いえーーーーーーーぃっつ!!!やってきました!!赤羽台団地〜〜〜〜〜〜っっ!!!
八王子にあった「UR集合住宅歴史館」が2021年に閉館してはや2年あまり・・・ついに、ついにですよ、2023年9月15日にここ赤羽台団地に移転が完了し、「URまちとくらしのミュージアム」としてニューオープンしましたよっ!!!!
しかも国の登録有形文化財にも指定されている、赤羽台団地のシンボルであるスターハウスも綺麗に修復されて、みごとに蘇ったのよ♡
いやぁ〜嬉しい、嬉しいよ、団地マニアとしては!!!赤羽台団地は筆者が団地マニアになったキッカケを作った団地なので、より嬉しくって前日の夜は興奮して夜しか寝れなかったわよ。
今回は早速「URまちとくらしのミュージアム」見学に行ってきたので、その様子をレポートするわネ☆
(※現在赤羽台団地はヌーヴェル赤羽台の名称ですが、あえて赤羽台団地の名前で呼ばせていただきます。)
\⬇八王子「集合住宅歴史館」時代のレポートはコチラをどーぞ☆/
【URまちとくらしのミュージアム】見学の前に。
「URまちとくらしのミュージアム」は、赤羽台団地にいきなり行っても見学できないので注意が必要よ!
以下の専用サイトから、来館予約をしてから向かってネ。⬇
来館予約をしたら、こんなに素晴らしい施設が入場は無料見れちゃうのヨ♡
見学できる時間帯は10時〜/13時〜/15時〜から選択できて、見学時間はだいたい90分程度。
休館日は水曜日・日曜日・祝日になっているわ。
いや〜それにしても、八王子時代はメールか電話で来館予約をしたうえで、更に予約が決定したら申込用紙をメールかFAXで送る必要があったため、かなり簡略化されたのはウレシイ!
【URまちとくらしのミュージアム】へ向かう!
さぁ!それでは赤羽台の地に足を踏み入れたら、いよいよ「URまちとくらしのミュージアム」へ向かいましょ!
ピカピカの真新しい看板も、しっかり新設されてるわ!
現場に向かって歩いていくと、綺麗に修復されたスターハウスが見えてくるわ。
いやぁ〜もう感動!!ず〜っと工事中だったから、こうして昔のように全貌が眺められるなんて、感動して泣きそうよ!!
ちなみに上の写真は1年ほどの前のスターハウス。
外壁もすっかり綺麗に塗る直されているわネ。
蘇ったスターハウスに感動していると、「URまちとくらしのミュージアム」の入口に到着。
いやぁ〜もうドキドキしちゃう♡
【URまちとくらしのミュージアム】赤羽台団地・スターハウス42・43・45号棟と41号棟
「URまちとくらしのミュージアム」の中に入る前に、まずは綺麗になったスターハウスを見ていきましょ!
冒頭でも書いたように赤羽台団地のスターハウスは、団地で初めて国の登録有形文化財に指定されたレジェンド団地。現存しているスターハウスは、42・43・44号棟の3棟よ。
いやぁ〜さすが圧巻の格好良さ!威風堂々とした姿は風格を感じるわよネ!
赤羽台団地がヌーヴェル赤羽台なる名前になり、すっかり姿を変えてしまっても、こうしてスターハウスが昔のように眺められるなんて嬉しすぎる♡筆者のない語彙力では現せないほど嬉しくて、嬉しくて言葉にできないわよ。
ちなみに団地の前に置かれたベンチは、東鳩ヶ谷団地にあったものを移設。彫刻家の流政之氏がデザインしたもので、とってもモダンでお洒落よネ。
スターハウスだけでテンションが上ってしまう!!
やっぱりポイントハウスの中でも、スターハウスは別格に格好いい♡しかも格好いいだけじゃなく、各部屋が隣接していないので日当たりや騒音の問題も軽減されて、住環境が守られているのがいいのよネ。
残念ながらスターハウスの中には入る事ができないわ。いずれは限定的にでもいいから中に入れるようにしてほしいなぁ・・・
な〜んてことを考えながら、柵の隙間から写真をパシャリ。特徴的な階段部分と当時のままの扉がチラ見えできるわ。
オープン前はスターハウスの中にも入れるんじゃないか?な〜んて噂もあったので、今後はイベント的にでもいいので入れるようになることを望みます!是非URさんご検討を!
そしてしっかりダストシューターも眺められる。
綺麗に色が塗り直されているものの、窓枠などもそのまま。
マンホールにもスターハウスの絵が!さすが登録有形文化財だけあるわネ。
そしてなんと蘇ったのはスターハウスだけじゃなく、一般的な板状階段室型団地の41号棟も復活!
昭和37年(1962)に赤羽台団地が竣工された当時、一番一般的で多く造られたのがこの板状階段室型団地。南側にバルコニーが設置されていて、採光や通気がよいのが特徴よ。
こちらの板状階段室型団地も高度経済成長期の団地を伝えるために、国の登録有形文化財に指定されているわ。
いまはまだ各地で現役の板状階段室型団を見ることができるけど、老朽化などで取り壊しが行われているため、今後は今よりももっと貴重な団地になりそうね。
あっ!そうそう、お庭には晴海高層アパートの螺旋階段も展示されているわ!
この螺旋階段は八王子から解体して運んだものなんだけど、以前に職員の方から聞いた話だと、当時の工法が分からないため解体も組み立ても手探り状態だったんだとか。そのため、こうして無事に赤羽台団地で再会できたことに感動しちゃうわ。
中を撮ろうとしたらガラスで反射してしまった・・・
上の写真は八王子時代に写したもの。当時は入口が封鎖されていなかったため、中の螺旋階段部分がよく見えたわ。
ちなみに晴海高層アパートは「URまちとくらしのミュージアム」内で復元展示されているので、後ほどご紹介するわネ。
その他には遺構レンガなるものも展示されていたわ。
赤羽台団地は旧陸軍被服本廠の跡地に昭和37年(1962)に造成された団地。このレンガは被服本廠時代の遺構なんだとか。
各展示の横にはQRコードが付いた看板が設置されていて、読み込むと詳細を見ることができるわヨ。
【URまちとくらしのミュージアム】室内展示を見ていこう!
はい、お庭部分だけで見どころが沢山ありすぎてまだまだ紹介したりないんですが、一通り堪能したらいよいよ「URまちとくらしのミュージアム」の内部に入っていきましょ☆
中に入ったら見学者はエントランスに集められる。ここで見学の注意事項を聞き、職員さんに引率されて中を見学していくわ。
基本的に展示の撮影はOKだけど、映像・パネル展示や模型の撮影はNGなので注意!動画撮影は復元展示のみOKらしいわ。
「URまちとくらしのミュージアム」は、見学者が纏まって職員さんに引率されて見学する施設です。動画や写真を取る場合は、他のお客さんの迷惑にならないように、かつYou TubeやSNSにアップする際は他の方が写り込まないように(写ったらモザイクかける)気をつけましょう!
マナーを守って楽しく見学する事が大切よ!!
そして展示室は土足厳禁なので、フットカバーを貰って見学スタートよ!
ヒールの場合はフットカバーではなく、スリッパを貸してもらえるわ。
ちなみに、お金が戻ってくるタイプのコインロッカーが設置されているので、身軽に見学することができるのもウレシイわネ。
【URまちとくらしのミュージアム】展示を見学しよう♬
さぁ!それではいよいよ内部を見学していきましょ☆
見学の準備ができたら、まずはエントランス横にある「URシアター」なる場所で集合住宅の歴史などがわかる映像を7分ほど鑑賞するわ。この「URシアター」は4面の大迫力スクリーンになっていて、かなり見ごたえのある映像が楽しめたわ。
八王子時代は小部屋で、60年代のプロモーション動画「団地への招待」を鑑賞したけど、どうやらこのオプションは無くなったようね・・・まぁ「団地への招待」はいまやYou Tubeでも見れますしね・・・
と、なんだかんだと「URシアター」を鑑賞したら、いよいよ展示室へと移動して見学開始!見学風景を紹介する前に、まずは「URまちとくらしのミュージアム」で見ることができる復元展示をご紹介しておくわ。
同潤会・代官山アパート | 昭和2年竣工・東京都渋谷区 同潤会アパートメント事業の1つとして建設された。 ・和洋の生活に対応させるためコルクの上に敷物を敷いた床仕様。 ・水洗便所やガス設備を完備 ・ダストシューターの採用 などの新しい生活の提案がなされた、当時としては画期的な集合住宅。 ※同潤会とは大正12年に発生した関東大震災の復興支援の為に設立した団体、このため耐久性を高めるため同潤会アパートはRC構造で建築されて当時としては先進的な設計や設備がなされている。 平成8年に老朽化の為取り壊された、現在跡地には「代官山アドレス」がそびえ立つ。 |
蓮根団地 | 昭和32年竣工・東京都板橋区 日本住宅公団が初めてつくった代表的な住宅。 ・ダイニングでの食事を促すためテーブルが備え付けられる ・間取りは2DK、DKスタイルという戦後の住宅の原形をつくった DKスタイルは食寝分離のスタイルを根付かせ現在の生活スタイルに多大な影響を及ぼした。 当時、郊外に続々と建設される団地で普及し始めた電化製品を使って生活する「団地族」は一種の社会現象になり憧れの生活スタイルでもあった。 平成3年には老朽化を理由に建て替えがはじまり現在は「新蓮根団地」となる。 |
晴海高層アパート | 昭和33年竣工・東京都中央区 モダニズム建築の旗手・前川國男が建築した高層高級アパート。 ・公団初のエレベーターの採用 ・共用廊下とエレベーター停止階を各階に置かないスキップフロア形式を採用 ・3層6戸分を1単位とし住居規模の可能性を持たせた架構方式の採用 ・ステンレスプレスの流し台を初めて採用 平成9年には老朽化を理由に取り壊された、現在跡地には「晴海トリトンスクエア」が建設されている。 |
多摩平団地 | 昭和33年竣工・東京都日野市 専用の庭を持った長屋建ての低層集合住宅、テラスハウス。 ・庭を介した住まい方やコミュニティを形成 ・建築の部品化や工業化が本格的に取り入れられた住宅 ・流し台にはステンレスが採用 テラスハウス型の集合住宅は昭和30年代、主に郊外で取り入れられている。 平成9年には老朽化を理由に建て替えがはじまり現在では「多摩平の森」となる |
見ることができる展示は八王子時代と変わらないわ。
復元展示①同潤会・代官山アパート
まず最初に見ていく復元展示は、同潤会代官山アパートメントの単身用住居よ。
同潤会は関東大震災の復興支援のために設立された団体で、その中でも代表的なのが代官山アパートメントなの。現在跡地にはセレブが住む代官山アドレスが建っているわ。
単身用住居はワンルームになっていて、風呂・トイレは共同で台所もなしよ。同潤会アパートには食堂が併設されていたため、ごはんはそこで食べていたようね。
特徴的なのが、この作り付けの寝台。ベッドがあるなんて、すごくモダンな造りよネ!
ちなみに昔「タモリ倶楽部」で八王子の「集合住宅歴史館」を特集していたんだけど、タモリさんがこの寝台に寝そべっていて羨ましかった思い出。
台所は付いていないんだけど、居室にはガス栓が完備。ここでお湯を沸かしたりしていたようね。
居室の広さは四畳半ほど。
同潤会アパートは空室が出たらすぐに埋まってしまうほどの人気物件だったため、この4畳半の広さに家族4人で住んでいた人もいたのだとか。
こちらは台所と二間が付いた世帯向け住居。
世帯向け住居には台所以外にも、トイレも完備しているわ。トイレに関してはこの時代としては珍しい水洗だったのよ。
水道やガス、調理台が付いた台所は、少々狭いも充分な設備ね。
当時は電球の数で電気代が変わっていたため、節約の為にトイレの電球を外す家庭もあったんだとか。もしかしたら節約を頑張る家庭は、台所も電球をは外していたのかも!?(あぶないか・・・)
同潤会は関東大震災復興のために設立した団体だけあり、防災意識が非常に高かったわ。
入口には避難梯子が取り付けられ、玄関の扉には防火性を高めるための鉄板が仕込まれていたのよ。
復元展示②蓮根団地
続いての復元展示は昭32年に竣工された、板橋区のレジェンド団地・蓮根団地よ。
この蓮根団地がレジェンドたる所以は、食寝分離の間取りを根付かせたこと。
それまでの住宅は、ごはんを食べる場所と寝る場所は同じ居室を使っていたわ。この「蓮根団地」は2DKの間取りを取り入れ、ごはんを食べる場所と寝る場所を完全に分けるライフスタイルを提案したの。
ダイニングキッチンのDKという言葉は蓮根団地から始まった言葉なのよ!
こちらが蓮根団地のダイニングキッチン。筆者の住むヴィンテージアパートのダイニングキッチンよりもだいぶ広いわ・・・
ダイニングテーブルは備え付けになっていて、引っ越しの際に持っていかれないように固定した造りになっていたわ。まぁ昔から不届き者はいるからね・・・
入居当時は石造りの人研ぎの流し台が使われていたんだけど、昭和40年代頃までにはステンレスの流しに交換されたみたい。ステンレスのが圧倒的に使いやすいのはわかっているけど、人研の流しってレトロでちょっとアコガレちゃう。
当時の大卒初任給が9000円ほどだった時代、蓮根団地のお家賃は4500円だったんだとか。
当時は団地がアコガレのライフスタイルで、家賃が高くても入居の倍率は何百倍もしたのよ。三種の神器(昭和30年代は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を持って、団地に入居することは当時としてはマウントできる材料だったのね。そんな人々は『団地族』と呼ばれ、最先端の生活を手に入れた勝ち組として羨ましがられたわ。
復元展示③晴海高層アパート
続いての復元展示は、モダニズム建築の旗手・前川國男氏が建築した晴海高層アパートよ。写真は当時のものを移設した案内図。
昭和33年に竣工された晴海高層アパートは当時としては高層の10階建てで、公団初のエレベーターが採用された高級アパートなの。
スキップフロア形式が採用されていて、エレベーターが停止するのは1・3・6・9階のみ。それじゃあ2階の人はめんどいよね、ということで先程紹介したお庭に展示してる、螺旋階段が建築後に付けられたのよ。
案内板を見て分かる通り、かなり複雑な造りをしているわよね。当時は迷う人もいたみたいで、案内役やエレベーターガール的な操作係をアルバイトで雇っていたこともあったんだとか!
ちなみに、案内板に書かれた当時のラクガキも見る事ができるわ。”近藤真彦命”って昭和すぎ!!(ちなみに筆者はよっちゃん派です。)
そしてこちらは晴海高層アパートのエレベーターを移設したもの。
スキップフロアのため停止階のボタンは1・3・6・9階のみ。
そしてエレベーターの中もラクガキが凄い!晴海高層アパートは、竣工当時こそ高級アパートだったけど、80年代以降は、老朽化や時代的背景により住民の層も変わっていったそうなのよ。そのため、これらのラクガキは80年代以降に増えていったみたいね・・・
続いては晴海高層アパートの居室を見ていきましょ。
こちらはエレベーターが停止しない階の居室入口。停止しない階のドアは引き戸になっていて、玄関前の廊下は広く取られていたわ。住民同士のコミュニケーションスペースを確保するため、こういった造りにしたようね。
ただ、このスペースはこどもの遊び場と化して、自電車やローラースケートの騒音が問題になり、すぐに利用禁止になったんですって。建物の造りとして、この共用廊下の真下は居住スペースになっていたので、そりゃあ迷惑行為になるわよね・・・
ちなみに共用廊下には電話が設置されているわ。造成当時は固定電話がまだ普及していなかったため、アパートには電話交換室が設けられていたの。電話がかかってきたらここに転送され、住民たちは通話していたのだとか。
まぁ、昭和40年代に入ると固定電話の普及により、このシステムも廃止されたんだけど。
さぁ、それでは室内も見ていきましょ!
間取りは2DKで、お家賃は今の価格で概ね26万円ほどだったんだとか!いやぁ〜高級だわ!70年代前半まではセレブが結構住んでいて、外には黒塗りの高級車が並んでいたそうよ。
そして前川國男のコダワリとして、襖と畳の幅が同じだったり、窓枠が障子4枠分と同じだったりと、デザイン性にも富んでいるのがお洒落よネ!流石モダニズム。
そして部屋を広く見せるため、欄間がガラス張りになっているのヨ!もぅこんなにお洒落なんて、昭和のデザイナーズマンションといっても過言ではないわよね。
そして続きましては、こちらのエレベーターが止まる階のお部屋もみていきましょ!エレベーター停止階の扉は押戸になっているわ。
こちらも2DKだけど、エレベーターが止まらない階よりも少し広め。畳や欄間などのお洒落デザインはこちらの階でも健在よ。
居室内の壁は簡単に取り外せるようにコンクリート造りになっていて、これは将来的に壁を取り払い、隣の住居と繋げて使えるように設計されたものなの。
まぁ前川國男のそんな思いも虚しく(?)そういった使い方をされることはなかったんだけど・・・平成9年に晴海高層アパートが解体される時に、コンクリートブロックをぶち抜いて、一応前川國男の意図を再現させてみたいだけど。
はいっ!そしてなんと言っても晴海高層アパートと言えば、この台所のシンクよ!!!
「プロジェクトX〜妻へ贈ったダイニングキッチン〜」で取り上げられたり、ドラマにもなったのでご存知の方も多いかと思うんだけど、晴海高層アパートで世界初のステンレスプレス加工の流し台が採用されたのよ。
先程の蓮根団地で紹介した人研ぎ流しが一般的だった時代に、お手入れも扱いも楽なステンレスが誕生したという、画期的な革命が起こったなんて胸熱よネ!
デザイン性も居住性も整った晴海高層アパートはやっぱり素敵♡
団地の歴史を見ていると、昭和という時代が垣間見れて勉強になるわよね。
復元展示④多摩平団地
そして最後の復元展示は、昭和33年に竣工された魅惑のテラスハウス・多摩平団地よ。
庭付きの2階建てテラスハウスは、当時子育て世代に大人気だったの。
ちなみに、前川國男が設計した伝説のテラスハウス・阿佐ヶ谷住宅もこの年に竣工されているわ。この移築展示と同じフロアに阿佐ヶ谷住宅の模型やパネル展示もあるわよ。(写真禁止)
同年代のテラスハウスとしては、千葉県八千代市にある八千代台団地が現役で頑張っているわ。
そしてドア前には公団のマークである丸住マーク(◯に住)がついたマンホールも、しっかり移設されていたわヨ!
間取りは2DKで、1階には一間と台所・風呂・トイレ、2階には二間が完備されているわ。
お家賃は今のお値段でだいたい12万円ほどだったんだとか。立地の面もあるけど、晴海高層アパートに比べるとお手頃価格ネ。
そしてこちらはキッチン。お勝手口からは専用のお庭に出られ、完璧すぎる導線じゃない!?
「URまちとくらしのミュージアム」ではお勝手口からも、スターハウスがチラ見えできちゃう。
晴海高層アパートと同年代の多摩平団地でも、ステンレスキッチンを採用しているわ。
シンク下の空間は、座って家事ができるように椅子を収納するために造られたんですって。まぁ実際は収納に使っている人が多かったと予想。収納はいくらあってもいいですからね〜。
ちなみに構造上の都合で、2階に上がることはできないわ。移転前は上がれたんだけどね・・・
2階には三畳と六畳の居室が二間あるわよ。
【URまちとくらしのミュージアム】復元展示以外の展示
「URまちとくらしのミュージアム」には、復元展示以外でも魅力的な展示物がたくさん♡パネルや模型などは撮影できないので、撮影できた範囲で少し紹介していくわネ!
まずはエントランスにあった展示から、住宅・都市整備公団時代のキャラクターカモちゃんずのぬいぐるみ。かわいい♡
こちらは丸住(◯に住)マークが入った、日本住宅公団時代のヘルメット。
エントランスにも沢山の貴重な品が飾られていて、かなりわくわくものだったわよ☆
こちらは同潤会代官山アパートメントの復元展示前に飾ってあった案内番。
こちらは蓮根団地の復元展示前に展示されていた牟礼団地の案内板。
いまでは建て替えられすっかり綺麗になった牟礼団地だけど、昭和31年に都内の公団住宅第一号として建てられた、レジェンド級の団地なのよ。
こちらは晴海高層アパートのエレベーター展示の前にあった、四谷コーポラスの窓サッシ。四谷コーポラスは公団ではなく、昭和31年に竣工した民間の分譲マンションよ。公団以外の展示もあって、集合住宅の歴史が総合的に学べるのが「URまちとくらしのミュージアム」のいいところネ。
こちらは復元展示を全て見終わった後に出現する、歴代団地の貴重な備品を展示しているコーナーから。
同潤会アパートのマンホールまである!同潤会アパートは平成25年に取り壊された上野下アパートを最後に姿を消したため、こういう遺構は貴重よネ。
移設展示以外にも、貴重な展示が沢山あって眼福♡
【URまちとくらしのミュージアム】見学を終えて。
はい、今回は赤羽台団地に移転した「URまちとくらしのミュージアム」を見学してきた様子をお伝えしました☆
展示内容は以前と変わらないものの、聖地である赤羽台に移転したことでスターハウスも堪能でき、かなりパワーアップした印象だったわ。赤羽の方がアクセスもいいので、より気軽に遊びに来ることができるのもウレシイわよネ!
筆者のつたないレポートじゃ魅力が伝えきれないほど、興味深い展示がもりだくさんで、かなり満足度の高い勉強になる施設よ。
もっと自分の目で確かめたい方は、昭和の歴史が学べる最高の施設「URまちとくらしのミュージアム」ぜひ足を運んでみてネ!
【URまちとくらしのミュージアム】場所・詳細
〒115-0053 東京都北区赤羽台1丁目4−50 赤羽台団地内
JR赤羽駅駅から徒歩10分
見学時間帯は10時〜/13時〜/15時〜
休館日は水曜日・日曜日・祝日
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