
関東最東端の町・千葉県銚子市は、利根川水運の発達から江戸時代の後期には、江戸・水戸に次ぐ関東3番目の大都市として栄えていたわ。
大きな町には人が集まる、そして人が集まるところには色街あり。てなもんで、もちろん銚子にもかつていくつかの色街が存在していたの。
中でも、公認の色街である「松岸遊郭」と非公認の私娼窟「田中町」は銚子を代表する色街だったのだとか。
今回はそんな銚子を代表する色街の中でも、当時はかなり賑わっていたという「田中町」の色街跡をうろうろしてきた様子をお伝えするわ。
【銚子】千葉県最東端の町の旧赤線跡・田中町の歴史

田中町をぶらぶらする前に、まずはその場所と歴史を確認しておきましょ。
かつての色街があるのは、上記地図で赤く囲んだあたり。(ざっくりだけど)住所的に銚子市田中町になるのだけど、一部後飯町も含まれているもよう。

地図を見ていただくとわかる通り、田中町のすぐ横には飯沼観音というお寺さんが存在しているわ。開基は神亀5年(728)で、日本百観音(西国・坂東・秩父)のうち坂東33観音霊場第27番札所となったことで、全国から多くの参拝者が訪れていたのだそう。
昔から信仰とエロは表裏一体なのか、こういった門前町には色街がつきもの。参拝客をもてなす(?)意味でも田中町に色街が形成されていったのだとか。

江戸時代になると、年間を通して温暖湿潤な気候をいかし、醤油の醸造地としても発展していった銚子。銚子で作られた醤油や干鰯(ほしか)は利根川水運により江戸に運ばれ、「銚子は江戸の台所」とまで称されるほど重要な拠点となっていったわ。
冒頭でも書いたように、江戸・水戸に次ぐ関東3番目の大都市として栄えていただけあり、そりゃ色街は発展するわよね。利根川水運沿いには公認の色街である「松岸遊郭」あったのだけど、田中町の色街は公認ではない、所謂私娼窟として発展していったの。
ちなみに「松岸遊郭」は戦後の一時期までは赤線としていくつか残っていたようなのだけど、現在は住宅街となっているため当時の遺構を見ることはできなくなってしまっているわ。“竜宮城”と称されるほどの妓楼があったそうなので、当時の姿を是非見たかったものよね。

とまぁ「松岸遊郭」に思いを馳せつつも、田中町の話題にもどりましょ。
長年、私娼窟として発展していって田中町。戦後は昭和21年(1946)のGHQによる公娼廃止令に伴い赤線に移行。売春防止法の罰則が施行された、昭和33年(1958)4月1日まで赤線として続いていったわ。
まぁ、こちらは「松岸遊郭」とは違い赤線廃止後も大人の町として存続していき、地元の人々だけでなく、昭和のレジャーブームや団体旅行ブームで銚子を訪れていた観光客にも親しまれていたようね。
【銚子】千葉県最東端の町の旧赤線跡・田中町の赤線跡を歩く

ではでは、ざっとではありますが、なんとなく歴史がわかったところで、いよいよ現在の田中町を歩いてみましょ。
散歩の始まりは田中町の私娼窟形成にも一役買った(?)飯沼観音から。

飯沼観音の境内を抜け、赤線跡に向かう。昔はこのあたりから、既に客引きのお姉さんたちで溢れていたのだそう。
ちなみに、写真左に映る白い建物は「島田総合病院」。赤線近くの病院って、当時そこで働く女性たちの性病検査などを担っていたところも多いけど、ここももしかしたらそういった機関でもあったのかしら?(妄想)
一応病院の歴史としては、昭和12年(1937)に開院しているそうなので、戦後の赤線時代にそういったこともなきにしもあらずだった可能性はあるわよね。

なんてことを考えながら、田中町の赤線跡へ向かいましょ。
現在でも辺りは飲屋街として存続している。

とはいえ、かつての賑から考えると少し寂しい状況にはなっており、閉業しているお店などもちらほらと見受けられる。
赤線時代はだいたい42軒ほどのお店に、174人ほどの女性たちが働いていたのだそう。

かつては北関東などの女性が働きに来ていたようだけど、現在では東南アジア系の女性やお店が多くなっているみたい。
お店の色合いからしても、日本っぽくないわよね。カラフル!

銚子市は昭和20年(1945)7月19日の銚子空襲の被害にあったため、戦前の私娼窟時代の建物は残っていないのだそう。
ただ、かなり年季の入った建物が多く、赤線時代に使われていたものは転用されているようね。

なかなかの趣。

いい具合に鄙びた雰囲気を醸し出し、どことなくノスタルジックな気分にさせるわね。

建物にはところどころに豆タイルの装飾が施され、当時の華やかさを思い起こさせる。

いやぁ〜それにしても派手。色合い的にも多国籍ムゥドが漂っているわよね。
数年前の諸先輩方のブログの写真と見比べてみると、かなりカラフルな店が増えているような気がする。建物は居抜きで入れ替わり、外壁が派手派手に塗り直されているようなのよね。

以前から多国籍だったのが、ここ数年〜十数年ぐらいでぐっとその数を増やしているようね。
まぁ、もう地方の歓楽街ってそんなのが多くなってきているけど。
赤線廃止後も高度経済成長期からバブル期は日本人も多く働き、多様な形態の店が多く建ち並んでいたそうなんだけど、いまは少々寂しい感じになってしまっている・・・・

とかなんとか思いつつ、かっこいい廃墟を発見してしまった。

立派なファザードが只者ではない感じがする。元々は何を営んでいたのだろう?

何を営んでいたかはわからないものの、建物の敷地面積もかなり広く、こんなに大きな建物が平然と建っていたということは、かつてはかなり賑やかだっただろうことが伺える。
そう考えるとやっぱり、いまの寂れ具合には栄枯盛衰の儚さを感じてしまうわね。
【おまけ】近くの商店街のかっこよい空き店舗(廃墟?)と喫茶店

田中町の赤線跡の近くにある、アーケード商店街で素敵な空き店舗(廃墟?)を発見。

美しいタイルの装飾と、入口前に置かれた2層式洗濯機がイカすわネ。

かなり古い商店街のようで、この店舗以外にも古い建物が多い。
シャッターを下ろした店も多く、ちょっぴり寂しい雰囲気も漂う。この商店街も田中町と同じく昔はかなり賑わってたのでしょうね・・・・

そんな寂しい雰囲気が漂う商店街ですが、そんな中でもエモーショナルな喫茶店が営業していたわ。
その名も「なまえのない店」。店名からしてエモい!!

店内もノスタルジックで素敵♡

そんな素敵な店内では、昭和レトロな固めのプリンとクリームソーダがいただけちゃいますよ♡
ぜひ田中町の散策と共に訪れたいお店ネ♡
「なまえのない店」については、別記事でも纏めているので読んでもらえると喜びます☆⬇
【銚子】千葉県最東端の町の旧赤線跡・田中町を歩く

はい、今回は銚子の赤線跡田中町近隣をぶらぶらしてきた様子をお伝えしたわ。
かつての銚子の賑を感じつつ、少し寂しくなった町はちょっぴりノスタルジック。
まだまだ古い建物も多く貴重な風景を見ることができる田中町。歴史を感じながらぶらぶらするのも哀愁を誘うわね。
☆★町を散策する際は、地元の人に迷惑にならないように、静かにマナーを守って楽しく散策しましょう!★☆
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