戦後に米軍が駐留した横須賀は今も異国文化が残り、音楽の街としても知られている。市主催で音楽イベントなどを行ったり、かなり力を入れているみたい。
クレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」やサザンの「そんなヒロシに騙されて」、渡辺真知子さんの「かもめが翔んだ日」、そしてダウンタウンブギウギバンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、などなど音楽の土壌があるからこそ生まれた名曲が数々存在しているわよね。
そんな中でも今回推していきたいのが、山口百恵さんの「横須賀ストーリー」。「横須賀ストーリー」の歌詞に出てくる”急な坂道”のモデルが、実際に横須賀に存在するということを知り、早速舞台になった現場に行ってきたわよ☆
【山口百恵】「横須賀ストーリー」とは?
横須賀ストーリー
はい、まず”急な坂道”に向かう前に、百恵ちゃんの「横須賀ストーリー」についておさらいしておきましょ。
「横須賀ストーリー」は昭和51年(1976)6月21日にリリースされた百恵ちゃんの13枚目のシングル曲。前年に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をヒットさせていた阿木耀子さん(作詞)宇崎竜童さん(作曲)に、百恵ちゃん自らオファーを出し生み出されたのが「横須賀ストーリー」なの。
4歳のときから中学生でデビューするまで横須賀で過ごした百恵ちゃんの経歴と、作詞した阿木耀子さんのご両親が横須賀在住という共通点があったため、横須賀を舞台にした歌詞を書いたのだそう。
阿木耀子さんは作詞の依頼が来た時に「本人の希望」という噂もあり、”「まだ10代のトップアイドルが、私たちのような駆け出しのコンビに、自分で曲を書いてと言ってくるわけがない。そんなことはあり得ないと、まったく信じていませんでした」”と語っているわ。後年になり百恵ちゃんと食事をした際に、本人に真相を確かめたところ事実だと知り大変驚いたそう。
その後、このコンビは「イミテーションゴールド」「プレイバックPart2」「夢先案内人」「さよならの向う側」などなど、数多くの楽曲を百恵ちゃんに提供しているわ。筆者が生まれる前に百恵ちゃんは引退しているため、リアルタイム世代ではないのにこんなこというのもおこがましいんだけど、「横須賀ストーリー」以後に歌手・山口百恵としての存在感を確立し、それまで以上に凄みがましたと思うのよね。当時百恵ちゃんは17歳という若さだったことに驚きよ。
【横須賀ストーリー】”急な坂道”これっきり坂【山口百恵】
「横須賀ストーリー」について少しおさらいしたところで、歌詞に出てくる”急な坂道”のモデルの場所を地図を確認しておきましょ。
上のGoogle Mapを見ていただくとわかる通り、”急な坂道”は「これっきり坂」と言う名称でしっかり登録されるわ。「横須賀ストーリー」の冒頭の歌詞にある”これっきり これっきり もう〜”から取られているようね。
こうして歌詞に出てくる”急な坂道”が存在しているとなると、なんだか胸アツじゃない!?
最寄り駅は京急電鉄の横須賀中央駅。今回はGoogle Mapのルート上のグレーラインに沿って、現場に向かって行くわ。
さぁ〜レッツ「これっきり坂」!
【横須賀ストーリー】これっきり坂へ向かう。
さぁではいよいよこ”急な坂道”のモデル「これっきり坂」へ向かいましょ!
旅の始まりは京急電鉄の横須賀中央駅。”急な坂道”と言われたいるだけあり、体力を温存して心してかからねば!
とまぁ体力を温存したい所ですが、”急な坂道”に向かうべく横須賀中央駅を出ると、「これっきり坂」へ向かうための坂道が登場。
そう、横須賀は坂の多い街なのだ。「これっきり坂」へ向かうまでに、いくつもの坂を超えていかねばならない・・・
いくつもの急な坂道が行く手を阻む・・・
いやぁ〜とにかく坂道が多い!こんなに坂ばっかりなんですもの、横須賀出身の人はおそらく足腰が強くなるはず。
数々もの急な坂道を登り、これっきり坂へ向かう。途中に廃業した昭和感満載の煙草屋さんのカウンターを発見して嬉しくなったり。きっとこの煙草屋さんは「横須賀ストーリー」が発売された頃は、まだ現役で活躍していたのだろうなぁ・・・
な〜んて事を考えていたら、”急な坂道”こと「これっきり坂」を発見〜〜〜〜〜っ!!!
おおおおぉおおおぉっ!!感動!ここです!ここですよ!「これっきり坂」!!ここが名曲に出てくる”急な坂道”なのねっ!!
こりゃあ急な坂道を駆けのぼりたくなっちゃうわネ。
【横須賀ストーリー】”急な坂道”駆けのぼってみた。【山口百恵】
さぁ、「これっきり」へ到着したのですから、早速”急な坂道”を駆けのぼろうじゃないの。
そして、急な坂道を駆けのぼり、令和の今でも海が見えるのか確認しにいきましょ!
まぁとは言っても、当時17歳の百恵ちゃんならラクラク”駆けのぼる”ことも可能でしょうが、作曲当時の阿木耀子さんの年齢もとうに超えている筆者にとって”駆けのぼる”なんてもってのほか。
無理しても何なので、ここはゆっくり歩いていきましょ・・・
だいぶ登ったけど、今のところ海は見えない・・・令和の今では海は見えないのだろうか?
な〜んて海が見えないことにちょっぴり寂しさを感じつつも、”急な坂道”の突き当りに広場のようなものを発見。どうやらその先にも道が続いているよう。
どうやらここは「中央公園」なる公園の入口になっていたみたい。
折角なのでこの先に歩を進め、急な坂道を駆けのぼった先に今も海が見えるのかどうか確かめに行ってみましょ!
【横須賀ストーリー】急な坂道を駆けのぼり海を見に行く。【山口百恵】
「中央公園」に入ると、その先に坂道ではないけど急な階段が続いている。あの階段を駆けのぼってみるとしましょ。
きつい・・・急な坂道だけでも老体にはきつかったのに、急な階段きついよ・・・・
な〜んて思いながらのぼっていたら・・・・・・
見えたーーーーーーっ!!!海ーーーーーーーーっ!!!!!!
見えたよ、百恵ちゃん、急な坂道を駆けのぼったら、今も海が見えたよ〜〜〜〜っ。令和の今も海が見えたよ〜〜〜〜っ!!
ここは横須賀っ!!!
すぐ近くに猿島を望み、景色もバッチグー。
遠くには房総半島も見える。
しみじみ昭和の名曲の風景が、こうして眼下に広がっていることに感動してしまう。きっと百恵ちゃんや阿木耀子さんもこの景色を見たのだと思うと、胸が熱くなってくるわよネ。
ここまで結構きつかったけど、頑張ってのぼって来てよかった!!こうして昭和歌謡の世界を体感できて感動しちゃった!
【急な坂道の先にある公園】平和中央公園
折角なので急な坂道を駆けのぼり海が見えた公園、「中央公園」について少しご紹介しておくわね。
「中央公園」は2021年にリニューアルして、現在の正式名称は「平和中央公園」に変更されているわ。
「平和中央公園」は明治時代に旧陸軍の東京湾要塞として米ヶ濱砲台が設置されていた場所。その後は演習用砲台へと転用され終戦まで使われていたの。戦後は「砲台山」と呼ばれていたのだけど、昭和45年(1970)に「中央公園」として開園しているわ。
開園したのは「横須賀ストーリー」が発売される6年前の出来事なので、歌詞の中の急な坂道駆けのぼって見える海は、きっとここからの景色で間違いないハズ!!
そして園内は旧陸軍の土地だったこともあり、戦没者慰霊碑や平和モニュメントなどが設置され、平和を祈願する場所にもなっているわ。
そして公園に隣接して、「横須賀市自然・人文博物館」もあり。
しかもここ、入館無料なのよっ!
「横須賀市自然・人文博物館」の館内には、世界で初めて横須賀で見つかったというナウマンゾウが展示してあったり、横須賀の自然や歴史が勉強できる素晴らしき施設なの。
「横須賀ストーリー」に出てくる”急な坂道”を上った先には、海が見えるだけでなくこんなに素敵な施設まであるなんて驚きよネ!
ぜひ皆様も横須賀にお越しの際には、「横須賀ストーリー」に思いを馳せながら「これっきり坂」をのぼり、横須賀を堪能してみてはいかがかしら?
【横須賀ストーリー】「これっきり坂」の場所
〒238-0016 神奈川県横須賀市深田台63
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