2027年のリニア開業を目指し、絶賛工事中の名古屋駅の太閤通口。
そんな益々の繁栄を極める名古屋駅の太閤通口から西へ1キロほど進んだ所に、旧遊郭・赤線地帯である「中村遊廓/名楽園跡」があるわ。
中村遊廓は大正12年(1923)に出来た、かっては日本最大の遊郭とも謳われた一大色街。戦後は公娼制度の廃止により、旧来の娼家として営業ができなくなるかわりに、特殊飲食店街、所謂「赤線地帯」として営業していた地域なの。(その際に名称が名楽園と変更。)
正直筆者は赤線は専門外のため、そんなに詳しいわけではないんだけど、「中村遊廓/名楽園跡」には今でも当時の遊郭建築やカフェー建築が残っていると聞いていたため、いずれは散策したいと思っていたのよね〜。
まぁ〜残っているとはいえ、近年ではマンションの建設などで、姿を消す当時の建物も多くなっている模様・・・
と、いうことで、これ以上取り壊されてしまう前に「中村遊廓/名楽園跡」を歩かなければと思い立ち、名古屋を訪れたついでに「中村遊廓/名楽園跡」を歩いてきた様子をお伝えするわネ。
あまり下調べもせずに歩いてきたから、多少粗目のレポートになってしまったこと、はじめにお詫びしておくわ・・・
【名古屋市中村区】「中村遊廓/名楽園跡」の場所・歴史
冒頭でも書いたように「中村遊廓/名楽園跡」は、名古屋駅の太閤通口から西へ1キロほど進むとたどり着けるわ。名古屋市営地下鉄桜通線の太閤通駅や東山線の中村日赤駅からもアクセス可能よ。
筆者の雑に加工した地図で申し訳ないけど、「中村遊廓/名楽園跡」は亀の甲羅のように美しく街が整備されている。区画ごとに日吉・寿町・大門・羽衣・賑の5つの町から構成されていて、五町街と呼ばれていたんだとか。この町名はこの辺りの地名として今でも残っているわ。
中村遊廓は吉原遊廓を模して造られていて、外周をお堀で囲み四隅の道は斜めにすることで、外部からは中の様子をのぞくことが出来ないようにしたんですって。
中村遊廓が出来た経緯としては、元々大須にあった旭遊廓の規模が急速に拡大したことにより、ここ中村区(当時の愛知郡中村)に移転が決定した。当時名古屋市は都市拡大も進んでいて、大須の旭遊廓では手狭になったり風紀上の問題もあったみたい。
当時このあたりはまだ田畑に覆われていて、移転がしやすかったようね。そんなこんなで大正9年(1920)に工事が着工して、大正12年(1923)に中村遊廓として開業したわ。
【名古屋市中村区】「中村遊廓/名楽園跡」を歩く
それでは「中村遊廓/名楽園跡」に残る遊郭建築・カフェー建築を見ていきましょ!
周りにはマンションが建ち並び、多くの人達が日常を過ごしているため、見学の際には住民のご迷惑にならないよう気を付けましょう!
「中村遊廓/名楽園跡」を歩く〜旧松岡旅館/松岡健遊館
まず中村遊廓で代表的な建物といえば、旧松岡旅館。平成5年(1993)には名古屋市の都市景観重要建物に指定されているわ。
大正元年(1912)に妓楼として建てられた旧松岡旅館は、昭和33年(1958)の売春防止法以降は料理旅館として営業。現在では松岡健遊館というディサービスセンターとして営業中よ。
当時の栄華を感じさせる立派な造り。
弁柄塗りの透塀が格式の高さを伺わせるわネ。
それもそのはずで、旧松岡旅館が建つ中村遊廓の北側にある日吉町は、当時大規模かつ格式の高い妓楼が集まっていたんだとか。その中でも旧松岡旅館は最高の格式で、質もお値段も高くセレブリティしか通えなかったそうよ。
外から眺めるだけでも、内部もかなり立派そうなのが伺える。客室もかなり広くしっかりしているようで、セレブリティしか通えなかったのも納得。
こちらは裏側の入口。
そしてこちら昭和に増築されたであろう入口。
旧松岡旅館は売春防止法が施工された翌年である、昭和34年(1959)に増築されて今の規模になったんですって。
インターネットを貪り漁っていると、定期的に中村遊廓の見学ツアー(?)がやっているようで、旧松岡旅館の内部も見られるそう!いつかは参加してみたい!
「中村遊廓/名楽園跡」を歩く〜旧牛若楼/蕎麦伊とう
そして旧松岡旅館のように、今でも別の使われ方をしているのが、旧牛若楼。売春防止法以後は牛わか旅館として営業していたものの、現在では「蕎麦伊とう」というお蕎麦屋さんに転用されているわ。
こちらもかなり立派な建物。
元々中に入るつもりはなかったんだけど、どうしても店内が気になり食事をすることに・・・
当然ながら客席はリノベーションされていて、現代風のオシャレ古民家風の造りになっているわ。
でも、客席からは当時を忍ばせる立派な坪庭が眺められる。
坪庭は当時の中村遊廓のトレンドだったようで、ほとんどの廓はコの字やロの字の形をしており、真ん中には坪庭が設けられていたんだとか。
あっ、そうそう、「蕎麦伊とう」のお蕎麦もしっかり美味しゅうございました。
「中村遊廓/名楽園跡」を歩く〜その他の遊廓・カフェー建築たち
「中村遊廓/名楽園跡」には旧松岡旅館や旧牛若楼のように、今でも転用して利用されている建物以外にも、おそらく民家として使っていたり、ソープに転用されている建物も見て取れるわ。
写真は純和風の妓楼にカフェー建築が融合した建物。妓楼側には「福春」の店名が。
剥げてきているが、タイル張りの壁にモダンなカフェー建築を感じることができるわ。
カフェー建築側には「TURUNOYA」の名前が書かれている。建物は大正12年(1923)に建てられたもののようで、元々ツルノヤとして妓楼を営んでいたそう。
先程の旧牛若楼/蕎麦伊とうの隣には、素人の筆者が見ても”カフェー建築!!”とひと目でわかるぐらいの、立派なカフェー建築を発見。今は民家として使われているよう。
アーチ状の柱とタイル・丸窓が、モダンな垢抜け具合でグッときますね〜。
そして同じ通りに並ぶ建物、右の建物は現役でソープランドとして稼働中。
この通りの目の前には大型スーパー「ピアゴ」が建っていて、老若男女多くの人が通り過ぎてゆく。周りにマンションも多いため、一般の住民が普通に生活をしている中で、今だに風俗街の一面を持っているコトが少し不思議に感じる。
ちなみに現在「ピアゴ」がある場所には、当時は組合事務所が建っていたんですって。
裏手に周ると、がっつり和風建築がお目見え。
この通りのグーグルマップを眺めると、見事なまでにコの字・ロの字に建てられている。当時坪庭を作るのがトレンドだったというコトが、まざまざと見せつけられるわネ。
「中村遊廓/名楽園跡」を歩く〜レトロな町並み
所謂「中村遊廓/名楽園」のあった日吉・寿町・大門・羽衣・賑からは外れ、もう少し名古屋駅よりに行った通りにもレトロな建物は健在。
和洋折衷のイカした建物も発見。素人目にはカフェー建築に感じてしまうが、用途は不明。
こちらは何屋さんだったのだろうか?
アーチの屋根とタイルがカフェー建築っぽい?でもこちらも素人目には用途は不明。
こちらはビクターの看板がお洒落な長屋のビル。
そして商店街の街灯がレトロポップで可愛らしい♡
こちらはこの辺りで人気の喫茶店「ロビン」。残念ながら筆者が訪れた時には既に閉店時間を回っていたため入店できず・・・残念。
再び中村遊廓の中に戻り、こちらは郭内にある「素盞男神社」。
商売繁盛の神様で、毎月11日には酉の市が行われている。当時も中村遊廓の商売繁盛を祈願の地でもあったみたい。いつの時代も商売繁盛は欠かせないものネ。
【名古屋市中村区】「中村遊廓/名楽園跡」を歩こう。
今回はかって栄華を極めた「中村遊廓/名楽園跡」を歩いてきた様子をお伝えしたわ。
名古屋市中村区にあった「中村遊廓/名楽園跡」。今でも当時の建物が姿を残すものの、数年前に比べてかっての妓楼やカフェー建築は少なくなってきている模様。
今後リニアの開業により、名古屋駅の西側はますます再開発が進んでいくみたい。もしかしたら数年後には、今ある昔の面影もますます薄くなってしまいそうね。鉄道ファンの筆者としては、リニアの開業が待ち遠しいものの、貴重な建築が取り壊されてしまうのは寂しい限りだわ・・・
皆様も今のうちに是非「中村遊廓/名楽園跡」を歩いてみてはいかがかしら?
冒頭でも書いたように、筆者は旧遊廓や赤線に詳しいわけではない上、あまり下調べせずにざっと散策してしまったんだけど、ブログを書く上で調べていたらますます興味をそそられてしまった。近いうちにまたじっくりと散策したいものだわ。
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