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【旧遊廓・赤線地帯を訪ねて】「八幡園跡」を歩く。〜遊廓・カフェー建築を求めて〜【名古屋市中川区】

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【旧遊廓・赤線地帯を訪ねて】「八幡園跡」を歩く。〜遊廓・カフェー建築を求めて〜【名古屋市中川区】
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名古屋の旧遊廓・赤線地帯といえば、当時の規模からいっても「名楽園」がまず思い浮かぶ。とはいっても、他にも名古屋にはかっての4代遊廓と呼ばれた「八幡園」「城東園」「港陽園」があるわけですよ。

中でも「八幡園」は、今でも当時の面影を残す妓楼やカフェー建築が点在しているとのことで、なかなか人気のスポットのよう。

今回はそんな人気の「八幡園跡」を歩いてきた様子をお伝えするわ!とはいえ、筆者は赤線専門外なうえ、あまり下調べもせずに歩いていきたので、かなり荒いレポートになってしまった事をはじめにお詫びしておくわ。

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【名古屋市中川区】「八幡園跡」の場所・歴史

元々「八幡園」は大正6年頃から、料理屋兼芸妓置屋が連なる”八幡連”として存在していた。その後昭和18年(1943)に「中村遊廓」の業者などが移り遊廓街「八幡園」として営業を開始したの。

昭和20年(1945)の名古屋空襲で「八幡園」の建物は焼失するものの、戦後は赤線に転向、遊廓は68軒あり、324人もの女性がいたとされているわ。昭和32年(1957)の売春防止法施行後は、旅館やバーに転業していったようね。

建物は戦争で焼失しているため、現在残る旧遊廓・カフェー建築の殆どは戦後に建てられたものということになるわね。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

「八幡園跡」の最寄りの駅は名古屋駅のお隣JR東海道本線の尾頭橋駅(おとうばし)。上記地図上赤く囲った「尾頭橋公園」の周りで、当時の妓楼やカフェー建築をみることができるわ。

「尾頭橋公園」が開園したのが、昭和27年(1952)のため、戦後に赤線地帯になってからの区画割になるようね。(開園当時の名称は「廓公園」だった。)

大動脈である東海道線の駅からそんなに近い場所に色街があったの!?と、ちょっとビックリ(?)するけど、尾頭橋駅は平成7年(1995)に開業した比較的新しい駅。(※元々はナゴヤ球場が近いことから、昭和62年に臨時駅として貨物支線にナゴヤ球場正門前駅として開業。)

大正時代は馬車なんかで移動していたんだろうけど、昭和になり鉄道で「八幡園」に行くには、1キロほど離れた名鉄の山王駅(昭和19年開業)を使っていたのかしら?ちょっと大変そうネ・・・(東海道線の尾頭橋の隣駅である金山駅は、売春防止法施工後の昭和37年に開業。)

【名古屋市中川区】「八幡園跡」を歩く

さぁそれではざっくりと「八幡園」のコトがわかったところで、早速旧遊廓・カフェー建築を求め、「八幡園跡」を歩いていきましょう。

とはいえ、元々は遊廓・赤線地帯といえど、今はマンションなども建ち並び、旧遊廓・カフェー建築も民家として転用されている場所。近隣住民の方には迷惑にならないように注意しましょう!

「八幡園跡」を歩く〜旧遊廓・カフェー建築/尾頭橋公園周り〜

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

まずは「尾頭橋公園」を取り囲むように現存する旧遊廓・カフェー建築をみていきましょ。

こちらは「尾頭橋公園」の正面にある当時をしのばせる見事なまでの旧遊廓・カフェー建築。通りを挟み向かい合わせに立ち並ぶ姿には圧倒されてしまう。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

こちらの見事なカフェー建築は、現在では訪問介護施設として転用されているわ。

「中村遊廓/名楽園跡」でも遊廓建築の旧松岡旅館が、現在では「松岡健遊館」としてデイサービスセンターとして転用されていたけど、高齢化社会である現代の世相を感じるわよね。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

曲線が多く素人目から見ても、いかにもなカフェー建築。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

かなりお洒落な造りになっている。待合の壁面にはかって店名などが記されたいたのだろうか??

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

そして裏はやっぱり和風建築。表は華やかな顔を見せるも裏手に周ると素朴な面が見えてくる、このカフェー建築にドキドキしてしまうのよね。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

向かいの立派な和風建築は、当時は妓楼として営業していたみたい。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

入口には当時の屋号である「若菜」の文字が現存するも、いまは民家として転用されている模様。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

そしてこちらも「尾頭橋公園」の周りに現存する「金鈴商店」。色々とインターネットを漁っていると、「八幡園」の代表的な建物として出てくる。

中央に配された煙草のショーケースが如何にもな昭和の煙草屋さんで、現在では幸福実現党のポスターが貼ってある戸板で塞がれた店先は、商店を営んでいた形跡が感じられる。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

売春防止法以前は妓楼だったのだろうか?

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

円筒のショーケースは、煙草屋さんのカウンターでおなじみのタイル貼り。ここが元妓楼であれば、後から付けられたもの?それとも妓楼兼煙草屋さんだったのだろうか?

一見すると曲線✕タイルでカフェー建築っぽく見えなくもないわよね・・・

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

筆者が素人かつ勉強不足すぎて「金鈴商店」の疑問が募るも、そんな「金鈴商店」の隣にも立派な元妓楼と思われる建物が健在。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

こちらも現在は民家として使われているよう。

「八幡園」は戦後に建てられた建物が多いからか、比較的状態も良さそうで、どこも綺麗に保存されている印象ね。

「八幡園跡」を歩く〜その他の遊廓・カフェー建築たち

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

「尾頭橋公園」の周辺から少し離れた(といっても近隣)ところにも、印象的な建築が数々存在するわ。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

なんとも印象的な弁柄塗りの美しい建物は、筆者のような素人目にも”何かやってたな”と分かる妖艶さを放っている。二階の丸窓が美しいわネ♡

今は民家として大切に使われているようね。

この建物の左隣もそうなんだけど、「八幡園跡」を歩いていて思ったのが、駐車場が多いのなんって!おそらく元々広い敷地で営業していた妓楼が建物をぶった切りして、余った土地が駐車場になっているのよね。そのうちこの駐車場にもマンションが建ち並ぶのかしら??

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

お隣の元妓楼であろう建物も、今は民家として使われている模様。

「八幡園跡」は現在は完全なる住宅街になっている。「名楽園跡」のようにソープなどに転用されている建物はなく、現存しているものはほとんどが民家として使われているわ。

ちょいちょいらしき建物が現存しているものの、数年前に比べてかなり数は減ってきているみたい。戦後に建てられた建物が多いため、まだ寿命もありそうなんだけど、再開発によって数が減っていくのはちょっと寂しいわよね・・・

「八幡園跡」を歩く〜レトロな町並み

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

再開発により古い建築が数を減らしているとはいえ、まだまだレトロな街並みも健在しているわ。

こちらは「八幡園跡」に建つ「八幡温泉」。昔ながらの面持ちで、グッと来る銭湯よネ。

このあたりに現在『八幡』という地名があるわけではないので、「八幡温泉」の名称がかってこの辺りに「八幡園」という旧遊廓・赤線地帯があった名残を感じさせるわね。

※八幡の地名は昭和56年(1981)に、中川区尾頭橋3丁目・4丁目に編入され消滅した。

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

そしてこちらは尾頭橋駅前にある、喫茶店の廃墟。「COFFEE・SNACK ルーブル」の文字が哀愁を誘う。

喫茶店ファンとしては、ぜひ営業中に立ち寄りたかった!!

昭和レトロ研究所 旧遊廓・赤線 「八幡園跡」

そして尾頭橋駅前には、割と大きめの神社「西古渡神社」がある。遊廓・赤線地帯の近隣には、わりと大きめの神社があるケド、かって「八幡園」で働く人達もお参りにきていたのだろうか?

建築物として楽しく見て周っているけど、当時遊廓や赤線で働いていた女性たちは、決して好きで働いていたわけではない。彼女たちがその後の人生で平穏に暮らせた事を祈ります。

【名古屋市中川区】「八幡園跡」を歩こう。

今回は名古屋市中川区にある、かっての旧遊廓・赤線地帯である「八幡園跡」を歩いてきた様子をお伝えしたわ。

「八幡園跡」は現在では住宅街になっているにも関わらず、所々にかっての建物が存在する貴重なエリア。とはいっても、ここ数年でも数多くの妓楼やカフェー建築が取り壊されているようなので、再開発が進む前にみなさまも歩いてみてはいかがかしら?

冒頭でも書いたように、筆者は旧遊廓や赤線に詳しいわけではない上、あまり下調べせずにざっと散策してしまったため、かなり荒いレポートになってしまった事をお詫びするわ・・・

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