皆さんは千葉県船橋市にある、円形の土地をご存知かしら?地図をよく見る人だったら、一度はこのユニークな形に目を奪われた事があると思うのよ。
この円形の中には千葉県立行田公園やURの行田団地が建ち並んでいるんだけど、何故こんなに綺麗な円形なのかってめちゃくちゃ気になるわよネ。
今回はこの綺麗な円形のヒミツに迫ると共に、実際に足を運んで行田団地や公園を散策してきた様子をお伝えするわ☆
【なぜ円形!?】「行田公園」と「行田団地」の歴史
まずは円形のヒミツに迫るため、この土地の歴史を少し見ていきましょ!
元々この円形の土地は、第二次世界大戦の終戦まで海軍無線電信所船橋送信所があった場所なの。無線基地という役割から円形に造られ、今でも当時の形のまま残っているのよ。
海軍無線基地は大正4年(1915)に設置され、大正12年(1923)に発生した関東大震災では、通信が壊滅状態になった東京都心の被害情報を国内外に発信し、救援活動に多大な貢献をしたわ。この出来事は、船橋の名を世界に知らしめるキッカケとなったのヨ。
その他にも大正天皇がウィルソン大統領に祝電を送ったり、外国航行船舶の乗組員に大相撲の結果などを知らせたりと、軍事以外でも大活躍したわ。
そして昭和16年頃には鉄塔の建て替えが行われ、中央には高さ200mほどの主塔、周囲には高さ60mほどの福塔が18本も立ち並び、近隣のランドマーク的な存在だったのよ。
そしてこの場所が最も歴史的に有名になったのが、昭和16年(1941)12月2日に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電文を送信したこと。
そう、あの太平洋戦争時の真珠湾攻撃開始の暗号を送ったのはこの場所だったのよ・・・歴史の教科書に出てきた暗号はここから送られたのね。
そして終戦後は進駐軍に接収されるも、昭和41年(1966)に返還。その後、昭和46年(1971)5月19日に鉄塔の解体作業が開始、同年10月5日に行田公園が開園したの。
行田公園開園から5年後の昭和51年(1976)には、日本住宅公団(現UR)により行田団地の運営が開始され、現在の行田公園一体の原型ができあがっていったわ。
多くの歴史を含みながらも、現在では行田団地をはじめ多くの集合住宅や戸建てが立ち並び、近隣の人々に親しまれている場所なのよ。
【円形内にある!】「行田団地」と集合住宅を歩く。
はい、ではこの円形の土地の歴史が少しわかったところで、まずは内部にある行田団地を歩いていきましょ☆
上記地図上の赤枠内に行田団地は建ち並んでいるわ。
先程も書いたように、行田団地は日本住宅公団(現UR)によって、昭和51年(1976)3月に運営を開始した住宅団地。戦後に建てられた団地ではお馴染みの、軍施設跡地に建てられた団地ってわけね。
そして団地の構成としては賃貸が1496戸、分譲が240戸と中々の規模で、団地内には商店街もしっかり完備されているわよ!
JR総武線・東京メトロ東西線の西船橋駅からは団地へのバスが出ていて、だいたい10分ぐらいで到着できるわ。駅から歩くと30分ぐらいかかるので結構大変かも・・・
【モダニズム団地】「行田団地」の商店街
今回筆者は西船橋駅からバスに乗ってやってきたんだけど、バス停の目の前はイカした商店街になっていたわ。
少しこじんまりとしている印象だけど、下駄履き団地が目を惹くわよネ♡
商店街の看板がシンプルモダンな感じでイカす!
そしてこのイカした商店街の中でもひときわ目を惹くのが、「いしかわ」と書かれた赤い庇のお店。どうやら学校用品指定の衣料品店のみたい。しかしこの日は残念ながら営業していなかったわ。
とにかくこの看板が素敵すぎる♡昭和のファンシーさが漂うフォントが魅力的じゃない!?
この看板をミニチュア化して、キーホルダーとかにして売ってほしいぐらいよ♡
そしてこの商店街の良さは表側だけじゃないの。裏側も超絶かっこいいのよ!これを見ずして行田商店街は語れないんじゃないかと思うほど。
モダニズム感が溢れる、デザイン性に富んだバルコニーが素敵すぎない!?行田団地が造成された70年代は、川崎の河原町団地や横浜の竹山団地などモダニズム団地が多く建ち始めた時期だったりするのよね。板状団地やマンションタイプのような王道もいいんだけど、モダニズム溢れる団地って、なんだかワクワクしちゃう♡
表側から見るとシンプルな低層下駄履き団地にも関わらず、裏から見ると全く違う顔が見れちゃうのは流石!
きゃぁぁ〜かっこいい♡バルコニーが箱型で囲われていることで、プライベート感が出てよいわネ!どうやら構造はメゾネットタイプになっているみたい。
ずらりとボックス型バルコニーが並ぶ姿は壮観!!嗚呼・・・中に入ってみたい!!
【高層団地】「行田団地」を歩く
商店街に後ろ髪を引かれつつ、続いては行田団地をみていきましょ☆
団地内には公園も整備されていて、とっても過ごしやすそう。小さなお子さんの姿も多く、高齢化で過疎化する団地とは全く違った雰囲気を感じるわ。
敷地内にはマンションタイプの高層団地がずらりと建ち並んでいる。
モダンな印象のエントランスも素敵。
70年代に造成された団地のため、まだまだ現役感が漂っているわ。高度経済成長期に建てられた団地と違い、現時点では取り壊される心配もなさそうね。
このエントランスにある、丸くくり抜かれたデザイン性に富んだパーテーションもお洒落じゃな〜い!?
筆者がここに住む子供だったら、むやみにこの穴から顔を出しまくるわよ。
基本的には高層マンションタイプの団地が多いんだけど、こちらは少々個性的なデザイン。張り出したエレベーターや階段の踊り場がイカす!
【モダン壁画アート!】「分譲行田住宅」を歩く
そして続いてやってきたのは分譲行田住宅のエリア。
分譲エリアには8棟の住宅団地が建ち並んでいるわ。
分譲行田住宅は5階建ての板状団地で、行田団地よりもレトロ感が漂っているわネ。
中央には綺麗に整備された公園も完備されているわ。行田団地よりも少し年齢層が高いのかしら?ちいさなお子さんの姿は見られず、おじいちゃんやばあちゃんが公園内でくつろいでいたわ。
で!で!で!この団地の壁画がすっごく素敵じゃない!?
ピート・モンドリアン風の柄がモダンでお洒落♡このデザインをテキスタイルにして、ワンピースでも作っちゃおうかしら!?
ピート・モンドリアン風の柄は3−4・3−5号棟に採用されているわ。
よく見ると縦横の線は濃淡の違うタイルが使われていて、とっても手が込んでいるわネ!
【廃墟】「JR東日本行田住宅」
ピート・モンドリアン風壁画を堪能し、続いてやってきたのはコチラの建物。
ここは既に立ち入り禁止の廃墟になっているわ。
この廃墟はかつてJR東日本行田住宅として使われていた建物みたい。
以前は円形内に国家公務員住宅やNTT行田住宅などもあったのだけど、いずれも次々と取り壊しが行われているわ・・・JR東日本行田住宅もいまでは廃墟として、4号棟5号棟が残るもみになっているの。
5号棟にはひまわりの壁画。ファンシーでとっても可愛い♡
4号棟はヨットのイラスト。こちらもファンシーでレトロ感満載ネ♡
国鉄時代からあったであろうこの住宅団地も、おそらく近いうちに取り壊されてしまうんだろうなァ。仕方がないこととはいえ、少々寂しい気もしちゃうわね。
【旧海軍無線基地】「行田公園」の記念碑と遺構を見る。
団地をぶらぶらしたら、続いては行田公園にいってみましょ!
公園は円形の中央部に位置していて、砂時計を横にしたような形をしているわ。初めのほうにも書いたたけど、戦後進駐軍に接収されていた土地が昭和41年(1966)に返還され、その後昭和46年(1971)に行田公園として開園したわ。
そしてなんと!行田公園内には、かつてこの場所が海軍無線基地であったことを示す、「船橋無線塔記念碑」があるのよ!
それでは早速見に行ってみましょ☆
【旧海軍無線基地】「船橋無線塔記念碑」
はい、そしてこちらが「船橋無線塔記念碑」よ。場所は円の丁度中央あたりに建っているわ。
思ったよりこじんまりとしていて、筆者は一瞬見落としそうになってしまったわ・・・
記念碑には以下のような文言が記載されているわ。
ここ下総台地の一角にかつて無線塔が聳えていた。大正4年(1915年)に船橋海軍無線電信所が創設された。大正5年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本の大正天皇とで電波の交信があった。広く平和的にも利用されたのでフナバシの地名がはじめて世界地図に書きこまれた。大正12年(1923年)の関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた。昭和16年(1941年)の頃には長短波用の大アンテナ群が完成し、太平洋戦争開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た。船橋のシンボルとして市民に親しまれていたが昭和46年(1971年)5月解体され栄光の歴史を閉じた。
筆者が長ったらしく歴史を書いたゲト、要はこれを読めば海軍無線電信所船橋送信所時代のことは大方わかるっていうね・・・
【旧海軍の痕跡】日本海軍の境界石
続いては行田公園の外に出て、円形道路のアウトラインを見ていきましょ。
この円形のアウトラインには、行田公園一体が旧海軍無線基地だったことがわかる遺構が残っているの。
じゃじゃ〜んっ!!これが当時の遺構よ。
なんだよ、ただのコンクリートじゃんか・・・な〜んて言わないでネ!これは正真正銘の旧海軍境界石の標柱なんだとか。
円形を囲む道路沿いには、こうした境界石がいくつか残っているんですって!筆者は(面倒くさいので)一個しか見つけなかったケド、道路沿いを歩きながら境界石を見つけるのも楽しいかも。
かなり見づらいケド、標柱には『海軍』の文字が!!
【おまけ】行田公園内のレトロな管理事務所と船橋高架水槽
最後に海軍関係ないんだけど、行田公園内でレトロ可愛い公園の管理事務所を発見しちゃった♡
森に佇む小さなお家感があり、とっても素敵じゃない!?
屋根の形もお洒落!
そしてもういっちょ、円形道路にあるカッコ良すぎるこちらの建造物もご紹介。
この巨大神殿のような建造物は船橋高架水槽よ。昭和36年頃に建造されたようで、進駐軍に接収されていた時代からこの場所に建っていたみたい。行田公園や行田団地よりも歴史が古いなんてなんだか胸アツネ!
【なぜ円形!?】「行田団地」と「行田公園」を歩こう♬
はい、今回は旧海軍無線基地にある、行田団地や行田公園を歩いてきた様子をお伝えしたわ。
地図上で目を引くユニークな円形の中は、沢山の歴史が詰まった大変興味深い場所だったわ。元々団地マニアの筆者は行田団地の存在は知ってはいるものの、ふんわりとしか歴史を考えていなかったの。今回現地に赴き、船橋無線塔記念碑や当時の遺構を見ることが出来て嬉しかったわ。
この円形一体は団地マニアだけでなく、海軍マニアや地形マニアなどなど、様々なマニア垂涎の土地と言っても過言ではないわよネ☆
是非皆様も歴史を感じながら、謎の円形地行田公園一体を散策してみてはいかがかしら?
☆★団地は住宅です。近隣住民の皆様の迷惑にならないように、静かに楽しく散策しましょ!★☆
行田公園・団地の場所
〒273-0044 千葉県船橋市行田2丁目5
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