案 | 上野 – 高砂 – 新鎌ヶ谷 – 小室 – 印旛松虫(現・印旛日本医大付近) – 成田空港を結ぶ、北総鉄道延伸ルート |
C案 | 総武本線・成田線の東京 – 錦糸町 – 千葉 – 佐倉 – 成田 – 成田空港を結ぶ、国鉄成田線分岐ルート |
実はこのABC案が提出された翌年の昭和58年(1983)に、成田新幹線の建設工事は凍結されているの。
既に成田新幹線の工事は、東京駅の一部や成田市の土屋地区〜成田空港までの約8・7キロは既に工事が着工していて、先行工事だけで900億円以上がかかっていたそう・・・
そして成田新幹線の工事が凍結する中、運輸省は昭和59年(1984)にA・B・C案の中からB案を推進することを決定したわ。
【成田新幹線】整備計画の失効と実現されるC案とB案
成田新幹線の代替案にB案を推進することが決まった、その2年後の昭和61年(1986)。ついに日本政府が成田新幹線の工事の再開は難しいと判断したわ。
翌年の昭和62年(1987)の国鉄分割民営化を機に国鉄は消滅。その際に定められた日本国有鉄道改革法で『その建設の工事を完了していない新幹線鉄道に係る鉄道施設のうち、旅客会社が鉄道事業を経営しないものとして運輸大臣が定めるもの』とされていたため、成田新幹線の整備計画は法的に効力を失うこととなったの。
そう・・・国鉄分割民営化と共に、完全に成田新幹線は幻となってしまったわ・・・
国鉄分割民営化後に成田新幹線計画は幻となるも、代替案の話は進展を見せることととなる。昭和59年(1984)に決まったB案よりも、先に実現されたのはC案だったわ。
昭和62年(1987)の5月に、当時運輸大臣だった石原慎太郎氏が『成田新幹線に使用を予定していた設備と用地を活用し、京成線とJR線を成田空港に乗り入れさせる上下分離式案』を提案。今まで放置していた鉄道施設の一部を、在来線に転用することが決定したわ。
翌年の昭和63年(1988)には京成電鉄やJR東日本などが出資して、第三セクターとして成田空港高速鉄道が発足し、すでに完成していた成田新幹線の構造物は譲渡されたわ。
そしてついに平成3年(1991)3月19日、元々成田新幹線の駅になる予定地に、ターミナル直結の成田空港駅が開業。翌年の12月3日には、成田空港第2ターミナルの開業とともに、直結する空港第2ビル駅も開業したわ。
これでJR総武線快速成田空港行きや成田エクスプレスが走るルートと、京成だと京成成田駅以降の分岐ルートが完成したことになるわ。
空港開業から13年。成田新幹線は幻と終わるも、ついに成田空港に直結する鉄道路線が現実となったの。いやぁ〜ここまで長かったわ〜。
ちなみに、現在の東京駅にあるあの遠すぎる京葉線のホームは、設備は京葉線用に作られているものの、元々は成田新幹線の用地と確保していたものが転用されているわ。(京葉線東京〜新木場間は1990年に開通)
そしてC案に遅れること19年・・・ついにB案も実現されることとなる。平成22年(2010)7月17日に京成成田空港線が開業。開業と同時に160㎞/hの高速運転が可能な「スカイライナー」の運行が開始されたわ。
現在の「スカイライナー」は、日暮里駅と空港第二ビル駅まで最速36分で移動することが可能となっている。成田新幹線の東京駅から成田空港駅を30分で結ぶという計画に、ぐっと近づいた時間でわたしたちを空港まで運んでくれているわ。
役目を終えた『成田空港駅』・・・東成田駅へと生まれ変わる
平成3年(1991)に、新たな空港直結の成田空港駅ができたことにより、これまで多くの人々が利用していた成田空港駅は役目を終えることとなる。
今まで京成電鉄の本線として運用していたものが東成田線と改められ、今まで『成田空港駅』と名乗っていた駅名も『東成田駅』と改称されたわ。(新線が本線となる。)
今や閑散として怖いだなんだと言われることもある東成田駅。それでも多くの空港関係者や地元の人達に利用され愛されているわ。
東成田駅は紆余曲折ありながらも多くの歴史を背負い今も存在し続けている。閑散とした廃墟のような佇まいから、ある種人気のある駅だけど、その時代や歴史的背景を知り、変化する姿を感じながら散策すると、より東成田駅が愛おしく感じることうけあいよ。ぜひ東成田駅にお越しの際には、頭の片隅にでも、その成り立ちを入れてから散策してみてはいかがかしら?
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